医学界新聞

 

【投稿】

エイズ問題の今

岩田健太郎(北京インターナショナルSOSクリニック)


エイズに与えられたイメージ

 エイズという病気が初めて見つかったのは,1981年,米国でのことです。それから20年以上が経過しました。
 私がエイズにかかわりはじめたのは1992年のことです。すでにエイズ発見から10年以上たち,エイズは世界中の大問題になっていました。私はその頃,エイズの抱える医療の問題,社会の問題に取り組んでいました。ボランティア団体,「エイズから社会を考える会」が島根医大(現島根大学医学部)の学生を中心に作られ,地元の方たちを中心にエイズという病気に関する知識の啓蒙や,性教育のようなこともやっていました。
 当時はエイズというと「死の病」であり,末期の癌のような,そういうコンテクストで呼ばれたものです。エイズ=怖い病気,であり,その名称が社会に与えた恐怖,パニック,ヒステリーの量はとても大きなものでした。エイズの感染経路はいろいろありますが,特に性行為感染症としてのエイズは,また別の特殊なイメージをわれわれに植え付けました。
 エイズ発生初期には,米国ではエイズは同性愛者中心に感染するものだと思われていました(後に,異性間でも感染することが知られ,またそのようにして感染する患者さんの数も増えるようになります=図1)。当時は,米国でも日本でも同性愛というのはネガティブなイメージを持っていました。これがエイズという病気に,さらなる付加的なイメージを与えました。エイズはこのようにイメージにイメージが重なり合って,実物以上の怪物になっていったのです。

研究と治療法のめざましい進歩

 しかし,米国を中心とした医学研究の進歩は事態を一変させました。エイズほど大量の優秀な研究者や研究費を使って研究された感染症を,他に知りません。例えば,以前から知られているマラリアや結核といった感染症の研究は,エイズと比較するとなんと遅々たるものであるか。こうして,エイズの病原体であるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)は,その構造,感染経路,遺伝子情報などをあっという間にあらわにし,またたく間に大量のHIVに対抗する薬が開発されたのです。現在,市場に出回っているエイズの治療薬は,合剤などもあるため数え方は難しいのですが,約20種類あります。アデフォビルのようにエイズの治療薬として開発されたものの,実用化には至らなかったものもあります。その間,1981年から20年以上,例えば結核のための新薬は開発されてはいません(他の感染症のために開発されたものや亜形を除く)。米国を中心に巻き起こったエイズパニックは,凄まじい逆流効果を起こして社会を突き動かし,医学界を突き動かし,ものすごい勢いでその研究は進歩したのでした。歴史上例のないことです。
 現在,エイズの治療法は格段に進歩し,あれほど病棟にいたエイズの入院患者は一掃され,みな外来でケアされるようになりました。余命が伸びたために,最近では糖尿病や高コレステロール血症など,これまでは考えもしなかった,いや,考えることなどできなかった合併症に悩むくらいです。治療法もどんどん進歩し,改善され,治療のガイドラインもどんどん改定され,いまや1年に数回も新しいガイドラインが出ています。多くの疾患の治療ガイドラインが数年に1回,時に十数年に1回しか改定されないことを考えると,これは驚異的なことであります。

途上国では治療へのアクセスが困難

 一方,その洗練に洗練を重ねたエイズの治療薬ですが,実は感染者の90%以上には手の届かない存在です。アフリカなどの途上国では,いまでもたくさんの方がエイズのために亡くなっていますが,彼らには,この劇的に進歩した治療の恩恵に授かる権利は与えられていません。そこでは600万人という膨大な数のHIV感染者がおり,そのうち薬にアクセスできるのはわずかに40万人に過ぎません1)。私の住む中国には,現在84万人のHIV感染者,うち8万人がエイズ患者である,といわれていますが2),中国でエイズのケアができるドクターはわずかで,患者の7割には薬にアクセスできていません3)。過剰なエネルギーが渦巻くエイズ医学の進歩と,ただただ死ぬのを待つだけの大量の患者,という惨憺たる現状のギャップはどうしたことでしょう。

先進国に広まる「うつろな幸福感」

 遠く離れたアフリカからこなた(先進国)へ目を向けると,米国では治療の進歩を横目にHIVの新規感染者がじわじわと増加している,という事実が指摘されています4)。あれほど恐怖の対象だったエイズが半ば「治療可能な」病気の様相を呈してきたことで,人々に安心感(いや,根拠のない安心感,complacencyというべきか)が蔓延しはじめています。
 日本では懸念された感染爆発は起きず,エイズ予防は成功を見た,と考える人もいます。Complacencyは日本にもあり,日本ではメディアも市民もエイズ,エイズといわなくなりました。私たちの「エイズから社会を考える会」もその雰囲気が浸透して,なんとなく消滅してしまいました。
 しかし,米国,中国,アフリカ諸国でみられるような「感染爆発」こそないものの,日本でもHIV感染はじわじわと,着実に広がりつつあります(図2)。日本国籍の男性でこの傾向は著明です5)。最近では中国で大量の日本人男性がツアーで女性を買っており,隣国の顰蹙を買っています6)。私の外来ではこれでもか,これでもか,と安易安直なセックス後のトラブルが相談されています。
 10年以上も前に,タイに向かったあの日本人買春ツアーはマスメディアに大きく騒がれたものでした。果たして,この10年は,失なわれた10年と呼ぶべきなのでしょうか。
 先進国でのエイズという病気は迫害の歴史を乗り越え,正当な地位を獲得し,いまや「まっとうな病気」としてのeuphoria(多幸)の気分が蔓延しています。しかしそれはeuphoriaというより,性行為感染症という厳然たる側面を持つエイズという疾患から背をそむけたeuphemism(婉曲)に過ぎない,ともいえるかもしれません。Euphemismとは所詮,真実からかけ離れたマヤカシに過ぎません。
 10年以上も前,現実にまっすぐ目を向ける勇気がなかった私は「コンドームをつければエイズは予防できます」のような表面的なデータの伝播に拘泥し,それ以上に足を踏み入れることができませんでした。本当に大事なものはそこにはないと,漠然と感じていながら,です。米国や日本や中国で見え隠れしている危うい雰囲気,うつろな幸福感というのは,私のような,奇麗事だけ,表面だけで物事を済まそうとしてきた態度の総体であるような気がしてなりません。「セックスとは何か,なぜ,誰と,あなたはセックスをするのか」といった命題と真剣に付き合わないと,いつか日本にエイズ患者が増え,再びおなじみのパニックが起きた時に,同じエピソードを繰り返す光景が,現実感を伴って目に浮かびすらします。
 この原稿をまとめるにあたり,10年を過ぎて今でもエイズと取っ組み合いをしている私に計り知れない恩恵と知恵を与えてくれた,「エイズから社会を考える会」の仲間たちに心より感謝申し上げます。

参考文献
1)The 3 by 5 Initiative WHOウェブサイト http://www.who.int/3by5/en/
2)Comment: Fighting against AIDS China Daily, 2003年12月1日
3)Handshake highlights fight against AIDS ZHANG FENG, China Daily staff, China Daily, 2003年12月2日
4)Estimated numbers of diagnoses of HIV/AIDS, by year of diagnosis and selected characteristics of persons, 1999-2002-30 areas with confidential name-based HIV infection reporting
 http://www.cdc.gov/hiv/stats/hasr1402/table1.htm
5)平成14年エイズ発生動向-概要-厚生労働省エイズ動向委員会
 http://api-net.jfap.or.jp/mhw/mhw_Frame.htm
6)Japanese sex scandal to be revealed China Daily, 2003年11月18日




岩田健太郎氏
島根医大卒。沖縄県立中部病院研修医,ニューヨーク市セントルークス・ルーズベルト病院内科研修医,同市ベスイスラエルメディカルセンター感染症科フェローを経て現職。主に日本人を含む在中外国人の診療に携わっている。現在ロンドン大熱帯医学校大学院生でもある。