医学界新聞

 

【シリーズ】

隣の医学生
新春企画


医学との両立をめざす君へのソナタ

<聞き手>市村 公一氏
(東京大学先端科学技術研究センター特任講師)

竹松 舞さん
(ハープ奏者・順天堂大学医学部4年)


 医学生・研修医の皆さん,あけましておめでとうございます。「一年の計は元旦にあり」と言いますが,今年は何に取り組もうと考えていますか。多忙な研修医生活を考えると,本業以外のことに多大な時間とエネルギーを割くのは大変で,医学以外にも大切なことがある人は,両立できるかどうか不安を感じることも多いかもしれません。

 「隣の医学生」新春企画として贈る今回は,ハーピストとして意欲的な活動を続けるとともに,現役の医学生として勉学に励む竹松舞さんの登場です。本シリーズの名づけの親であり,臨床研修や就職に関する情報発信を続ける市村公一先生をよき相談者役に,音楽活動と学業を両立させることの苦労やそこで得る喜び,将来の夢を語ってもらいました。


市村 日本人の音楽家だと,ピアノやヴァイオリンを演奏する人はたくさんいますが,ハープを選ぶ人は少ないですね。ハープとの出会いはいつ頃ですか?

竹松 父の仕事の関係で4歳から6歳までアメリカにいたのですが,そこで初めてハープの音を聴いたんです。住んでいたのがミシガン大学のすぐ近くで,大学へはしょっちゅう遊びに行っていたのですが,そこである日,学生さんらしき人が弾いていたハープの音を聴いて,ただ純粋に「きれいだなぁ」と。余韻があって,ロマンチックな感じがしたんだと思います。3歳からピアノを弾いていたんですけど自分の中でしっくりこないところがあって,何か違う楽器が弾きたいと思っていた時だったので,ハープをやりたいと思いはじめました。

市村 それが4歳ごろですか?

竹松 そうですね。実際にハープの練習をはじめたのは9歳の時です。

市村 でも,ハープは習うといっても大変ですよね。まず先生がそんなにいないのではないでしょうか。

竹松 本当にそうです。小さい頃は仙台で暮らしていたのですが,仙台にはハープの先生がいませんでした。東京に行かないと先生はいないと聞いて,2週間に一度,小学校の土曜日は午前中で授業が終わるので,そういう日を選んで新幹線で通いました。

市村 それはすごい! そうまでして練習されたハープのいちばんの魅力って何でしょうか。

竹松 爪をつけたりせず,指で直接弾いて音を出すので,その時の自分の思いがそのまま出る楽器だということですね。あとは,肩にもたせかけて弾く楽器なので,自分といっしょに揺れて音を出してくれるところが好きです。

「両立ではなく,やりたいことを2つやっているだけ」

市村 9歳でハープをはじめて,プロの音楽家になろうと思うようになったのはいつ頃ですか?

竹松 変な言い方ですが,「気づいたらなっていた」という感じです。はじめたからには自分の納得するところまでやりたいと思ってはいたのですが,1年もしないうちにコンクールに出るように勧められて,16歳になったら「CDを出さないか」というありがたい話ももらったりして……。ですから,「気づいたらなっていた」という感じは否めないですね。

市村 そうですか。それは意外ですが,でも音楽はそうでも,医者になるほうは自分自身で決めないと無理ですよね。医学部に行こうと思ったのはいつ頃ですか?

竹松 医学部に行こうという気持ちになったのは,中学や高校の,受験が見えはじめた頃からです。自分自身の医学への興味はもちろんですが,その素地として,小さい頃から父親の医者としての姿を見ていたということもあります。父親が大学で研究をしていた時も,しょっちゅうお弁当を持って遊びに行ったりしていて,そういう環境がすごく近くにありました。

 私は父親に遊んでもらった記憶がぜんぜんなくて,朝は私が寝ている4時とかに起きて大学に行って,帰ってきても,いつも恐い顔で勉強をしていました。そういうイメージしかないんですけど,常に何かを追究している姿を見てきたので,一生続けていく職業として,すごく魅力のあるものに映ったのは確かです。

市村 医学部に行こうと思った時に,ハープは今後どうしようかと悩みませんでしたか? プロになるつもりはないけれどもハープは続けていきたいという気持ちだったんでしょうか。それとも,その頃から,プロのハーピストと医学を両立していこうと思っていたのでしょうか。

竹松 そうですね,プロ……,うーん(考え込む)。きっと,「自分の中で納得するところまでやろう」という気持ちが先にあって,それが結果としてプロになるということだったのもしれないと,いまになって思います。

 高校の担任の先生からも「音楽家になるのか医者になるのか,どっちにするんだ?」なんてよく聞かれましたけど,音大に行かなければ音楽を勉強できないとは思わなかったし,私が師事する先生にまだまだ教わらなければいけないことがたくさんありました。ですから,音大に行かなくても,先生に教わりながらハープをやって,医学部に行って勉強するのは無理ではないと思っていました。

 だから,そうですね……,どうしても医学と音楽の両立というふうに言われますが,自分の気持ちの中では,「やりたいことが2つあって,それをただ両方やっている」というだけで,とても自然なことでした。

ハープの練習,解剖実習,海外留学

市村 ハープの練習は毎日何時間する,と決めていますか?

竹松 コンサートの直前になると勉強の時間はとれなくて,学校から帰って寝るまでずっと弾いてるということも少なくないです。ふだん実習とかがなければ,家に帰ってはじめられる時間が7時で,長いと12時ぐらいまで弾くこともありますが,近所迷惑も考えないといけないので(笑)。

 時間のバランスは難しいですね。勉強をしたいのにできないとか,勉強しながら「ハープも弾かなきゃ」と思ったり,頭の中がグチャグチャになることも多いです。

市村 技術を維持するために「何分の練習が必要」というのはありますか?

竹松 最低2-3時間弾きたいですね。

市村 「最低で」ですか。それはかなりきついですね。そうすると,1時間しか練習できない日が2-3日続いたりすると,戻すのにかなり時間がかかると?

竹松 そうですね。でも最近は学校も忙しくなってきたので,短時間でどれだけ効率よくやるかということも少しは考えるようになりました。単に練習時間の問題ではないんですよねぇ。でもそう思う一方で,クラッシックの楽器はどうしても「鍛錬」なので最低限の練習時間は必要という気持ちもあって,そこで葛藤があります。

市村 ハープは指先を使う楽器ですよね。私がはじめて解剖実習をやった時は,メスとかピンセットを持ってずっと指先に力を入れていたので,終わったあともしばらくしびれて困りました。もう4年生なのですでに終わったと思いますが,解剖実習はいかがでした?

竹松 ピンセットとかを持っていると,どうしても最初は余計な力が入るし,指が赤くなってタコみたいなものができた時もありました。でも,5-6年生の先輩が「解剖実習をもっとしっかりやっておけばよかった」という声をすごく聞いていたので,いま吸収できるものは120%吸収したいという気持ちでやっていました。指のことも,ある程度はしょうがないかなと。だんだん力の入れ方もわかってきて,加減できるようになりましたけど。

市村 いまはまだ臨床の講義が中心で,病棟実習はこれからですね。

竹松 そうです。やっと聴診器とか打腱器のセットを買ったところです。

市村 2003年から2年続けて,夏休みにアメリカ留学されたようですが,そこではどんな勉強をしたのですか?

竹松 2003年の時はハーバード大学のラボ(研究所)で1か月ほど仕事をさせてもらいました。先天性心臓疾患の研究をしているラボだったのですが,私に与えられた役割は,遺伝子レベルで操作したマウスの心臓を観察して病気を発見することでした。そしたらプロフェッサーの仮説を裏付けるような病気が発見できて,論文を書く時には名前を出してくれるという話もあったりして,それですごく自信がついたんですね。

 2004年の夏は臨床の現場も見せていただけることになって,朝から小児心臓疾患の外来で診察をしたり,入院患者さんの回診に同行したりしました。午後の時間は前年の続きで研究をして,それが終われば寮に戻ってハープの練習と循環器の勉強をするという毎日です。

市村 まだ日本ではやっていない臨床の勉強を先にアメリカでやってきたわけですね。それはいい経験だ。

竹松 そうですね。いま自分がいる場所を1回外から見ないと,自分がどこにいるかわからなくなってしまうということも留学の目的にはあります。将来的には,できればアメリカに行って手術の勉強とかもできたらいいなと思っていることもあって,それで見ておきたいと思ったんです。

市村 今,医学生でありながら,一方で音楽家ですよね。音楽をやっていることが,これから医者になるうえで何かプラスになることってありますか?

竹松 ハープを弾いていると,人との出会いが増えます。いまこの場もそうなんですが,いろいろな方とお話をさせていただいたり,お手紙をいただいたりして。同じことについてもいろんな見方をする人がいることに気づかされて,そういうことを理解する心が自分の中に芽生えたのがよかった点だと思います。

 医学部で毎日講義を受けて,試験を受ける。その繰り返しになると,どうしてもテキストの中に羅列されている疾患を覚えるのが仕事みたいになってしまうところがあります。たとえば,患者さんの立場だったらどういうふうに考えるかとか,そういうことにも頭を向けなきゃいけないということに,人との出会いを通じて気づかされたということがあります。

竹松舞さん出演のコンサートの模様
フルート:ウィリアム・ベネット,指揮:岩城宏之のオーケストラ・アンサンブル金沢で,モーツァルト「フルートとハープのための協奏曲」を演奏(1998年)。

臨床研修は不安よりも楽しみ

市村 いま4年生で,まだ2年先のことですが,卒業すると臨床研修が控えています。研修に対する期待や不安はありますか?

竹松 まだポリクリにも行っていない状況なので,そこからまた見えてくるものがあるかなと思っています。いまはポリクリと研修医の姿を重ねて考えてしまっている部分があるんですが,臨床の現場に毎日毎日行けるというのは,すごく楽しみです。

 不安もありますけど,その不安というのも,たとえば研修に行った科で吸収し得ることを,どれだけ多く吸収できるかといったものです。どうしても教科書だけで勉強していると「まず疾患ありき」になりますが,そうじゃない状態で患者さんを診た場合は,わからないことがいっぱいあるだろうし,そういう機会が与えられるんだと思うと,本当に楽しみですね。

市村 素晴らしいです。

竹松 そうですか(笑)。

市村 今年度からは臨床研修が必修化されて,それに伴って研修医も労働者なんだと,以前のように過酷な勤務を強いるところは少なくなって,受け持ちの患者さんの数を減らしているところも多いようです。竹松さんがハープの練習時間を確保するという意味でも,よい環境になったと思います。

 それでも,医師として患者さんを受け持つ以上は,患者さんの状態が悪ければずっとついていなければいけないこともあるでしょうし,ハープの練習ができないこともあるかと思うんですが,それはそんなに心配していないですか?

竹松 もちろん心配はしています。でも,心配するよりはまずそこに飛び込んでいって,その時にやり得る方法でやるしかないと思っています。いまからいろいろ制限してしまうと,きっと何もできないだろうし,何かしらやりようがあるんじゃないかと楽観視してるんです。それほど簡単なものじゃないとわかったらわかったで,ハープに対する考え方がまた変わってくるだろうし,1回どこかで立ち止まって考えなきゃいけない時がきっとあるんだろうなとは思います。

将来の夢 医師として女性として

市村 外科系を希望されているそうですが,医者としての将来の夢はありますか?

竹松 自分の腕で,患者さんを救えるならば,そんなに素晴らしいことはないですよね。最近はいろんなことに対して深く考えるようになって,たとえば電車の中で,背骨の曲がってしまった人がいたりすると,ほんとうにやるせない気持ちになるし,治してあげたいと思うんですよ。患者さんの気持ちも前よりずっとわかるようになったと思います。ものの見方が敏感になりすぎて,それがまた辛かったりもしますけど。

市村 そんなふうに,心までケアしてくれる先生に診てもらえたら,患者さんはすごくハッピーだと思いますよ。医者としての夢とは別に,ひとりの女性としての夢や希望もあると思いますが,それはどうですか?

竹松 早く結婚したいです(即答)。これから先,子どもを産まなきゃいけないし。

市村 今まで医者の世界は男社会で,たとえば「入局するのであれば結婚しないことを前提に」ということが公然と言われていたところも多かったようです。ただ,医学部の学生に占める女性の割合がどんどん増えてきていますし,結婚して家庭を持っても続けられる環境にしようという動きが少しずつ出ていると思います。

 それでもやはり,特に外科系だと体力勝負の面もあるかもしれませんが,持ち前の頑張り精神で,ぜひ2つの仕事と家庭と,すべてに花を咲かせてもらいたいと思います。

竹松 ありがとうございます。ほんと,「早く結婚して子どもを産まなくちゃ」という気持ちがあるんですよ(笑)。

市村 ホームページを拝見しましたが,ファンクラブがすごいですよね。ファンの方の年齢層はどのくらいですか?

竹松 コンサートだと,30代の人が多いですね。中には,中学生の女の子とか,少し年上の女の人で「新たにハープをはじめたくなった」ということで来てくださる方もいます。あとは,ご夫婦で来てくださる方もけっこういます。

市村 結婚しちゃうと,竹松さんのハープを聴いて泣く人もいっぱい……(笑)。では,明るい1年になりますように。

竹松 ありがとうございます,市村先生もよい1年を。素敵な出会いをいただいて,ありがとうございました。

■補記 竹松舞さんのこと

 初めてお会いした竹松さんは,瞳のクリクリッとした,竪琴(ハープ)といっしょにロココの絵画から抜け出してきたお人形のようなお嬢さん。でも,お話を伺うと浮わついたところのまったくない,実に芯のしっかりした方で感心させられた。

 音楽家としても,医師としても技術を磨きたいというお話を伺い,一瞬技術志向の方なのかと思ったが,「技術を身につけなければ,患者さんを助けてあげられないから」という言葉に,竹松さんの深い思い遣りと熱い想いを知り,そんな疑念を抱いたことを恥じた。私のような凡人には,医学生と音楽家を両立させるのは至難の業に思えるが,竹松さんにとってはそれが納得のいく人生を歩む自然な姿なのだろう。

 「早く結婚して子どもを産みたい!」にはその場に居た一同笑ったが,頑張り屋の竹松さんを温かくサポートする伴侶が現れ,可愛いお母さんになれば,紡ぎ出すハープの音色も一層深く,豊かなものになるのではないだろうか。

 医師として,音楽家として,そして女性として,大輪の花を咲かせてください。心から応援しています。


市村公一氏
1984年東大美術史学科卒。銀行員を経て東海大医学部入学,2002年卒業。同大学病院研修医,日医総研研究員などを経て現職。大学在学中に開設した「より良い医療を目指す医学生と医師のメーリングリスト」は医療系最大のメーリングリストのひとつ。主な著書に,『臨床研修の現在』(医学書院)。実は大のクラシック音楽好きでもある。

竹松舞さん
1980年生まれ。ハープをはじめてわずか1年半後の91年,最年少で日本ハープコンクール・ジュニア部門第2位に入賞。93年に同コンクール優勝。96年,第2回リリー・ラスキーヌ国際ハープコンクール・ジュニア部門第3位入賞。98年1月サントリーホールにてヘンデルのハープ協奏曲でコンサートデビュー。97年6月には「ファイヤー・ダンス」でCDデビュー。これまでにCD6枚,DVD1枚をリリースする。最新作は「ZERO」。
順大医学部は1年次全寮制のため,寮の会議室にハープを持ち込んで練習したとか。織田裕二と「アンガールズ」のファンで,みたらし団子をこよなく愛する。