医学界新聞

 

名郷直樹の研修センター長日記

14R

雑用か役割か?

名郷直樹  地域医療振興協会 地域医療研修センター長
横須賀市立うわまち病院
伊東市立伊東市民病院 臨床研修センター長


前回2601号

□月×日

 最初の3か月のローテートのコマも半ばを過ぎた。この1か月あまりでいったい研修医は何をしたか。あるものは内科へ,あるものは外科へ,あるものは麻酔科へ。病院内の地理をおおよそ理解し,院内で迷うようなことはなくなり,日常の業務にも徐々に慣れ,オーダリングの端末もそこそこ使いこなせるようになり,看護師さんの顔も覚え,覚えられ,早朝の採血の戦力として十分な活躍をし,たまにはどうしても採血できずに看護師の手をわずらわせ,受け持ちの患者を朝昼晩と回診し,指導医の言うがままに検査をオーダーし,検査に付き添い,ルート確保をし,自分が出した処方の間違いで薬剤師に呼び出され,たまには研修センターで本を読んだり,他愛もないことをしゃべったり,自分の受け持ちの患者についてカンファレンスしたり,ジャーナルクラブをしたり,一休みしたり,机に突っ伏して一眠りしたり,一眠りのあと週に1回は当直もするのだが,大部分の時間は地蔵のように指導医の後ろに立ち尽くし,一晩ろくすっぽ仕事もしないのに翌日は睡眠不足で,自己嫌悪,それでも病院中のあちこちの宴会に呼ばれると,睡眠不足だろうがなんだろうが,とにかく食べて飲んで騒いで,さらに寝不足,そのうえ受け持ちの患者さんが重症化したりすれば,何もできなくても朝まで患者さんに付き添い,寝不足というより不眠不休で,よくがんばったとほめられ,ほめられたと思ったら今度はそんなおかげで寝坊し,ほめられた分の十倍は怒られ,でもそんなことはむしろまれで,大部分は単調な毎日,ちょっと私と話す時間なんかもあったりして,自分の研修医時代の昔話をしたり,今の研修の感想を聞いたり,とりとめもない話やとりとめもないギャグにつき合わせたり,そんな毎日(ってどんな毎日?)。久しぶりの自分突っ込み。

 そんな中での研修医のひとこと。

 「雑用はこなせるようになったんですけどねー」

 それに反応したもう1人の研修医。

 「雑用? 大事だよー」

 そういえばそんなコマーシャルがあったな。よーく考えよう。雑用大事だよー。あっ雑用じゃなくて,お金か。よく考えて,お金が大事,なんて不愉快なコマーシャルだ。こんなコマーシャルは,この世から抹殺したい。是非あのコマーシャルのお金の部分を,雑用に変えて放送してほしいものだ。全国の研修医の皆さんへ向けて。

 「よーく考えよう。雑用大事だよー」

 私も話の仲間に入りたくて,そんな歌にのせて話に無理やり割り込む。やさしい研修医たちはちゃんと私を仲間に入れてくれる。

 「よく考えても雑用は雑用っすよ」

 「じゃー,こう問う。雑用とは何かと」

 (なんでもかんでも,~は何か? と問うのがはやっているのだ,というか私がはやらせようとしているだけなんだが)

 「えー? また何かシリーズですか?」

 「そうだ。何かシリーズだ」

 「朝,採血して,指示に従って指示書いて,オーダー出して,そんな感じすか?」

 「それではさらに問う。雑用でないものとは何かと」

 「うーん。実際に,検査計画立てたり,治療方針考えたりってことですか?」

 「なるほど。それではさらに問う。寝るのは雑用か否か」

 「センター長! 意味わかんないっすよ」

 「そうか。わかんないか。雑用というものは,雑用でないものに対して雑用なのだ。故にすべてが雑用であればそれは雑用ではないのだ。今の仕事はすべてが雑用か?」

 「まあそんな感じですけど」

 「それなら,それは雑用ではない,ということではないか?」

 「センター長。そろそろやめませんか?」

 「そうだな。そろそろやめよう」

 そんな時もう1人の2年目研修医が言う。

 「雑用っていうとぱっとしないけど,それは研修医の役割ってことじゃないのかな」

 役割と聞いて,はっとした。大きな組織の歯車として働くなんていやだ,そんな話とちょっと似ている(似てないか)。大きな組織の歯車って考えの反対にあるのは,自分はでっかい歯車で回りをぐいぐい引っ張っていくんだ,そんな考えか。

 診療所での自分自身の仕事を振り返る。自分がでっかい歯車のつもりで空回りしていたころ,自分も周りのみんなと同じ小さな歯車のひとつ,そんな考えが決して受け入れられなかったころ。もちろん今だって完全に受け入れているわけじゃないけど,あのころとはちょっと違う。ほんのちょっとした違いなんだけれど,でも大きく違うかもしれない。でっかい歯車で誰ともかみ合わず空回りするより,小さい歯車で周りとかみ合うのも悪くない,少しはそう思える。

 雑用という言葉に,自分自身を客観視する視点はない,役割という言葉には,自分を客観視しようとする視点がある,と思う。でっかい歯車という考えは,自分がどうかということばかりで,全体を見渡すという余裕がない。そんなふうに考えるとすべては雑用だ。それをちょっと引いてみた時,自分自身を含む全体を見渡してみた時,いくらでっかくたって空回りする自分は恥ずかしい。小さくたってかみ合っている自分は少し誇らしい。どんな状況でも,どんな些細なことにも,研修医には大きな役割がある。小さな診療所の医師に,大きな役割があったように。でも今頃気付いてももう遅い。なんだ,はっとしたのは結局自分のことか。

 大きな役割を捨ててまで,ここZ市にきて5か月。自分の中で何も解決してはいない。まだ何も思い出すことができない。思い出してる場合じゃない。ちょっと落ち込み。


名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。