医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第31回

神の委員会(12)
営利病院での先端医療

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2565号よりつづく

【前回までのあらすじ】
完全置換型人工心臓ジャービック7の臨床治験を支援した株式会社病院「ヒュマナ社」は,ジャービック7の商品化をねらうベンチャー企業の株主でもあった。

急進展した治験――3人の患者

 第一例目の患者バーニー・クラークの手術後,ユタ大学がジャービック7の臨床治験再開にきわめて慎重な姿勢を取ったことと対照的に,治験の舞台がヒュマナ社に移った途端,ジャービック7の治験は急進展した。再開第一例目の患者ウィリアム・シュローダー(51歳男性)に手術が行なわれたのは84年11月25日,デブリースがヒュマナ社に移ってからわずか3か月後のことだったが,ヒュマナ社はルイビル市のコンベンション・センターに報道センターを設置するなど,「医学研究に貢献するヒュマナ社」のイメージを徹底的に売り込んだ。術直後,順調な回復を遂げ,元気にビールを飲むシュローダーの姿がテレビで放映されるなどして,米国民の間にヒュマナ社の名は急浸透した。
 シュローダーは,術後21か月とジャービック7の「最長生存記録」を残したものの,術後19日目に初回の脳卒中発作を起こしたことにはじまり,さまざまな合併症を併発,「quality of life」という観点からは,クラークと同じく,悲惨な経過をたどった。ヒュマナ社は,シュローダーを,病院から「退院」させたが,実際は,同社が病院の向かいに保有するマンションに身柄を移しただけで,「退院」は形式だけのものだった。
 シュローダーの手術の3か月後,85年2月には,再開2例目の手術が行なわれた。患者(マレイ・ハイドン,59歳男性)は術後17日目に呼吸不全となり,以後,10か月の生存期間のほとんどを,レスピレーターにつながれたままICUで過ごした。そして,85年4月に行なわれた再開3例目(ジャック・バーカム,63歳男性)は,明らかな手術失敗例となった。ジャービック7が大きすぎて患者の胸部に収めることができず,胸骨を部分切除せざるを得なかっただけでなく,手術がもたらした出血による残存心房への圧迫が直接の死因となり,患者は術後わずか10日目で死亡したのだった。

的中した懸念

 株式会社病院のヒュマナ社が人工心臓という「先端医療」の研究に取りかかることには,当初から強い懸念が持たれていたが,1例ごとの結果を詳細に検討してから次の症例に移るというユタ大学の慎重な姿勢とは正反対に,ヒュマナ社は先行例の結果を待たずに,次々と症例数を増やしていった。「院内倫理委員会は『承認』のゴム印を押すだけの機能しか果たさないのではないか」という当初の危惧は当たっていたと言わざるを得ないのである。さらに,ヒュマナ社は,ジャービック7を製造販売するベンチャー企業の大株主として人工心臓治験が進展・成功すれば巨大な財政的利得を上げ得る立場にあり,同社が「拙速」ともいうべき早さで治験を推し進めた背景には,重大な「利害の抵触」(註1)が存在したのだった。
 以上のように,ヒュマナ社でのジャービック7の臨床治験には科学的観点からも倫理的観点からも大きな問題が存在したのだが,被験者となった患者が3人とも悲惨な経過をたどったこととは対照的に,ヒュマナ社は人工心臓治験を主宰したことで莫大な広告効果を得ることに成功した。米国民の16%しか知らなかったヒュマナ社の名が全国民に知られるようになっただけでなく,同社は,ジャービック7の治験から撤退した後も,テレビ・コマーシャルで「あの人工心臓の研究を推し進めたヒュマナ社」というフレーズを繰り返し,先端医療に熱心な病院というイメージを振り撒き続けたのだった。

***

 現在,日本の医療制度改革を巡る論議の中で,総合規制改革会議は,「株式会社による病院経営を認める」ことと同時に,「混合診療の解禁」をセットとして主張しているが,彼らの主張がどれだけ危険なものであるかは,ヒュマナ社におけるジャービック7治験の例からもおわかりいただけるだろう。
 そもそも,総合規制改革会議は「ビジネスチャンスの拡大(=儲ける機会を増やしたい)」という観点から医療における「規制改革」を主張しているのだが,点数制で医療サービスの価格が規制されている現行の日本の保険医療制度のもとで,病院ビジネスで「荒稼ぎ」しようと思えば,「混合診療」で儲けることがもっとも手っ取り速い手段となる。混合診療が解禁されれば,さまざまな「先端医療」を商品として売ることで莫大な収入を得ることが可能となるだけでなく,ヒュマナ社の例でも明らかなように,広告効果も絶大なものがあるからである。

医療保険制度は死ぬか?

 実は,混合診療の禁止には,有効性や安全性が証明されていない治療を保険診療から排除することで「似非医療」が横行することを防止する効果もあるのだが,これが解禁された場合,株式会社病院が,遺伝子治療や幹細胞移植など,いまだ有効性や安全性が確認されていない実験段階の治療を,「先端医療」の名の下に次々と商品化するだろうことは容易に想像され,ヒュマナ社が人工心臓の治験を主宰した事態よりも恐ろしい状況が日本に出来することが危惧されるのである。
 以前にも書いたように,有効性と安全性とが証明された医療行為については,これをすべて保険診療に含めるのが本筋であり,財力のある人だけが必要な医療サービスにアクセスできることを容認する混合診療を解禁することは,「貧富の差を問わず誰もが必要な医療サービスにアクセスできることを保証する」医療保険制度の原則を真っ向から否定することに他ならない。
 「株式会社による病院経営」(註2)と「混合診療解禁」の併用療法が施行された場合,日本の医療保険制度に致死的効果を与える危険があるのである。

註1)「組織レベルでの利害の抵触(institutional conflict of interest)」の概念については,本連載第19回で詳述したので参照されたい。
註2)株式会社による病院経営を認めることの弊害については本連載第10-14回で詳述した。