医学界新聞

 

連載

ディジーズ・マネジメントとは何か?

ディジーズ・マネジメントの事例(3)
第7回 日本での実践:職域での取り組み

松田晋哉 産業医科大学教授・公衆衛生学


2592号よりつづく

 ディジーズ・マネジメント(疾病管理)の概念整理については,すでに本連載において坂巻弘之氏が行っているが,それをまとめると以下のようになる。疾病管理という概念は米国のマネジドケアにおける医療費コントロールを背景に,医療資源利用の効率化とともに患者満足度と医療の質向上を目的として発展してきたものである。そして,エビデンスに基づく診療ガイドライン,患者を主体とする医療の戦略により,症状悪化・合併症の防止に重点をおき,相対的な健康改善を目標として,臨床的,人的,経営的アウトカムを評価しようというものである。疾病管理プログラムは現状分析・目標設定,介入,評価という3つのコアから構成されており,それぞれのコアプログラムのためのツールが多く開発されてきている。

 近年,わが国においても,医療費の適正化と療養生活におけるQOLの向上を両立させる方法論として疾病管理に対する関心が高まっており,欧米諸国における諸事業の研究が活発に行われるようになっている。また,米国の疾病管理会社との契約により,わが国での展開を試みている企業も出はじめている。筆者もわが国のこれからの医療制度においては疾病管理的な枠組みが必要であるということに異存はないが,それは必ずしも欧米の仕組みを模するものではないと考えている。これから紹介するように,わが国では職域健康管理の枠組みの中で,これまで疾病管理的な事業が行われてきており,またその方法論も開発されてきている。したがって,まずはこれまでのわが国における取り組みを疾病管理的な視点から整理した上で,わが国の医療制度にあった仕組みを考えていくべきではないかというのが筆者の意見である。

労働安全衛生法に基づく健康管理

 労働安全衛生法(以下,安衛法)では,事業者の責務として,従業員に定期健康診断を提供しなければならず,また従業員はそれを受けることが義務となっている。健診で異常を指摘されたものに対しては,事後措置を行うことも義務化されている。加えて,多くの企業においては図1に示したように,安衛法における法定健診に,健康保険組合の補助によるがん検診などが上乗せで提供されている。そして,健診結果に基づいて,産業医,産業保健師などの産業保健職が健康教育や健康指導を行う体制が作られている。

 2000年度における職域健診の項目とその異常率をみると,第1位が高脂血症(26.5%),第2位が肝機能異常(14.4%),第3位が高血圧(10.4%)というように,いわゆる生活習慣病に関連する異常が上位を占めている。また,2000年から,健康診断で高血圧,高脂血症,高血糖,肥満の4症状(いわゆる死の四重奏)すべてがある者については,労災保険の枠組みの中で精密検査が行われ,その結果に基づいて産業医が就業上の制限などを助言する仕組みとなっている。

 労働者の場合,傷病のために就業制限がかけられることは,夜勤手当の減少など生活設計に大きな影響を持つだけに,そのコンプライアンスは高い。また,産業保健職も予防活動に関する種々のプログラム開発を行ってきており,その成果は日本産業衛生学会などで発表されてきている。以上のように,安衛法における予防活動については,それが充実している大企業等に限定されているという批判はあるものの,一定の効果が示されている1)

日本における職域健康管理とディジーズ・マネジメント

 図2は以上のわが国における産業保健制度の仕組みを,プリンシパル-エージェントモデルを用いて整理したものである。この図に示したように,わが国では産業保健職が事業主と労働者という2種類のプリンシパルの代理人(エージェント)となって健康管理を行っている。そして,この仕組みの中で,種々の疾病管理的なサービスが提供されているのである。前述のように,諸外国の産業保健制度と異なり,わが国の職域健康管理は安衛法のみならず,健康保険組合の提供するその他の健診・検診も含まれることで,一般的な傷病も含んだ幅広い内容となっており,その結果に基づいて企業内外の産業保健職による事後の対応が行われる仕組みとなっている。日本産業衛生学会などにおいて,そのような健康管理の成果が多く発表されているが,その多くはPDCAサイクルに基づく経営手法的な枠組みの中で運用されており,見方を変えれば,日本版の疾病管理プログラムの蓄積が行われてきていると評価できる。例えば,松下電工の伊藤医師は健診結果に基づく循環器疾患発症リスクの評価モデルおよび健康管理用のクリニカルパスの開発を行い,それを自社の従業員の健康管理に活用している1)

 ここで重要な点は米国の疾病管理事業のほとんどが,すでに発症した患者における重症化を予防するものであるのに対し(例えば糖尿病患者における合併症悪化の予防),わが国のシステムの場合,定期健診等で早期の異常が把握されており(例えば早期の耐糖能異常),諸外国に比較して,より軽症レベルでの(したがってその費用対効果も高い)介入が可能であることである。また,生涯健康管理という視点から見ると,30歳台から40歳台の生活習慣病のリスク形成期にいかにハイリスク者に介入できるかが重要である。筆者らの職域での研究結果によると,肥満度,血圧,血糖,血中脂質,血中尿酸値のいずれにおいても異常のない者が,5年後に肥満となっていた場合,そうでない者に比較して有意に高血圧や高血糖のリスクが高まっていた2)。しかも,その影響は30歳未満や30歳台といった若年者ほど大きいことが示唆されており,生活習慣病対策には,この年齢層での介入が重要であると考えられる。職域健康管理の枠組みでは,この生活習慣病におけるリスク形成期にそのリスク評価と介入が可能であり,したがってより効果の大きい疾病管理的モデルの構築が可能である。残念ながら,現行制度では,このような仕組みの構築が可能であるのは職域の健康管理制度のみであるが,まずここでモデル的なプログラムを作成し,それを他領域に拡大していくのは次の段階の課題とするのが実際的であろう。

まとめ――日本版疾病管理プログラムの開発に向けて

 以上,説明したようにわが国においても,すでに職域を中心に疾病管理的な試みが行われている。また,職域においてはこれまでの生涯雇用制度の枠組みの中で,個々の従業員の健康管理に関する時系列データの蓄積も行われている。このようなデータを個人情報の保護に配慮しながら解析することで,わが国の実態にあった疾病発症推計(health risk appraisal)プログラムや疾病管理プログラムの開発が可能になると考えられる。そして,さらに重要なことは,わが国におけるこれまでの蓄積は,今後わが国と同様の高齢社会を迎える他の東アジア諸国における健康管理プログラムにも応用可能であるということである。

 このような視点からも,職域におけるわが国のこれまでの健康管理の取り組みが,再検討されるべきではないかと筆者は考えている。日本の産業保健職が取り組んでいる先進事例については参考文献1)で詳しく紹介している。興味のある方は参照していただければ幸いである。

(参考文献)
1)松田晋哉,坂巻弘之編著:日本型疾病管理モデルの実践,じほう,2004.
2)松田晋哉:個人別時系列データを基にした有所見の発生に関する検討,健康診断の有効的活用に関する評価調査研究最終報告書(平成11年~12年度・厚生労働省委託研究 労働安全衛生に関する調査研究),2000.


松田晋哉氏
1985年産業医大卒。91-92年フランス政府給費留学生(フランス保健省公衆衛生監督医見習い医官),92年フランス国立公衆衛生学校卒。93年医学博士(京大)。99年3月より現職。専門領域は公衆衛生学(保健医療システム,産業保健)。