医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第46回

医学的無益(medical futility)をめぐって(1)
評 決

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2599号よりつづく

 キャサリン・ギルガン(71歳)が自宅で転倒,大腿骨を骨折したのは1989年5月のことだった。しかし,大腿骨骨折で以前に手術を受けた経験があったにもかかわらず「骨折」だとは思わず,キャサリンは,自宅で様子を見ることにしたのだった。もともと,糖尿病,パーキンソン病,脳卒中,乳癌と,多数の既往疾患を抱え,健康というにはほど遠い状態だったが,いよいよ状態が悪くなってマサチューセッツ・ジェネラル・ホスピタル(MGH)に入院したのは6月7日,転倒後ひと月が経過してからだった。

 入院後病状が改善したキャサリンだったが,9日目にけいれんの大発作を起こすようになった。治療チームはけいれん発作を抑えるためにあらゆる手を尽くしたが,けいれんは治療に抵抗,おさまるまでに2週を要した。その間に,キャサリンは人工呼吸器につながれたが,けいれんがおさまった時点での医師たちの「病状評価」は,「脳障害は広範であり患者の意識が回復する見込みはない」というものだった。

「DNR」の指示と患者・家族の同意

 家族を代表して医師たちと折衝に当たったのは,娘のジョーン・ギルガン(30歳)だった。ジョーンは,「母は,いつも,医学的に可能なことは何でもしてほしいと語っていた」と主張,医師たちに人工呼吸器の使用も含め,延命治療を継続することを強く望んだ。

 医師たちはジョーンの希望を容れて延命治療を継続したが,数週後「これ以上の延命治療は無益(futile)」ということで意見が一致した。MGHの倫理委員会も治療チームの判断を支持,主治医が,「DNR」の指示をカルテに記載したのは7月5日のことだった。

 DNRとは「Do Not Resuscitate(蘇生禁止)」の略であるが,癌の末期など救命の可能性が望みえない患者に「不要・不適切」な心肺蘇生を行わない(註1)ことをいう。本来ならば,患者・家族の同意を要件とするが,キャサリンの例では,家族が同意していないことは重々承知したうえでDNRの指示が出されたのだった。キャサリンの場合,DNRの指示は,具体的には,「延命処置(=人工呼吸器)の停止」を意味したが,ジョーンから強い抗議を受けた主治医は,「家族の意思が固い」と,2日後にDNRの指示を撤回した。

医師・病院の判断で治療中止が可能との評決

 やがて,月が変わるとともに治療チームが変わり,ウィリアム・デクが新たな主治医となった。デクは,ジョーンに,これ以上の延命治療継続は無意味であると改めて説明したが,ジョーンは,DNRの指示を受け入れることを頑として拒否した。それだけでなく,ジョーンは,デクとはもう話さないと,対話の継続さえも拒んだのだった。

 家族の同意を得ることができなかったデクは,DNRの指示の妥当性について再度倫理委員会に諮った。倫理委員会の委員長エドウィン・カセムは「この患者に蘇生処置を行うことは医学的に禁忌であるだけでなく,非人道的・非倫理的である」と,DNRの適切性を改めて支持した(註2)。

 倫理委員会の同意を得てDNRの指示を出したデクは,次に病院の弁護士と相談,「法的に問題はない」とのお墨付きを得た。8月7日,デクは,ジョーンの同意を得ないままに,呼吸器の離脱を開始した(註3)。

 一方,「母親を救わん」と,ジョーンは法的手段に訴える道を探ったが,力になってくれそうな弁護士は見つからなかった。さらに,母親の転院先も探し始めたが,転院先は容易に見つかりそうになかった。ジョーンの「母親救命」の努力も虚しく,呼吸器の離脱が開始されてから3日後の8月10日,キャサリンは絶命した。

 家族の意向を無視して母親の延命治療を中止したことは過誤に当たると,ジョーンは,MGHとデク,カセムの2医師を相手取って損害賠償訴訟を起こした。裁判では,「家族の治療継続の要求に対し,医師・病院が,要求は無益との判断の下に,一方的に治療を中止することができるか」ということが争点になったが,キャサリンの死後6年近くが経過した95年4月21日,陪審は,「病院,医師に非はない」とする評決を下したのだった。

この項つづく

註1:救命の可能性のない患者だけでなく,高齢者などが,「尊厳死」の観点からDNRを希望することも多い。しかし,たとえば,救急医療の場で意識のない患者にDNRの意思を確認することは難しく,本人の意思に反して蘇生処置が施行されることが多く問題になっている。蘇生を望まない人が蘇生処置を受けることがないようにと,マサチューセッツ州では,DNRを望む高齢者に,DNRの意思が明示された腕輪を提供している。

註2:倫理委員会は家族からの意見聴取は一切行わなかった。

註3:デクは,裁判で,「家族に電話し,口頭で呼吸器を離脱することの同意を得た」と証言したが,家族の誰から同意を得たか覚えていなかったし,カルテにも「同意を得た」とする記載はなかった。

■李啓充氏による待望の新作,10月初旬発売

『市場原理が医療を亡ぼす──アメリカの失敗』
ビジネスの論理は医療をどう歪めるか? 市場主義者たちの改革議論を正面から斬る!

 頻発する株式会社病院の「犯罪」,財力に基づく凄惨な医療差別……,市場原理の下で,米国医療はどうゆがめられてきたか?! 米国の事例を紹介しつつ,「混合診療解禁」,「医療機関経営への株式会社の参入容認」など,市場原理主義者らが声高に唱える改革論議を正面から斬る,著者入魂の一冊。

 好評だった弊誌連載記事を,日本での規制改革の動きをにらみながら,大幅に加筆・修正。さらに「混合診療厳禁論」など,新たな書き下ろし作品を加えた。これを読まずして医療改革は語れない・

(四六判 並製 280頁 定価2100円)

<目次>

 第1部 市場原理の失敗──反面教師としての米国医療
 1)ウォール・ストリート・メディシン──株式会社病院の「犯罪」
 2)シンデレラ・メディシン──無保険者残酷物語
 3)利害の抵触──コーポレート・グリード(企業の欲望)が歪める医療倫理
 4)神の委員会──公正な医療資源の配分をめざして
 5)医療過誤──市場と訴訟に基づくシステムの失敗
 番外:混合診療厳禁論──私的体験に基づいて

 第2部 医療制度改革が目指すべきもの──銭勘定でない改革論議のススメ
 1)日本の医療費は過剰か?
 2)先送りされる高齢者医療保険制度の改革
 3)市場原理の導入は日本の医療を救うか
 4)保険者機能強化は日本の医療を救うか
 5)EBMをコスト抑制の具とする滑稽──EBMを巡る憂鬱
 6)手がつけられるところから始める医療改革──患者アドボカシー
 7)日本の医療は守れるか──第一線で活躍する医師との対話

 あとがき ビジネスの論理 vs 医療の倫理