医学界新聞

 

新春随想
2005


国立病院の独立行政法人化と今後の展望

矢崎義雄(独立行政法人国立病院機構理事長)


154国立病院・療養所の再出発

 親方日の丸の経営による不効率な運営,国立のブランドに安住した医療サービスの低下などを厳しく指摘されていた154の国立病院・療養所が,その改善をめざしてひとつの組織にまとめられ,平成16年4月に独立行政法人国立病院機構として再出発した。その基本方針として,病院長が先頭に立って指導力を発揮して発想の転換を進め,患者の目線に立ち,国民に満足される安心で質の高い医療を提供すること,さらに各病院の特色を活かした政策医療を推進するとともに,臨床研究や教育研修を通じて医療人の育成やわが国の医療の向上に貢献することをめざしている。経営の視点からは,7500億円余の債務を償還しつつ収支を相償化することを5年間の中期計画に基づいて達成するよう求められており,前途多難な発足となった。

 しかし,年度毎に国立病院のすべてが一括してまとめられて予算や組織が決められていた従来の官庁会計方式から,各病院が現場の必要性を反映させつつ収入に応じた支出を組み立てる企業会計のシステムに移行したことによって,各施設の自己裁量権が大幅に拡大され,運営方針も迅速に決定して実施することが可能になった。そこで,民間や自治体などがアプローチ困難な結核などの感染症や重症心身障害,筋ジストロフィー症といった難病などを中心とした政策医療に従来通り取り組むとともに,地域医療のニーズに応えた病院機能強化に向けて,各病院が職員の意識を改革し,独自の方向性を組み立てて新たな活動をはじめたところである。経営的にも経費を節減するとともに,現場のニーズを反映した設備整備や投資,年功序列的な公務員給与体系より業績評価を取り入れた新たな給与体系に移行するなど,運営の効率化が実現できるように改革が着実に進んでいる。

継続する政策医療と臨床研究

 病院運営の基盤となる医療においても,旧療養所が中心となって進められていた政策医療については,最新のエビデンスに基づいて治療方針を見直し,患者のQOL向上をめざした新たな取り組みを行うべく,十数回にわたって検討会を重ね,その成果が各施設に定着するように対応が行われたところである。さらに,各病院の多様な機能を活かして臨床研究をすすめ,EBMのエビデンスとなるデータの収集や治験の推進などを行い,わが国の医療の向上に貢献すべく,各病院における臨床研究部の充実,中央治験支援室の設立など環境整備に努めている。

 しかし,国立病院機構は154の病院から構成されており,職員4万7000名(医師5000名),病床数6万5000床というわが国最大の医療法人である。それだけに方針の転換,意識改革には時間がかかると思われるが,強固な意志のもとで職員の協力を得ながら着実に責務を果たしていきたい。


未来の外科医に贈る言葉

安達洋祐(岐阜大学教授・腫瘍外科学)


医学生へ

 私は学生時代に「内科か外科か」で迷ったが,外科を選んだ理由は次の3つであった。(1)手術で治療ができる,(2)急性疾患に対処できる,(3)がん患者を治せる。ところが,今は内科医が心疾患や脳卒中の救急患者を管理し,内視鏡でもがんが治せる時代である。

 1804年に通仙散で乳がんの手術に成功した華岡青洲は,春林軒塾を開いて「内外合一」を唱えた。「外科医は手術して得意になってはならない」と華美や贅沢を戒め,「病気に内科と外科の区別はない」「外科医は内科のことも知らなければならない」と説いた。

 外科医に求められるのは「豊富な知識・正確な技術・やさしい心」である。「向上心・責任感・協調性」が大切であり,ふつうの手術に体力や器用さは必要ない。他人を思いやる気持ちがありチームワークが実践できれば,あなたも立派な外科医になれる。

研修医へ

 研修医の生活はどうですか。患者さんに信頼されていますか。先輩の指導はやさしいですか。仕事に充実感はありますか。将来に夢を描いていますか。医療は個別的で経験的。だから外科医は悩んでいる。医学は未熟で不確実。だから外科医は反省している。

 患者さんやスタッフに挨拶していますか。服装や言葉づかいはどうですか。約束や時間を守っていますか。「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)を実行していますか。医師の世界は閉鎖的。医師は身勝手になりやすい。「笑顔・対話・ふれあい」を心がけよう。

 臨床研修のコツは「患者さんにやさしくする,自分の健康に気をつける,気軽にだれかに相談する」。「なぜだろう」と問いかけることを習慣づけよう。社会人としてのマナーを身につけよう。謙虚な気持ちで協調を心がければ,あなたも立派な臨床医になれる。

指導医へ

 スポーツの世界も昔は「飲んだらバテル」「ケガをしても休むな」であったが,今は「飲まないとバテル」「ケガをしたら休め」である。医療も「昨日の常識は今日の非常識」だ。自分の判断基準を疑ってみよう。新しい知識を広く求めてみよう。まちがっていたことは改めよう。

 見学や練習だけではいつまでたっても試合はできない。時には後輩にやらせてみよう。できるようにさせるのが指導医だ。叱るだけで子どもが育てば苦労はしない。後輩の指導に愛情と時間を注いであげよう。ほめて励まし,その気にさせるのが指導医だ。

 臨床判断は「患者の考え+医師の考え+エビデンス」だ。科学の目を持つ「鬼手仏心」の外科医を育てよう。医師への不満は「説明がない・聞いてくれない・不親切」である。わかりやすく説明ができてじっくり話を聞ける,誠実な臨床医を育てよう。


医療政策の質の向上に向けて

近藤正晃ジェームス(東大特任助教授)


 国民が最も重視しており,最も不満を持っている政策領域は,医療である。

 最近発表された内閣府の世論調査によると,国民が最重視している政策領域は「医療・年金などの社会保障改革」であり,実に国民の68%がこれを重視している。第2位は,「景気対策」で59%,第3位が「高齢化社会対策」で50%,そして第4位が「雇用・労働問題」で41%である。この数字を見たある海外のジャーナリストが,「不景気が10年以上続いた国で景気や雇用よりも重視される政策領域があるのは驚異的なことだ」と述べていた。それほどまでに,医療を含めた社会保障領域に対する国民の関心は高いのである。

 このように国民は医療を含めた社会保障領域を最重視しているが,同時に現状に対する不安と不満も極めて大きい。日本経済新聞が実施したアンケートによれば,国民の実に9割が現行の医療制度に「不安がある」または「やや不安がある」と述べている。また,内閣府の調査によれば,医療の質やコストに満足しているのは国民の3割から4割に過ぎず,大多数の国民は現行の医療制度に不満を持っているのである。

 こうしたデータが示す通り,医療を含めた社会保障領域こそ,政策の質が最も問われなければならない重点領域なのである。しかし,実際の医療政策は,極めて限定的なプレーヤーが,極めて限定的な議論をもとに策定しているのが実態であり,国民に開かれた政策論議が繰り広げられているとは言いがたい。

 こうした現状を打破すべく,2004年10月より,東京大学において「医療政策人材養成講座」が開講されている。1学年60名で,15名の政策立案者,15名の医療提供者,15名の患者支援者,そして15名の医療ジャーナリストから構成されている。本来医療政策に関与すべき幅広いステークホルダーが参加しているのが大きな特徴である。60名の定員に対して500名近い応募があり,いかにニーズが強い領域であるかを痛感させられた。一期生は「次世代リーダー」と呼ぶにふさわしい,社会の第一線で活躍している人々であり,彼らが他のステークホルダーとも親睦を深めることにより,これまでにはない強力な医療政策コミュニティーが形成されることが期待される。

 待ったなしの医療政策課題は山積している。こうした課題に果敢に取り組むことが,国民が何よりも求めていることであり,また医療にかかわるすべての人の責務であると思われる。

 今年が,医療政策の質が向上する大きな転換の年となることを祈って。


自分でまいた種

田中まゆみ(聖路加国際病院内科副医長)


日本に起こっている医の倫理をめぐる混乱

 去年は,行政が医の倫理に踏み込んだ事件が続いた。判決前の慈恵医大青戸病院事件の医師たちに厚労省の医道審議会が医業停止の行政処分を決めたり,羽幌病院の医師が90歳の患者の人工呼吸器を家族の了承のもとに止めて殺人罪に問われたり。

 いずれのケースも,医師に,「世間では医師のやることをこう見ている」という警告を与えるという意味では効果があったかもしれないが,本当の意味で医療倫理を理解しているとは到底思えなかった。しかし,事件報道は一人歩きし,医師は「逮捕・送検されるだけで免許停止」「治療中止したら殺人罪」という恐怖を植え付けられてしまった。医師の親に「息子さんが医療事故で患者を死亡させてしまったのですぐに見舞金を振り込んでほしい」と迫るシナリオで「オレオレ詐欺」が成立する事態に至っているのである。

 なぜこんなことになってしまったのか。それは,日本での異状死の定義(日本法医学会のガイドライン)と届出先を定めている法律(医師法第21条)が別々で,よってきたる精神がまったく異なることから来た混乱なのだ。

 日本法医学会のガイドラインは,「治療に関連した予期せぬ死」は「過誤や過失によるものかどうかを問わず」異状死だとしているが,これは法医学的良心に基づいている。ところが,医師法では犯罪性を想定して「異状死の届出先は警察」と定めたために,まったく犯罪性のない患者の死に警察が関与するという世界に類を見ない事態になってしまったのである。

 医学界は,法医学会はもちろん国会にも働きかけて,これら関連法規・ガイドラインに整合性を持たせるべきである。とともに,ここまで医師を悪者にして快哉を叫ぶ世論を冷静に解析して,反省すべきは反省せねばならない。医学の進歩に対して医師が傲慢な過信を抱き,患者を非現実的な期待にいざなっているとしたら,「不幸な転帰」に至ったときの患者の医師に対する怒りは医師が自らまいた種とも言えるからだ。特に,最先端医療を過大にマスコミに宣伝するのは厳に慎むべきである。医療ジャーナリストも勉強不足のきらいがあるが,医師自らが不確実性・危険性・限界等,不利な点も開示するのでなければ公正とはいえない。

倫理は法を超えたもの

 訴訟社会米国から帰り,医療事故になったとき不利にならないカルテの書き方などを講義すると皆さん真剣に聴き入ってくださる。あまりにも無防備で純真な日本の医師には多少の危機管理の知識も必要と思う。しかし,保身を患者より優先させる「防衛医療」をするようになっては米国の二の舞だ。

 私なら,長年診ている高齢患者が回復不能と思われたら,倫理的手続を詳細に記録し家族のサインをいただいたうえで人工呼吸器を取り外すだろう。それで医師免許を取り上げるというなら取り上げるがいい。日本の一市民としての遵法精神は持っているが,同時に,倫理は法を超えたものと信じている。ソクラテスは悠然と毒をあおって死んだではないか。


脳と心と社会

川島隆太(東北大教授・未来科学技術共同研究センター)


脳研究のめざすところ

 人類に残された最後の未開の大地,それが脳である。人間の脳の動作原理を知ろうとする脳科学研究は,ここ20年の間に飛躍的な発展を遂げて多くの新しい知見をもたらしている。しかし,依然として脳科学研究の大目標のひとつである脳と心の関連は見えてきてはいない。大目標への到達をめざして,野心に満ち溢れた若者たちの脳科学研究への参入を心待ちにしている。

 脳研究の楽しさは,最近の一連の分子生物学や遺伝学研究,それに哲学や宗教とも共通点を持っている。私たち人類にとって「人はどこから来て,どこへ行こうとしているのか」を知ることは究極の目標であり,すべての自然科学や人文科学は結局のところこの解を求めるための学問であると言って過言ではない。自然科学分野では,例えば分子生物学は分子や遺伝子のレベルで,脳科学は細胞からシステムのレベルで,この解を見つけるために凌ぎを削っている。

 私自身は,中学生の頃の幼い哲学(妄想・)「人類の最後の時をこの目で見ることによって,自分の存在の意義を知りたい。そのために自分の心をコンピュータに移植して永遠の命を手に入れたい」をいまだに引きずったまま,研究生活を続けている。

脳科学研究を社会に還元する

 学者は学問に対して謙虚であることは当然のこととして,自らの周囲の環境の中でも常に謙虚であるべきと私は考えている。大学で学問を続けられるのは,たとえ競争的に得られたものではあっても,国民の税金を原資にした研究資金であることを忘れてはいけない。研究の結果(偶然)もたらされる知恵や知識が人類全体の幸福に寄与するものであったとしても,自らの知的欲求を満足させるためだけに研究を続けることは傲慢な態度であることを真摯に反省すべきである。

 私たちは,自ら行ってきた脳科学研究成果を,教育や福祉に還元する活動を行ってきている。幸い,国立大学の独立行政法人化によって,このような活動も大学における公的な活動として認められるようになった。

 私たちの活動は,偶然の発見の連続によって,痴呆高齢者の新たな非薬物療法,簡便な痴呆予防方法の開発という形で実を結び,内外に大きなインパクトを与えている。素人ならではの突拍子もない,しかし科学的な裏づけを持ったアイデアであったがゆえの成功と考えている。個人的には,研究で使った税金以上のものを社会にお返しできたかなと思っている。