医学界新聞

 

〔視点〕

Patient or client?

スリングスビーB.T.
東京大学大学院医学系研究科博士課程(医療倫理学)


 この20年間,欧米豪では,医療を受ける人を「ペイシェント(患者さん)」と呼ぶか,それとも「クライアント(お客さん)」と呼ぶか,という議論が真剣に行われてきた。いわゆる「Patient or client?」論争である。この論争は,単にセマンティックス(意味論)の問題ではなく,医療提供のあり方をも決定する重要な論争である。

 最近,日本の医療現場においても「クライアント」という言葉を耳にするようになった。この言葉を使うことで,医療従事者は自分がパターナリズムの信奉者でないことを示すことができるため,医師のプロフェッショナリズムや医療倫理的観点から見たメリットは大きいようだ。ただ,日本の医療現場の状況は欧米豪のそれとは異なるうえ,そもそも日本においては「Patient or client?」の議論もいまだ十分には行われていない。そのような状況の中で,「クライアント」という言葉のみが広がりつつあることは気がかりである。

 まず,「患者」と「クライアント」はそもそも語源も意味も異なる。前者が疾病に罹患している人を示すのに対し,後者はサービスを求める消費者を示す。

 また,医療従事者が,受療者を「クライアント」,つまり「医療サービスの消費者」として接する場合でも一長一短がある。医療従事者が,受療者を「医療サービスの消費者」として接すれば彼らも消費者意識を持つだろう。これにより,受療者は積極的に治療の意思決定に参加することになり,治療成績の上昇も期待できる。ただその一方で,「相手は消費者なのだ」という意識を持つことで,医療従事者が,患者側を「助けを求める一人の人間」というよりもむしろ,「より良いサービスを求める単なる経済的存在」としてみてしまう恐れが出てこよう。

 上記は,「patient or client?」論争における,ごく一部の議論にすぎない。これをみてもわかるように,「クライアント」という言葉を使用する場合でも,まず深い考察が必要となる。つまり,日本の医療現場は,クライアントという言葉だけを安易に使うのではなく,まずは「日本の医療現場に適したクライアント志向とは何か」を考えて行動を起こさねばならないのだ。たとえば,診療の予約をした患者がその時間を過ぎても長々と待たされたとする。この場合,患者が入室したら,医師は必ず「大変お待たせしましたね」と声をかける。こうした受療者への対応が,望ましいクライアント志向の表れの一例である。

 なお,クライアント志向を持つためには,次の2点を常に頭に入れておく必要がある。1つは,クライアントの中に患者だけではなくその家族も含めるかどうかは個別の受療者に応じて判断する,ということである。日本の医療現場において「クライアント」という言葉を使う場合,欧米豪とは異なり,患者本人だけでなく,その家族も含めて使われることが多いように思われるからである。もう1つは,受療者は単なるサービスの消費者ではなく,身体的かつ精神的な医療ケアを求める存在であることを肝に銘じる,ということである。

 結局のところ,「クライアント」という言葉の背景にあるクライアント志向は,各々の受療者が求めている医療のあり方を知ることから導かれるのではないだろうか。


略歴/2000年ブラウン大学卒。ハーバード大学医学部Mind/Body Medical Institute,スタンフォード大学大学院日本研究センター,京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻を経て,現在に至る。