医学界新聞

 

投稿

この国の剖検の行方

伊藤康太(ベスイスラエルメディカルセンター内科レジデント)


 日米に医学を学ばせていただいている内科医のひとりとして,米国の文化に接触し,同時にわが国のアイデンティティを自覚することは,なにより素晴らしい経験です。とりわけ剖検を取り巻く米国の現況は,同国の医療システムの縮図であり,重要な教訓を含んでいると考えます。

非剖検との闘い

 JAMAの編集者George D. Lundbergがその紙面上,「非剖検(Nonautopsy)への宣戦布告」を声明したのは,1980年代初頭のことです。しかし時代は剖検への大逆風の真っ只中,米国の剖検率は1950年代の50%をピークに,1971年以降20%台へ急降下し,1994年時点で6%まで落ち込みました。Lundbergは米国の剖検が「瀕死」の状態であると同時に,医療のクオリティが未曾有の危機にさらされていることを認めています。

 昨年にはShojaniaらが,臨床診断と剖検診断との乖離を論じた後ろ向き研究をまとめ,興味深いmeta-analysisを発表しました。過去40年を溯って英文ジャーナルに発表された45編の論文を分析した結果,現在においてもなお,剖検率5%(ほぼ全米平均)の条件下で,原疾患もしくは主要な死因が見落とされている確率は23.5%,そのうち3分の1は,生前に正しく診断できていれば患者さんの予後,アウトカムに影響を及ぼすものであろう,という注目すべき結論を導いています。William Osler卿の「医学は不確実の科学であり,推測の芸術」という言葉は,21世紀においても生きているようです。

 医療のクオリティとは,何によって保証されるべきものなのでしょうか。診断技術のさらなる進歩,それとも先端治療の新たな開発でしょうか。答えはそのどちらでもなく,医師自身の「誠実さ(honesty)」にあるとLundbergは述べています。そしてその歴史的な象徴であったものが剖検です。医師である自分を信頼し,そして亡くなっていった患者さんに対して行ってきた診療を,自らの両眼で正すことは,最も力強く謙虚な行為です。過去50年間でAIDSをはじめとする数千の病態が理解されてきたことも,私たちが当たり前のように用いる医療テクノロジーの妥当性が確認されてきたことも,すべては剖検台からはじまっているのです。

 ところが,17年間に及んだJAMAの「非剖検との闘い」は,1998年Lundbergの突然の解任という形で,あえなく終戦を迎えることとなります。

米国の剖検はどこへ?

 米国の医師たちが根強く抱いているのは,医療過誤訴訟の際に剖検が不利な材料として用いられることへの懸念です。この点については米国病理学会が,米国全土から集められた医療過誤訴訟99例を詳しく検証しています。結果は,仮に臨床診断と剖検診断とに大きな乖離が認められた場合であっても,それらは判決の行方に有意な影響を与えなかったということでした。つまり,重視されたのはケアの質そのもので,原告・被告両者にとって剖検結果はきわめて中立的なものであり,医師たちの懸念が根拠に乏しいものであることを指摘しています。

 コストカットの圧力も見逃すことはできません。米国における現行の私的医療保険では,剖検はカバーの対象とならないため,剖検1件にかかる費用400-3000ドルは,一般的に病院側の負担となります。対してメディケア制度では,病院側は剖検を1件行おうが100件行おうが,ある一定額の還付を受けられる仕組みとなっており,その還付金は病院側がどう使おうと黙認されている状況にあります。つまり純粋に病院運営上の観点から,本来は剖検に用いられるべきコストが,病院にとってのドル箱であるハイテク医療機器の維持費へと流用されていたとしてもおとがめなしなのです。「剖検率を抑えるほど病院は儲かる」というからくりです。

 JCAHO(医療施設評価合同委員会)が1971年に各病院へ課していた剖検率20%のノルマを破棄したこと,NIH(米国立衛生研究所)が剖検検体を用いた臨床研究への補助金を削減しつつあったこと,NCHS(米国立保健統計センター)にいたっては経済的理由から1994年を最後に全米の剖検データの収集・管理業務を放棄してしまったこと,などの国策上の転換もネガティブに作用したことが考えられます。

 忘れてはならないのは,今日の米国の健康政策を支える死亡統計や疫学研究のほとんどが,剖検データではなく,死亡診断書やカルテから抽出したバイアスに満ちたデータに依存していることです。剖検によるValidation(妥当性の評価)の過程を省いた臨床試験のそもそもの信頼性についても,すでに数々の専門家が憂慮を表明しています。剖検の一部義務化,経済的補償の強化,国立の剖検センターの設置など統合的なアプローチが急務であることは,ここ数年訴えられているようですが,国としての対応がいまひとつ見えてこないのが現状です。

“She's dead, it's over."

 修行中の身である筆者が,剖検から学んでもっともよかったと感じることをあげるとするならば,臨床的な想像力が拡がったことかもしれません。

 米国の研修医の多くは,剖検への学究的意欲を失いつつあります。筆者の所属する100人規模の内科プログラムで,自分の担当患者さんを剖検台の上までフォローした経験のあるレジデントは,両手で足るほどの人数です。全米の臨床研修を監督するACGMEはかつて,すべての内科プログラムに対し最低15%の剖検率を要求していました。しかし1995年時点で全386プログラムのうち実に51%がその要求を満たしておらず,2002年以降ACGMEは到達目標から具体的な数字を排除し,「可能な限り剖検を行うこと」と漠然とした表現へと置き換えました。米国の医学部卒業生の3分の2は剖検への立ち会いの経験がなく,全米127の内科もしくは小児科プログラムのチーフレジデントの50.1%が,実際の剖検手技に関する深刻な知識不足を認めているとのことです。

 米国における医師のイメージは,時代とともに変化してきました。そして今日,患者さんの診療を進めていくのは,1人の医師でなく,1つの大きなチームです。さらに,ホスピタリスト制の台頭,疾患別に厳しく制限された在院日数,専門診療の超細分化,勤務形態のシフト制などの要素が絡み合った結果,1人の医師によるケアの継続性が昔ほど重視されることはなくなり,主治医でさえ患者さんにとって見知らぬ人である場合も珍しくありません。米国的還元主義の実現の陰で失われつつあるもの,それは,かつて医療の中心であったはずの患者さんや家族との対話なのかもしれません。

 「死=医学と医師個人の敗北」と教えられた研修医が苦悩するのは,臨終の場面,家族へ剖検の許可を仰ぐことです。剖検の目的と意義を明快かつ思慮深く示す技術は臨床医にとって大切な能力ですが,これについて系統だった訓練を受けたことのない臨床医が私を含め,大半です。事実,患者家族が剖検同意書への署名を拒否したとされたケースの46%は,こうした医師がきちんとした説明もない(おそらくできない)まま,独断でキャンセルしていたものであった,という誇れない数字まで報告されています。この問題に関しては,米国病理学会が臨床医向けに教育的な指針を作成しており,国境を越え有用と思われます
http://www.cap.org)。

 Welshらは剖検再興の鍵は,「研修医」が分断された「ケアの継続性(Continuity of Care)」を回復させることにある,とはっきり指摘します。昨今すっかり批判の的となっている日本式臨床研修の伝統的な主治医制度ですが,日本の研修医が患者さんや家族と過ごす時間が圧倒的に長くそして深く,彼らがいわゆる「ケアの継続性」を立派に務め上げてきたことは,紛れもない実感です。とくに終末期医療においてその意義は一層際立ち,研修医の方々にはそれを誇りに思っていただきたいのです。

日本の剖検の行方

 剖検率の低下は,国策として剖検を保護する一部の国家を除き,もはや全世界的な傾向です。日本の場合も例に漏れず,1972年の63.5%から1995年時点で20.9%へと低下を認めており,今後米国に追従するような事態が生じるか否かの分水嶺に立っているとも考えられます。

 かつての日本社会がそうであったように,「もはや米国から学ぶものなし」と結論を急ぐことは,日本の医療の成長を阻むことにも繋がりかねません。米国には,時代を捉える先見性とそれを統合的に分析する戦略性があります。ここぞ,という場面で必ず歴史的な大転換を自力で行ってきた彼らが,これからの剖検にどう道筋をつけていくのか,注目していきたいと思います。日本には,世界に誇る剖検研究Hisayama Study※を生んだ,素晴らしい文化的土壌と医師の情熱があります。時代は超高齢化社会の幕開けを迎え,これからの剖検研究も,時代の要請に呼応する形で発展していく可能性を秘めています。とくに高齢者を対象とした剖検研究は,ようやくスタート地点に立ったところです。高齢者への医療のあり方に関しては日米を問わず,実はまだしっかりと確立していない部分が数多くあり,世界的拡がりをもつこの問題に関し,私たちは活発な提言を行うことを期待されているのかもしれません。

 日本の剖検の行方は,日本の臨床医ひとりひとりの「誠実さ」に委ねられています。

(本稿は筆者が当院内科研修医を対象に行った発表を,日本の研修医の方々へ向け新たに修正したものです。数々の剖検への立ち会いをお許しいただき,本稿の母国語での出稿を勧めてくださったJohn R. Protic先生に感謝申し上げます。)

※編集室注:九州大学第2内科による,福岡県久山町における脳卒中,虚血性心疾患,糖尿病,悪性腫瘍などをテーマに行われている疫学調査。亡くなった患者の8割について剖検を行っており,世界で最も精度の高い生活習慣病の疫学調査と言われる。


伊藤康太氏
1998年東医歯大卒。横須賀米海軍病院,三井記念病院内科にて初期研修を修了。東医歯大総合診療部非常勤講師を兼務後,2002年渡米し,現在Beth Israel Medical Center内科レジデント3年目。2005年度Harvard Medical School, Division on Agingの老年病学クリニカルフェローに内定している。