医学界新聞

 

《連載》

感染症臨床教育の充実をめざして
-学生から専門医まで

〈監修〉青木 眞(サクラ精機顧問)

第5回
〈鼎談〉

現役感染症科フェローからの提言

本郷偉元氏 (バンダービルト大感染症科フェロー)


2616号よりつづく

■米国の感染症科フェローシップとは

確立している教育プログラム

 米国での感染症科フェローシップは,一般内科3年間の初期研修後に普通は2年間のプログラムが組まれています。プログラムにもよりますが,基本的には最初の1年間が臨床,2年目以降がリサーチです。リサーチは臨床,あるいは基礎のリサーチです。

 フェローシップの間には外来も持ちます。HIV患者さんを外来で一定数フォローすることが感染症科専門医資格をとるのに必要とされているため,外来は基本的にはHIV外来です。プログラムによっては一般感染症外来,結核外来,旅行医学外来なども少ないながら存在すると思います。

 バンダービルト大学の感染症科フェローシップでは,4週間ずつ5つのサービスをローテーションします(各サービスを2回ローテーションし,残りの期間は最初のオリエンテーション,選択研修,そして休暇に充てられます)。5つの内訳は大学病院の3サービス,すなわち一般感染症,移植感染症,HIV入院患者,残りの2つは退役軍人病院(VA Hospital)と関連病院のSt. Thomas Hospitalです。私の学年は4人ですが,基本的には各学年に5人のフェローがいます。3年目以降のフェローは,現在1人です。これは米国でも比較的大きなプログラムです。フェローがたくさんいることもプログラムに活気がある理由の1つでしょう。

 カンファレンスも充実しています。フェローは多忙ですので,すべてのカンファレンスやレクチャーに参加できるわけではありませんが,フェロー教育用のcore lecture,感染症科grand rounds,ケースカンファレンス,抗レトロウィルスカンファレンス,plate rounds(グラム染色や細菌の培地,同定過程をみる細菌を相手にした回診)などがあり,その他大学内のどのカンファレンスにも出ることができます。感染症科フェローが興味を持つのは医学統計学,免疫学,微生物学などのカンファレンスでしょうか。

 リサーチは,それぞれの興味に従い,テーマを決めます。1-2年,時にはそれ以上の時間をかけてリサーチを行います。まだ経験していないので詳しくはわかりませんが,よい結果を出しpublishすることを目的の1つとしています。リサーチの間は指導医と綿密にディスカッションをし,データを出すことだけでなく,論文の書き方,グラントの申請の仕方など,研究者として一人前になる基礎を学びます。

感染症科フェローの仕事

 米国の感染症科は基本的にはコンサルトサービスです。主治医チームが感染症の診断や治療に困った場合にコンサルトを受けます。

 一般感染症グループは敗血症,不明熱,心内膜炎,骨髄炎,髄膜炎,脳炎,術後感染症(整形外科,脳外科,耳鼻科など)などのコンサルトを受けます。移植グループは心,肺,心肺同時,肝,腎,膵腎同時,などの移植にかかわる感染症のコンサルトを受けます。HIVグループは,HIV外来でフォローしている患者さんや飛びこみのHIV患者さんを診ますので,主に日和見感染症が対象です。HIVグループだけは病棟主治医として患者さんを診ます。

 VA HospitalとSt. Thomas病院では一般感染症が多くなります。一般感染症グループ,HIV入院患者グループ,St. Thomasでは内科レジデントや医学生がチームに加わります。VA Hospitalはそれほど忙しくないのでフェロー1人で診療にあたります。また,移植感染症はレジデントのレベルでは患者管理が困難であるという理由もあり,フェローが1人で診療にあたります。

 他のプログラムから医学生やレジデントが研修に来ることもあります。その場合,基本的には一般感染症グループに入ってもらっていますが,移植感染症にも他領域のフェローが研修に来る場合もあります。

フェローの生活と将来

 フェローシップ中の生活ですが,ローテーションにもよりますが,朝は6-7時くらいに病院に行き,フォローアップの患者さんを診ます。同時進行で新しいコンサルトも受けます。指導医との回診は毎日あり,新患は必ず一緒に診察します。フォローの患者さんはローテーションにより指導医と一緒にベッドサイド回診することもあれば,指導医に報告してディスカッションするだけのこともあります。VA Hospitalを除くと,基本的に朝から仕事が終わるまで昼食時間の他は休むことなく働いている感じです。一日が終わるとかなり疲れますが,指導医のレベルはやはり高く,その経験や知識に感銘を受けることがしばしばです。

 外来は週に1回あります。患者さんはすべてHIV患者さんで,主治医としてかかわります。午前中に2-6人くらいの患者さんを診ます。各患者さんを診たあとは必ず指導医とディスカッションし,その日の方針を決めます。抗ウィルス薬を変更する必要がある場合は,週に1度のカンファレンスにかけて皆で相談のうえ新しいregimenを決めます。バンダービルト大学のHIV外来はAACTG(Adult AIDS Clinical Trial Group,全米34の大学や病院からなるエイズのクリニカルトライアルのグループ。HIV/AIDSの治療の歴史を作ってきた)のメンバーのひとつであり,積極的にクリニカルトライアルを行っています。

 フェローシップ終了後の医師は開業(とは言ってもグループプラクティスが多い)することが多いですが,アカデミックキャリアをめざす人もいます。バンダービルト大学ではここ数年,フェローにアカデミックキャリアをめざすことを期待しており,徐々にそういう方向になってきています。

■感染症診療の課題克服のために

感染症科医の存在は必要

 日本における感染症臨床教育や感染症診療に関してですが,やはり感染症科は必要であり,その確立は急務だと思います。日本の医学は臓器別であり,臨床腫瘍科,感染症科などの存在はきわめて小さいように感じます。

 感染症科専門医は各種感染症,抗菌薬に精通しており,その知識や経験が他科の医師にとって必要となることは毎日のようにあると思います。またHIV患者さん,移植患者さん,あるいはがん患者さんにおける感染症,熱帯医学,旅行医学,在日外国人に関する感染症,などを扱うためには一般感染症の土台が必要だと感じます。

 日本における抗菌薬の乱用ぶり,耐性菌の多さ,必要な抗菌薬が存在しない,感染症の治療のしかたが医師によりかなり幅がある,多くのワクチンがいまだに実施されていない,などといった問題は,感染症科医の存在なくしては解決しにくいものだと思います。さらに,これからはますます多くの外国人が日本に住むようになるでしょうし,日本人も海外に出ることが多くなるでしょう。移植患者さんやHIV感染者もどんどん増え,まれな感染症に遭遇する機会も増えてくることでしょう。

 しかし,「はやり」で各大学病院や主要な病院に感染症科を作るということには,個人的には今のところ賛成ではありません。まずは感染症を診ることができる医師の養成が先であり,制度を最初に作ることではないと考えるからです。

核となる施設から教育をはじめる

 また,日本における臨床感染症科医の養成を進めるためには,難しい問題があるとも考えています。米国では,良し悪しは抜きにして,ベッド数が少なく,そのうえ入院日数が極端に短いので症例が集中し,感染症患者さんを診察する機会が日本に比べるとはるかに多くなるという現状があります。そして何といってもフェローがしっかりと教育を受け経験を積むことができるよう臨床教育制度が整っています。

 これらのことから,フェローが経験する症例の数やバラエティーは日本では考えられないくらい豊富ですし,指導医たちの専門分野でのレベルの高さには驚かされます。このような土台があまり整っていない日本の現状では,臨床感染症教育の整備は簡単にはいかないと感じます。

 以上のことを考えると,日本における感染症科医の養成は,最初はしっかりとした指導医が存在する「核」となるような病院ではじめ,そこで育った医師がまた次の医師を育てるといった進め方がよいのではないでしょうか。このようにして,徐々にすそ野を広げていく方法を確立させることこそ,急務であると思います。

最初が肝心

 大切なことは,普遍的で成果が見えにくく,めざす医師も少ないかもしれませんが,一般的感染症を毎日研修医と一緒に診て,発熱患者の病歴や身体所見のとり方,培養検体のとり方,塗沫・培養検査の解釈のし方,そしてそれらに基づく鑑別診断や抗菌薬療法の基礎を医学生や研修医に対して「初期臨床感染症学」として教育する感染症専門医の存在ではないか,と実体験から考えます。何事も最初が肝心だと思います。

 日本の臨床感染症のために,私自身,微力を尽くすことができれば幸いですし,日本の,特に若い方々と一緒に努力していくことができれば,と思っております。なお私は日本の臨床感染症のことについて熟知しているわけではありませんので,誤りなどがありましたらご指摘,ご指導をお願いいたします。

 ご質問,ご意見などありましたらご遠慮なく,医学界新聞編集室を通じてお気軽にメールをください。

次回につづく


本郷偉元氏
1996年東北大卒。沖縄県立中部病院で初期研修を受け,臨床感染症科に出会う。その後,国内での研修を経て,2001年よりベスイスラエルメディカルセンター内科レジデント。2004年7月よりバンダービルト大にて感染症科フェロー開始。「太平洋を渡った医師たち」(医学書院)へも寄稿している。