医学界新聞

 

日本型研修へのみちしるべ

第2回 デジタル医療VSアナログ医療

編集:桑間雄一郎
ベスイスラエルメディカルセンター内科/アルバートアインシュタイン医大アシスタントプロフェッサー


2572号よりつづく

 今回は米国のデジタル医療対日本のアナログ医療における医師研修という観点で皆さんに論じていただきます。デジタル医療とは,ガイドラインや指導要綱マニュアルなどのルールが重視される医療を意味し,その中ではコンピュータがプログラムに従って動くごとく,指導医も研修医もさまざまなルールを追いながら研修が行なわれます。一方でアナログ研修とは,明文化されたルールが少ない環境下で,指導医の経験や直感に基づいた個人裁量を徒弟的に伝達することに大きく依存する研修です。
 日米双方の研修を経験すると,デジタルとアナログの双方に利点と欠点があることが実感されます。日本の研修制度整備には,アナログの利点を失わない形でデジタルの利点を導入したいものです。(桑間雄一郎)


■ルール化された米国医療の利点

膨大な数のガイドライン

桑間 経済でも,法律でも,医療でも,米国に来て日本人ならば誰でも強く感じることは,何から何まで,よくもまあこれだけルールを整備しているなということです。
 医療および医学教育にもたくさんのルールが定めてあります。診断や治療のいわばルールと捉えることもできる膨大な数のガイドラインが存在しますし,レジデンシープログラムなどの医師研修プログラムには,研修内容の詳細なカリキュラムが研修のルールとしてマニュアルになっています。
上村 米国の医師研修への私の期待は,しっかりとした標準的医療を叩き込んでくれるということです。系統立てられた病歴聴取,診察,検査で正しい診断をつけ,その病気のガイドラインに沿った標準的な治療法を実践する。このプロセスを何度も議論してドリルとして繰り返しながら,いつのまにか正しい医療を条件反射のように身に付けていく。初期トレーニングとしてたいへん効果的です。
 私は小児科ですが,病気のマネジメントだけにとどまらず,1人の小児患者さんの育つ環境までを視野にいれた全人的な医療をドリルとして繰り返します。最近日本でも社会問題化されはじめた,「児童虐待からいかに小児を守るか」といったテーマも小児医療の基本として叩き込まれます。
新明 系統立てられた病歴聴取,診察,検査のプロセスを1つずつ踏んでいくことは大変です。しかし,このプロセスを繰り返すトレーニングを積み,医師としての能力が高まるのを感じると,1つひとつのプロセスを詳細に診療録にまとめながら丁寧に診療をし続けることの大切さをしみじみ感じます。米国で感心するのは,多くの病気へのこれら1つひとつのプロセスがガイドラインに結構細かく書かれていて,いい加減なことはしにくいことです。

指導医の経験による部分の大きい日本の研修

新明 指導医のクセをいかに治療に反映するかに専念している日本の多くの研修医との態度の違いを感じます。指導医のクセというのもエビデンスに基づいて入ればいいのですが,日本の教育病院の絶望的に忙しい日々の診療のなかではなかなかUp to Dateを保つのも難しい状態のようです。研修医時代の修羅場の終わりが明確ではなく,いつまでたっても過労死と隣り合わせのようなところがありますから。
八重樫 そうですね。日本では指導医が自らの経験と病態生理の知識に基づいて治療方針を決めるので,各施設・医局によって同じ疾患に対しても治療方針がばらばらです。私が日本の研修医だった時,自分の患者の治療を文献やガイドラインに基づいて改善しようと思っても,「研修医だから」という理由で聞き入られないことも多々ありました。もちろん,指導医の面子を潰さないような言い方でオブラートに包んで言ったのですが……。
 米国では,論文やガイドラインを基に議論をする共通の基盤があるので,言い出したのが研修医であれ,それが現在最良の治療方針であれば通ります。もちろん,アメリカでも特に指導医と意見が異なった場合は言い方を考えますが。

「神技」はその先の話

西堀 私は放射線科を日本で研修しました。思い返すと,日本のすごい先生の画像診断読影や血管造影の技術は神技のようでした。「こんなことまでわかるのか」といった判断を,いわば直感でしていきます。しかし神技を論理的に説明してくれるという雰囲気ではなく,研修医はそれを盗み見て学ぶというのも研修の1つという感じでした。
 それに比べて,米国の放射線科では,研修医の最低限の到達目標が明確に示されており,誰もがわかるスタンダードな読みを議論で論じられる範囲で行なっていると感じます。議論で説明がなされるので研修医にも理解できます。直感的ではなく論理的ですから,普通の実力を効率よくつけていくのにはよいと思います。もちろん神技の偉大さはあるのでしょうが,それは基本的な実力がついた先の話だと思います。
本郷 そうですね。日本にいた時に,「わたしの治療」ではなく「みんなの治療」をしなさい,と恩師に言われたことを思い出します。
桑間 日本の名医の神技は確かにすごい。米国のマニュアルをすべてそろえても日本の神技にはかなわないことは多いと思います。しかし,神技をなす医師はほんの一握りで,あとは基本もできない落ちこぼれになってしまうのが日本の問題点です。視野を大きくすれば,日本の医療を支えているのはごくごく一部の神技名医ではなく,その他大勢の普通の医師たちなのですから,普通の医師の標準的能力が日本の医療全体のレベルを左右すると考えるべきです。
 その点,基本的なことをガイドラインや議論の形で明文化し,誰にもわかる形にルールとして定め,より多くの医療従事者が実践を試みる米国風は,日本の問題点を解決するヒントになります。アナログ的日本風とデジタル的米国風の,それぞれの利点欠点を見極めながら,是非ともよいとこ取りをしたいところです。
西堀 米国医師研修制度のデジタル的利点をもう1つ。それは指導医と研修医間の評価システムです。一緒にチームを組んだ期間の終わりに,必ずお互いにフィードバックし合うことは,医師のたゆみない精進にとって重要なことです。得意不得意を省みずに漫然と時を過ごすのと,自分の弱点を認識して克服する努力を続ける医師の人生では,成長速度が大きく違ってくると思います。評価の書式には,医師にとって必要な複数の素養項目が整然と書かかれてあり,フィードバックもシステマティックです。これは日本でも広く取り入れてほしいものです。
 弱点の指摘は,決して人格を否定するものではありません。より素敵な医師になるためのヒントと捉えてほしいものです。スポーツのスイングを他人に見てもらい,よい点と悪い点を指摘してもらうと上達が早いのと同じです。

◆議論のポイント
 「普通の医師の能力」が医療の水準を決めていく。日本の研修現場は,名医を育てることも大切だが,基本的な診療について誰にでもわかるルールを整備したうえで均質なトレーニングを行なうことも考えるべきだ。

■デジタル医療の暗い現実

問題の本質を忘れがちな米国医療の側面

桑間 これまでは米国風デジタルの利点を中心に話を進めてきました。しかし,デジタルには柔軟性に欠くマイナス面があります。案の定,米国の現実面ではデジタルがゆえに困ることも多々あるのは事実です。欠点まで真似ないようにしながら参考にするのが賢明ですから,今度は皆さんが日々感じる問題点に焦点をあててみたいと思います。
村島 米国に来て感じたことですが,患者さんの全体像に基づいた診療方針決定があまりできていないのではないかという点があります。
 例えば末期の肝硬変の患者さんの高血圧治療薬の選択をめぐって,一般高血圧の治療ガイドラインの話に時間を取られて,全体像からはどうでもいいような些細な薬の選択にエネルギーを注いでしまうことが度々あります。どうしてこんなことを一生懸命考えるのかなと疑問に思うことが少なくありません。肝硬変に伴う門脈圧亢進症への対処方法の議論として,ベータ・ブロッカー薬を論ずるなら理解はまだできますが,一般高血圧の話に力をこめて,その患者さんの飲酒をどうやって止めさせるかというような最も大切なことに話が及ばないと空しくなることがあります。ガイドラインにデジタルでしっかり書かれている事項を1つひとつ紐解くのに気をとられて,明らかに直感として感じる重要な問題点が,吹き飛んでしまうのです。
新明 ガイドラインやEBMはあくまでも手段なのであって,それ自体が答えではありません。これらは目安として使うものであり,患者さんから受ける印象,自分の医師としての経験といった,アナログ的感性も同様に重視しなければなりません。あまりにもガイドラインとかEBMに気をとられすぎると,直感がにぶって全体像を見失う危険がありますね。米国の医療でよく起こることだと思います。

ガイドラインの使われ方

八重樫 その一方で,ガイドラインが必ずしも米国の医療現場に浸透していない事実にも触れる必要があると思います。個人の医師の治療方針を実践する際に,その理由付け目的で,複数のガイドラインの,都合がよいところだけのつまみ食い的引用が行なわれていたりもします。われわれ研修する医師が身を置く教育病院でもガイドラインの浸透度は低いと感じるのですから,一般の医療機関ではガイドラインが存在するだけでほとんど実践されていないと米国でも報道されるのは合点が行きます。
本郷 多種多様な民族で構成されるニューヨーク市の社会的バックグランドの影響は大きいと思います。日本にいては想像できにくいことですが,さまざまな民族の文化や考え方の違いはかなり大きいと思います。ガイドラインという明文化された共通の指針がないと,社会がまとまりにくくなりがちです。これも米国の一面なのです。訴訟社会でもある米国では,医療従事者を訴訟から守る手段としてガイドラインが存在しうるという側面もあるのかもしれません。医療訴訟の詳しいことは私にはわかりませんが。
 医療訴訟のマイナス面は医療経済面においても大きなインパクトを与えています。米国医療費の約2割は,訴訟を防ぐための検査や治療,すなわち検査したり治療したのにうまく行かなかったのだからやむを得ないという防衛的な言い訳づくりを目的とした医療に使われているという人もいます。
全員 (うなずいて)ニューヨークの医療現場での実感では,5割といってもいいのではないかと思いますね。

行きすぎたデジタル研修

桑間 指導医の配置もデジタル的です。指導医はたくさんいて,病院のあちらこちらで普段は診療を担当しています。これらの医師が寄せ集められて指導医として機能します。
 例えば,普段私は一外来診療部門で診療していますが,年に合計2か月ぐらいの期間に限って研修医と医学生の指導義務を課せられます。指導医を担当する時期の希望を年度の初めにコンピュータで登録し,あとはコンピュータが自動的に指導医の当番表を作成していくのです。「あの研修医の性格からすると,あの指導医がいいだろう」などという,きめ細かな配慮で指導医があてがわれているわけでは決してありません。
 また,各指導医には最低限網羅しておきたい基本的疾患名と教育内容のリストが前もって配られるのはよいのですが,病棟に入院してくる疾患の種類には偏りがあるのが現実で,カリキュラムの項目のごく一部だけしか指導できません。指導期間がある程度長ければ,経験できなかった疾患を覚えておいて,後に患者が現れたらすかさず研修医を集めて指導するということもできるでしょう。しかし,次の月になれば自動的に別の指導医へバトンタッチ,その段階で指導はぶち切れになります。もう少し継続性の高い指導体制であるべきです。
新明 1か月という短期間ごとのチーム交代だと継続性が保ちにくいのは確かですが,米国でも,中には教育のスタイルに魅力のない指導医もいるわけですから,研修医がそのバトンタッチの時期を待ち望む気持ちになることもないわけではありません。西堀先生のコメントのように,その際フィードバックは欠かせないと思います。
 さらには,研修医がたくさんの指導医と接することで,自然と他の指導医と比較されるわけですから,指導医もより熱心にならざるを得ないところがあります。同時にいろいろな指導医に接することによって,教育スタイル,患者さんとの接し方などを幅広く学ぶことが可能になります。また,研修医間で教育し合うことも重要で,2-3年目が1年目を教えるような状況を多くつくるべきだと思います。チームで学ぶことは多くあります。
八重樫 プロシージャーブック(手技手帳)はデジタル的米国研修の象徴です。例えば各部位の中心静脈カテーテル挿入を許可所持者監視の下で3回やると,その部位の中心静脈カテーテルを1人でやってよいという許可がおります。研修医は自分の行なった手技を,許可が下りるまで患者名と監視者名を病院のコンピュータシステムに入力しつづけて症例数をためなければなりません。どの研修医が医療手技を何回やって許可をとったかはコンピュータで管理されています。
 コンセプトはよいのですが,手技をするたびにコンピュータ入力しなければならずたいへん面倒です。たった3回の中心静脈カテーテルのために多大な手間をかけても,たった3回だから,許可をとっても実際にはたいしてうまくはない。指導できるほどの技量でないことがほとんどです。気軽に症例数をこなしていく日本のほうがずっと早く上手になります。とにかく米国の病院ではペーパーワークが多すぎて,手を動かす技術はそれほどうまくなれない気がします。デジタルシステムの面倒が邪魔をしている面もあるのです。

日本独自の,現実的なルールづくりが必要

桑間 日本人が米国のマニュアルに書かれた詳細なルールとコンセプトに出会うと感銘を受けることが多いですね。しかし,米国は今までにも述べてきたように超分業社会です。マニュアルづくりをする人と,マニュアルに従って実行する人は分業で別々の人たちなのです。
 マニュアルづくりの人たちは,夢のような高遠なコンセプトをコンピュータのプログラムのごとく理想論で書き上げます。自分が実行する立場にありませんから,夢物語が実現するか否かは責任外と考えて真剣さに欠ける面があります。一方で,マニュアルを渡され実行しなければならない立場の人たちは,現実とかけ離れた夢物語のマニュアルには目配せをする程度で,はじめから諦めている面があります。
 結果として高い理想のコンセプトと現実レベルの乖離という米国特有の病理が医療教育現場にもあるのです。日本が米国を参考にする場合には,夢物語で書かれたマニュアルのどの部分なら無理なく実現可能なのかを真剣に取捨選択していかなければなりません。
新明 ガイドラインづくりでも日本の独自性は必要でしょう。人種間での薬理代謝の違いなどはよく報告されているので,海外発のエビデンスを鵜呑みにするのではなく,質の良い,日本人対象のFollow up Studyも必要になるでしょう。実際に米国では日本で報告された抗がん剤の有効性などについて,使用する前に独自にStudyをやり直すことがあるようです。このような作業はお金も時間も労力もかかりますが,大事な頻度の高い疾患のガイドラインをつくる際など,結果的には福祉にかない,医療費の削減につながるかもしれません。

◆議論のポイント
 米国の医療現場ではルールが整備されすぎるあまり,本質的な問題の見落としや非効率的な研修などデジタル医療のマイナス面も垣間見える。日本の医療現場では,ガイドラインやマニュアルを慎重に取捨選択し,現実的な医療・研修が実践できるための配慮が必要だ。


桑間雄一郎氏
1987年東大卒。1987年-1993年東大第1外科で外科医としての研鑚を積んだ後,1993-97年ニューヨークベスイスラエルメディカルセンター内科レジデント。1997年一時帰国し,東京海上メディカルサービス,日医総研に勤務。この間東大非常勤講師も務める。2000年再び渡米し,現在に至る。

コメンテーター紹介
上村正義氏
1998年東邦大卒。沖縄米海軍病院,国立岡山病院小児科を経て2001年7月よりロングアイランドカレッジ病院小児科レジデント。2004年7月よりシカゴ大新生児科フェロー開始予定。
新明裕子氏
1999年聖マリアンナ医大卒。横須賀米海軍病院,川崎市立川崎病院小児科を経て2001年よりコロンビア大学病院,セントルークス・ルーズベルト病院およびMemorial Sloan-Kettering Cancer Centerで内科研修中。
西堀大我氏
1999年北大卒。横須賀米海軍病院,北大放射線科を経て,2002年よりベスイスラエルメディカルセンター内科レジデント。
本郷偉元氏
1996年東北大卒。沖縄県立中部病院などを経て,2001年よりベスイスラエルメディカルセンター内科レジデント。2004年7月よりバンダービルト大にて感染症科フェロー開始予定。「太平洋を渡った医師たち」(医学書院)へも寄稿している。
村島美穂氏
2000年京大卒。舞鶴市民病院内科研修医を経て2003年よりPennsylvania Hospital of University of Pennsylvania Health Systemレジデント。
八重樫牧人氏
1997年弘前大卒。亀田総合病院,沖縄米海軍病院での研修を経て2000年よりセントルークス・ルーズベルト病院内科レジデント。2003年よりニューヨーク州立大ダウンステート校呼吸器・集中治療内科フェロー。