医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第52回

先端医療の保険給付(メディケアに学ぶ)(3)
企業のサボタージュ

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2617号よりつづく

 混合診療解禁論者は,「日本では規制が厳しく新薬の承認に時間がかかり過ぎる」と主張するが,実は,これほど事実に反する主張もない。98年以降,日本でも,海外の臨床試験のデータに基づいて新薬の速やかな承認を得ることが可能となる制度が導入され,新制度の下で,04年7月までに34品目の薬剤が承認されているからである(註1)。たとえば,前回言及したグリベックにしても,この新制度を利用して,米国で承認された7か月後の01年12月には日本で認可されたのである。

エロキサチンが使えない原因は企業の怠慢

 一方,混合診療解禁論者が「使えないのは人道的に問題」と喧伝してきたエロキサチンであるが,最初に認可されたのはフランスで,96年のことであった。その後,99年EU,02年米国で認可されたが,日本の某企業が仏企業からエロキサチンの販売権を獲得したのは97年のことである。日本では,ここ数年,「大腸癌患者がエロキサチンが使えないのは人道的に問題」とずっとマスコミで騒がれ続けてきたにもかかわらず,この企業がエロキサチンの承認申請を行ったのは,販売権を取得してから7年(!)が経った04年2月のことであった。

 グリベックの例でも明らかなように,98年以降,海外臨床試験のデータに基づいて速やかな承認を得る体制は日本でも用意されていたし,その気になりさえすれば先行国とわずかの時間差で新規抗癌剤の認可を得ることが可能であったはずなのに,この企業はエロキサチン承認の「申請」に至るまでに,なんと,7年もの時間をかけたのである。この間,エロキサチンが未承認であることは,混合診療解禁推進派の有力な「論拠」とされるまでになったが,私に言わせれば,エロキサチンが未だに日本で使えない問題の第一義的原因は「混合診療が認められていない」ことにあるのではなく,「速やかな承認を得ようとしてこなかった企業の怠慢」にある(註2)

問われる製薬企業の社会的責任

 しかも,この企業は,大腸癌に対する自社開発の抗癌剤「カンプト」を90年代中頃から販売,大腸癌の抗癌剤開発については十分な実績もあったのに,なぜかエロキサチンの承認申請を急いだ風は見られないのである。自社開発品が市場を占拠しているから急ぐ必要もないと悠長に構えたのか,新規薬剤を販売することで既存の自社開発品の市場占拠率を減らしたくないと思ったのかは知らないが,この企業がエロキサチン開発に関して「のんびり」した対応をしてきたことが多くの患者を苦しめてきたことについては,「製薬企業としての社会的責任」を厳しく問わなければならないだろう。

 というのも,もし,97年にエロキサチンの販売権を取得したのが別の製薬企業だったならば,カンプトのライバル商品として開発を急いだだろうし,とっくの昔に日本でも認可されていたと考えられるからだ。実際に,EUでは,製薬企業が競合関係にある薬剤の販売権を独占することを禁止し,04年8月に,カンプトの販売権を持つアベンティス社と,エロキサチンの販売権を有するサノフィサンテラボ社が合併した際に,どちらかの薬剤の販売権を他社に譲渡することが合併承認の要件となったほどなのである。

 あえて繰り返すが,エロキサチンが日本で使用できないことの本当の原因は,決して日本で混合診療が認められてこなかったことにあるのではない。本当の原因を強いていうならば,EUに比べると「大甘」な独禁法の下で一企業がライバル薬の販売権を独占することを許し,患者にとって重要な薬の認可を遅らせるような「サボタージュ」行為を許してきたことにあるのである。

企業以外からの申請で保険適用への道を開く

 現行の日本の制度の下では,企業が製造(あるいは輸入)承認を申請しない限り,どんなに重要な薬剤であっても保険診療に含める手だてはなかった。企業が新薬の承認を申請することをサボり続けるようなことがあった場合,患者はいつまでたってもその薬の恩恵にあずかることはできない仕組みになっていたのである。

 エロキサチンの問題から教訓を得るとするならば,「診療上必要な新規の医療器具や薬剤については,企業の申請を待たずとも保険診療に含めることを可能にする体制を整える」ことこそを考えるべきではないだろうか? 実際に米連邦政府が運営する高齢者医療保険メディケアでは,「新規の治療や検査について保険を適用してほしい」という申請を誰がしてもいい仕組みになっている。たとえば,一人の大腸癌患者が「エロキサチンの保険給付を認めてほしい」と申請することが制度上可能であり,米国政府は申請者が誰であるかにかかわらず,保険適用の適否について正式に審査しなければならない決まりになっているのである。

この項つづく


(註1)新制度の下で「迅速」な承認を得た第1号薬剤は,勃起不全症治療薬「バイアグラ」であり,米国で認可されてから10か月後の99年1月に日本でも認可された。

(註2)企業の「怠慢」によって日本で未承認となっている薬剤の代表例が,クモ膜下出血後の脳血管攣縮による死亡・後遺症の予防薬として欧米で標準的に使われている「ニモトップ(ニモジピン)」(米国では89年に認可)であるが,ニモトップが日本で認可されてこなかった経緯については,拙著『市場原理が医療を亡ぼす』(医学書院)で詳述した。