医学界新聞

 

印象記

第34回神経科学会に参加して

川澄正興(慶應義塾大学医学部助手・薬理学)


 さる10月23-27日,アメリカ西海岸のサンディエゴにて,第34回神経科学会(Society for Neuroscience 34th Annual Meeting 2004)が開催されました。本学会は,Society for Neuroscienceが毎年アメリカで開催している学会で,神経科学の最新の研究成果が発表される場です。

 今回の参加者は3万2000人にものぼり,発表分野は,発生,シナプス,感覚系,運動系,分泌系,行動,神経・精神科疾患,神経科学の歴史・教育と多岐にわたっていました。私は今回,金原一郎記念医学医療振興財団より第18回研究交流助成金を受け,ポスター発表する機会を得たので,その様子をお伝えしたいと思います。

学会の充実したサービス

 サンディエゴの空港を出ると,ヤシの木が立ち並ぶ,いかにも南国を思わせる景色でした。軍艦の停泊する港を横目に市内へ向かうと,海に面した丘陵地帯に立ち並ぶ家々と,市内を走る赤いトロリー電車が見えてきました。日差しが強く,日中は暖かく感じましたが,朝夕は意外に冷え込みました。

 学会指定のホテルからは,会場まで終日シャトルバスが運行されており,移動には非常に便利でした。昼は会場内のテラスに出て,心地よい日差しの下で軍港を眺めながら食事をしたり,夜は市の中心部まで歩いていって,レストランやSushi barに入る人が多かったようです(なお,アメリカでアルコールを購入する際には,IDが必要です)。

 学会が提供するサービスも充実しており,会場内では無料でワイヤレスのインターネット接続が利用できる他,参加者同士が会場で連絡を取りたい時には,メッセージセンターで伝言を残すことができます。また,学会が事前にネットで公開している“Itinerary Planner”を使えば,興味のある発表題目や抄録を検索することができ,簡単に自分専用のスケジュール表を作成することができます。それを片手に,周到に予定を練って会場内を回っている人も見受けられました。さらに数多くの演題を収録した学会プログラムは1日分を持ち歩くことができるように,5分冊になっていました。

 学会場には,ポスドクなどの研究者を募集するコーナーが設けられおり,募集情報を閲覧したり,その場で採用担当者と面接することもできます。さらに履歴書の添削指導を受けることもでき,就職活動を支援するセミナーが多数開かれていました。

 企業の展示ブースも充実しており,さまざまな実験機器の実物を見られたり,書籍が安く買えたり,雑誌の見本や景品をもらうことができました。

 夜はさまざまな交流の場(Social event)が用意され,最終日前夜には“Music Social”と題して学会参加者による楽器演奏も披露されました。前回はポスドクの親睦会や日本人の集会もありましたが,今回はそれがなかったのが残念です。

大盛況の特別講演

 ポスター発表や口頭発表は,8時から17時の間に行われますが,シンポジウムの中には22時まで続いたものもありました。同じ分野の発表はポスターもスライドもなるべく近い位置,時間帯になるよう構成されていたので,聞きたい発表が重なってしまうこともありますが,多分野に渡ってさまざまな発表を見聞きできるのは大きな学会ならではのことで,有意義でした。

 特別講演として,ハーバードメディカルスクールのRudolph E. Tanzi博士によるアルツハイマー病遺伝学の講演が行われました。彼は家族性アルツハイマー病の原因遺伝子の発見者の1人であり,最近注目を集めている原因遺伝子のいくつかの候補について発表がありました。また,カリフォルニア大学サンディエゴ校のRoger Y. Tsien博士による蛍光タンパク質についての講演は,2500席の会場が満席になるほどの大盛況でした。彼の研究テーマは,細胞内の分子動態を解明するための蛍光タンパク質の開発です。現在さらに改良を重ね,時空間的分解能が飛躍的に高まっているとのことでした。

アルツハイマー病動物モデルの研究

 ポスター発表は,1題につき4時間の掲示時間が与えられ,掲示場所は1778か所,半日ごとの入れ替えで,合計15523題もの発表がありました。私の発表テーマであるアルツハイマー病動物モデルを主体としたポスターだけでも73題あり,アルツハイマー病全体ともなれば,とても見きれません。

 現在アルツハイマー病動物モデルの研究には,大別して2つの流れがあります。既存の動物モデルを詳細に検討する研究と,多重変異を持つマウスを作製して表現型を増幅しようとする研究です。

 私は“Aged knock-in mice expressing V642I mutation in amyloid precursor protein show functional abnormality resembling early stage of Alzheimer's disease(アミロイド前駆体蛋白質にV642I変異を導入した高齢のノックインマウスはアルツハイマー病の初期段階を反映した機能的異常を示す)”という演題でポスター発表を行いました。その発表内容と質問された点について紹介したいと思います。

ヒトの病態を再現したノックインマウス

 アルツハイマー病は,高齢者に見られる進行性痴呆の最も一般的な原因です。大多数は孤発性ですが,その発症原因については解明が進んでいません。一方,常染色体優性遺伝のアルツハイマー病症例も報告され,家族性アルツハイマー病と呼ばれています。この原因遺伝子の1つとして,アルツハイマー病患者の脳に見られる老人斑の主要成分であるアミロイドβペプチド(Aβ)の前駆体タンパク質(APP)遺伝子が同定されました。この遺伝子変異の影響を生体内で検討するため,これまで多くのトランスジェニックマウスが作製されてきました。

 しかしながら私たちのin vitroでの検討では,変異型APPが高発現の場合と,低発現の場合とでは,惹起される細胞死機構が異なることが明らかとなりました。したがって,APPを過剰に発現したトランスジェニックマウスでは,ヒトでの病態を正確に再現できない可能性があります。

 そこで私たちは,ヒトの家族性アルツハイマー患者に見られる遺伝子変異を初めて忠実に再現したモデルとして,V642I変異APPを発現させた“ノックイン”マウスを作製しました。

 ヘテロ型のノックインマウスは,ヒトの患者と同様に変異した対立遺伝子を1つだけ有しています。これを用いて行動学的,病理学的,生化学的解析を行いました。その結果,若齢では記憶学習障害は認められませんでしたが,潜在的学習行動を調べる水探索試験において,27か月齢のヘテロ型は学習能力の低下を示しました。また,長期記憶を調べる放射状8方向迷路においてもヘテロ型では学習の遅延が認められました。

 病理学的解析では,アルツハイマー病の脳に特徴的な老人斑,神経原線維変化,神経細胞の脱落は,高齢のヘテロ型においても見られませんでした。さらに,生化学的解析により脳内のAβ42(43)とAβ40の量をELISA法により測定しました。Aβ42(43)はAβ40よりも毒性が高いと言われています。高齢のヘテロ型ではAβ42(43)とAβ40の比が野生型より有意に上昇することが明らかになりました。

 以上のように,このノックインマウスは器質的異常ではなく,機能的異常を示すことから,アルツハイマー病の発症初期段階を反映している可能性があり,アルツハイマー病の発症機序を解明するための動物モデルとして有用であると考えています。

貴重な意見交換の場となったポスター発表

 ポスター発表のよい所は,興味を持って見に来てくれた人と直に話し合えることです。幸いにも多くの方々が私のポスターを見に来て,質問をしてくれました。重要な質問として,このマウスには組織学的異常がないにもかかわらず行動異常が現れる原因について訊かれました。私たちはV642I変異が誘導する神経細胞死を抑制する「神経防御因子」の存在をin vitroでの検討で明らかにしており,この因子によってin vivoでも神経細胞死が抑えられている可能性があると考えています。今回のポスター発表を通じて,今後の参考になる貴重な質問・意見を得ることができました。

 次回は2005年11月12-16日にWashington DCで開催されます。非常に有意義な情報と幅広い交流が得られることは間違いないので,次回参加されることを強くお勧めします。

 最後に,今回の学会参加に際してご支援いただいた金原一郎記念医学医療振興財団と慶應義塾大学医学部薬理学教室に,心より御礼申し上げます。