医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第54回

閑話休題:
「PET」による膀胱癌スクリーニング

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2620号よりつづく

BMJに載った 「驚くべき」論文

 2004年9月,ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)に,膀胱癌スクリーニングに関して,「驚くべき」としか言いようがない論文が掲載された(329巻712頁)。犬に患者の尿をかがせることで,膀胱癌をスクリーニングできる可能性があるというのである。

 「犬の鋭敏な嗅覚を癌のスクリーニングに利用する」という,一見突飛とも思える研究を実施したのは,アマーシャム・ホスピタルのC.M.ウィリスが率いるグループである。ウィリスらが,犬の嗅覚を癌の診断に役立てることができるかどうかを検証するきっかけになったのは,ペットの犬が「ご主人様」の癌を見つけたというエピソードが,一度ならず二度までもランセット誌に掲載されたことにあった。最初は,1989年(1巻8640号734頁)のメラノーマ発見例,2例目は2001年(358巻9280号930頁)の基底細胞癌発見例だったが,2例とも,手術前にはしつこく患部につきまとっていたペットの犬が,病巣が手術で除去された後は,まったく何の感心も示さなくなったというのである。

 長年,犯罪捜査に利用されてきたことでもわかるように,犬がとりわけ優れた嗅覚の持ち主であることは周知の事実であるが,ランセット誌に掲載された2例の「anecdotes(逸話)」は,「犬の嗅覚が癌の診断に利用できる」という可能性を示唆するものだった。ウィリスらは,ランセット誌の「anecdotes」に触発され,「犬の癌診断能」を科学的に検証する実験に取りかかったのだった。

実験の手順と結果

 彼らが実験の対象に選んだのは,膀胱癌の尿検体だった。実験の第一段階は,まず,被験者となった犬たちに「膀胱癌尿検体のにおい」を覚えさせることだった。尿検体は,膀胱癌患者,健常者,膀胱癌以外の泌尿器疾患患者,(血液を含む尿として)生理中の女性から得られたものが使われた。系統・年齢を特定しない6匹の犬を対象に,癌患者の尿を当てたら「ごほうび」を与えるという訓練が行われ,訓練期間は7か月に及んだ。

 実験の第二段階は,実際の「診断」試験,膀胱癌患者からの尿1検体,健常者も含めその他の患者からの尿6検体,計7検体の中から,癌患者の尿を選ばせるというものであった。被験者となった犬たちは,ペトリ・ディッシュに入れられた7検体の尿のにおいをかいだ後,「これはクサイ」という検体の前で「伏せる」ように訓練を受けていた。各犬それぞれ9回,計54回の「診断試験」が行われたが,犬の「診断」に立ち会った訓練士が,どの検体が癌患者からのものであるかを知らなかったのは言うまでもない。

 もし,犬たちに膀胱癌の検出能力がなく,毎回7検体の中からまったくランダムに1検体を選び出したとしたら,その正答率は14%(7分の1)に近い数字となるはずだった。しかし,訓練された犬たちの正答率は41%,「でたらめ」に答えたとした場合の3倍近い正答率を出したのだった(正規性,コンピュータ・シミュレーション(bootstrap法)に基づく犬たちの正答率の95%信頼区間は,それぞれ,23-58%,26-52%となり,統計学的にランダムに答えた場合の正答率14%を有意に上回った)。さらに,液体尿の検体でトレーニングを受けた4匹の正答率は50%と,乾燥検体でトレーニングを受けた2匹の正答率22%を凌駕し,今後,トレーニング法を改良することでさらに「診断能」を高めうる可能性が示された。

「PETスキャン」より 「ペットスキャン」!?

 今回のウィリスらの実験結果は,「犬の嗅覚が癌スクリーニングに利用できる」ことを示唆するものであるが,イレウス患者の糞臭,糖尿病ケトアシドーシス患者のアセトン臭,肝性昏睡患者のアンモニア臭など,患者の「におい」を診断に利用することは診断学においては昔から強調されてきたことであり,別に驚くには値しないことなのかも知れない。犬の嗅覚による癌スクリーニングが実用化されるかどうかについては,今後さらなる研究が必要であることは論をまたないが,こと「コスト効率」に関しては,最近流行の(そして,とてもコストが高い)「PETスキャン」に比べれば,「ペット(犬)スキャン」の方が,はるかに安上がりなものとなることは疑いの余地がない。

 犬による癌スクリーニングが実用化されるかどうか,読者のほとんどは,「可能性を考えることすらバカげている」とお思いだろう。しかし,BMJのウィリスの論文の末尾に寄せられた評者のコメントに,犬たちの「診断能力」について,本論文の数字以上に信じがたい「anecdote」が記載されていたので紹介しよう。

 実験の第一段階である訓練期間中,ある「健常」患者の尿検体について,被験者全6犬が「これはクサイ」と判定し続けた。この患者,事前の検査では,膀胱鏡も超音波検査もまったく異常はなかったのだが,犬たちの「診断」に従って精査したところ,腎臓癌が発見されたというのである。

 診断能に優れた診察犬が「お医者様(お犬様?)」とあがめられたり,診断をしくじった犬が医療過誤で訴えられたりする時代が,いつか,やってくるのだろうか?

次回から新シリーズです