医学界新聞

 

連載(26)

    新医学教育学入門

教育者中心から  
学習者中心へ
  

診断能力の獲得

  
大西弘高 国際医学大学(マレーシア)・医学教育研究室上級講師


2565号よりつづく)

 さて,この連載もいよいよ終わりが近づき,今回と次回を残すのみとなりました。以前は,たとえ話によって議論になりやすいテーマに関して掘り下げるという形式を採ってきましたが,今回と次回は私自身の言葉で考えを示していくことにします。今回のテーマは「診断能力」であり,私が最も深く掘り下げて学んできた領域です。

医学知識と診断能力

 みなさんは,医学知識と診断能力との関係について「知識が多ければ多いほど,診断能力が高い」と感じておられるでしょうか。例えば「3年生の時に,生理学の知識を問う試験において,高い得点だった学生のほうが,低い得点だった学生よりも後の診断能力が高い」という仮説が成り立つかどうかを検証してみればどうでしょうか。
 前回述べたPBLテュートリアルというカリキュラムでは,繰り返し問題解決を図るような練習をすることによって「さまざまな症例に対する診断能力が改善するのではないか」という仮説が立てられたこともありました。残念ながら,現在のところこの仮説を支持する明確なエビデンスは得られていません。
 それとは逆に,1978年にElsteinらが著した「Medical Problem Solving」には,診断を試みた人にとって,ある症例に対する情報収集量,診断仮説数,第一診断仮説に至るまでの時間,診断の正確さなどの指標は,別の症例に対するそれらの指標とは,相関係数が0.2前後でしかないという知見が示されており,これは「症例特異性(case specificity)」と呼ばれています。例えばOSCEによって標準模擬患者から病歴を聴いて診断する能力を測定するような場合,ステーション数を増やさなければ信頼性が高まらないことを示しているのです。
 さまざまな症例に対して共通に使える診断能力というものはなかなか獲得が難しいものであるとも言えるでしょう。従来,診断能力向上については,臨床疫学やEBMの領域で,事前確率と感度,特異度,尤度比から事後確率を求めるような方法も用いられてきました。しかし,このような学習をすれば診断能力が上がるかどうかについても特に定説はないのです。
 では,診断能力を改善するためには,どのような学習が必要なのでしょうか。知識構築に関して,いくつかの理論が提唱されていますが,注目すべき2つを紹介しましょう。
 1つは,Schmidtらが医学領域では初めて採り上げた意味ネットワークです。学生と比較し,経験ある医師は疾患と症状や所見との間にある因果関係をよりよく説明できます。これは,さまざまな知識がネットワーク化されており,疾患から症状や所見を思い浮かべることも,症状や所見から疾患を思い浮かべることも自在であるという意味です。
 これは,Bordageによる症状や所見の意味的軸という考えとも関連しています。意味的軸とは,さまざまな症状や所見を,例えば急性-慢性,突発-緩徐,改善-増悪などの軸によって二元論的に分けていくことを表しています。鑑別診断の学習ということで,主訴から鑑別診断を20個,30個と書き出すような学習方法を米国で見た経験もありますが,意味的軸を用いることによって,病歴を聴き,症状や所見から疾患を呼び起こす間に,20-30の鑑別診断の多くは思い浮かべる必要もなかったということになるでしょう。
 もう1つは,Normanの提唱する症例モデルと言われるものです。疾患の概念は症例を積み重ねないと獲得が難しいというのがNormanの主張です。例えば,症例を用いて診断を考えるような学習をする際に,ある身体領域の症例ばかり学習するよりも,さまざまな症例について学んだほうがよいこと,基礎医学的な知識は,臨床の知識の意味づけをするという意味で記憶を促進し,重要であることなど,詳細な研究結果とユニークな考え方を示しています。

どのようなプロセスをとるか

 Elsteinらは,診断時にいったん診断を頭に思い浮かべ,それを元にしてさらなる情報収集を行なって検証が行なわれるという「仮説演繹法」を提唱しました。一方Patelが主張したのは,経験豊富な臨床家がよく行なう「パターン認識」という方式であり,情報収集を系統的に行なって最終的に1つの診断に至るものでした。
 これらについて,Elsteinは「学生や研修医などの初心者は,ただ1つの診断仮説をおくのではなく,必ず対立仮説をおくような習慣をつけたほうが考えの枠組みを狭めないという点で望ましい」と述べています。また,臨床経験豊富な医師であっても,頻度が少ない問題点に出会った場合,通常の診断ではうまく説明がつきにくい時には,仮説をいくつかおき,それに関連した臨床情報を集めて診断するという方法をとることも知られています。仮説演繹法は,効率よく診断を進めることができるとともに,パターン認識のように診断に飛びついて誤診の原因になってしまうことを避けられるという意味で,普遍的に有用な方法であると言えます。
 診断仮説は,情報収集を行なうときに道しるべとなるものであり,それゆえにいくつかの仮説がすべて間違っているような場合には,情報収集がまったく本筋とはずれたものになる可能性もあります。かといって,仮説をおくことなしに,カルテのすべてのページを埋めるべく徹底的な情報収集にいそしむというのは診断の正確性の点からいっても望ましくないことも知られています。例えば,胸痛患者から話を聴く時,狭心症のことを考えておかなければ,運動強度と痛みの関係に思いを馳せることは難しいように,診断仮説がその後どのような情報収集をするかを決定していくのです。
 Bordageが提唱する意味的軸は,情報収集の時,あるいは症例プレゼンテーションの時に積極的に使うことで,集めた情報を大まかに分類しながら,間違った方向に進まないための工夫ができるのではないかと注目を集めています。

どのように学ぶべきか

 診断をする時には,基礎医学をそれだけのために学ぶという方法,例えば生理学を生理学実習のコンテクストでだけ学ぶというような方法でついた知識はあまり利用されないことがわかっています。診断という問題解決のゴールに行き着く方法を身につけようとすれば,診断と症状や所見がどのような関係にあるのかという視点で学び,症状や所見から確実に診断を引き出せるようになることが最も早道なのです。
 そのためには,症状や所見から診断を思い浮かべるという訓練をすることが最も有用でしょう。その際,自分の考え方を他の人に示すという意味で,症例プレゼンテーションし,自分の考え方を文章化すること,他の人からその内容に対してフィードバックを受けること,自分でその内容についてさらに振り返る機会を持つことなどは,いずれも「自分の頭で診断プロセスについて考えてみる」よい機会です。
 医療面接の練習をする際,例えば症状について部位,性質,強度,経時的変化,緩和増悪因子といった項目を暗記し,次々と尋ねるという方法については,単に情報が増えて頭が働きにくくなるのか,それとも診断に結びつく重要な手がかりが得られやすいのかはどちらとも言えません。ただ,患者との円滑なやり取りをするためには,ある程度項目を整理しておいて,重要な項目を聴き逃さないようにすることも重要ですので,初心者はむしろ積極的にこの方法を用いてもいいと思っています。

まとめ

 このように,すでにこの領域ではさまざまな研究結果が得られており,それらをうまく用いることで最適な学習方法を考えることができるようになりつつあります。しかし,実際の現場で得られたデータ,研究のためのセッティングで得られたデータなど,いろいろなレベルの研究結果が混じっており,その利用には慎重であるべきです。
 また,実はこれらの議論がすべて「生物医学的(biomedical)な診断」に限定されたものであることには注意が必要です。例えば,心理社会的側面に関する診断といった領域については十分な研究成果を基盤として議論することができないままなのです。よって,今後この領域の研究がもっと盛んになることが期待されています。