医学界新聞

 

連載(25)

    新医学教育学入門

教育者中心から  
学習者中心へ
  

PBLテュートリアルの是非

  
大西弘高 国際医学大学(マレーシア)・医学教育研究室上級講師


2563号よりつづく)

 釧路にある道東医大は50年の歴史を誇る国立大学です。病理学教授の佐藤先生は,学長にPBLを導入すべきかどうかの相談を受け,情報収集をはじめました。他の多くの大学がPBLテュートリアルによるカリキュラムを開始していますが,いろいろと困難な点があるという噂も聞いており,どのような根拠によって実施するか否かを決定すればいいかに迷っていました。世界的な動きといった点も踏まえて判断するため,佐藤先生は新設大学であるシンガポール医療衛生大学の教育支援室教授であるオン先生を訪ね,PBL導入に関する考え方についてディスカッションしてみることにしました。

PBLは望ましいのか

佐藤 まず最初に,PBLを導入すれば,何か明確なエビデンスをもって教育がよくなるといえるのかどうかを知りたいと思います。あまりエビデンスははっきりしないと聞いたことはあるのですが,よくは知らないのです。
オン まず,Colliverによるシステマティックなレビュー記事によると,PBLで学んできた学生と,そうでない学生の間で,従来の評価法,例えば医師国家試験のような知識を問う評価法による差は明確でないとは言えます。しかし,診断推論能力については若干よい,学生の満足度もやや高いということは利点と言ってよさそうです。
佐藤 でも,教官はより多く必要になり,コストはかかるのでしょうね。
オン はい。それは間違いありません。Norman,Schmidtといった有名な医学教育学者が,「PBLは非常に利益が大きいというふうに強調され過ぎており,一方でコストが軽視され過ぎてきたとも思われる。」と反省じみたコメントもしています。
佐藤 テューターの養成は,非常に頭の痛い話です。とりあえず,オン先生は,われわれがPBLを導入したほうがいいとお考えですか,それとも,導入しないほうがいいとお考えですか。
オン カリキュラムやコストの問題だけで決めるべきではないかもしれません。例えば,医学部教官が現状の教育に大きな疑問を抱かず,何らかの改善に向けて頑張ろうとしていないのならば,現在のように変遷の激しい時代には競争に勝ち残れないでしょう。経営学では組織変革というテーマがありますが,ハーバード・ビジネススクール教授のジョン・P・コッターは,組織変革失敗の第一の原因として,組織を構成する人々の間に現状満足が容認されることをあげています。
 PBLを全学的に,しかも縦割りだった組織に導入することになれば,教官たちの間には一気に危機意識が拡がるでしょう。その際,学問ごとのカリキュラム(生理学の講義がある一時期ずっと続くというような)から,統合的な身体システムごとのカリキュラムに移行するのであれば,さらに変化は大きくなり,危機意識もより大きくなると思われます。変革のビジョンがどのようなものかについて,教育組織のリーダーはよく理解しておかなければならないでしょう。

PBLの教育学的特徴

佐藤 でも,多くの大学がPBLを中心としたカリキュラムに移行しようとしているということは,何らかの理論的根拠によって決まっているんですよね。
オン PBLは,どのような症例にでも適用可能な診断推論能力を伸ばそうという考えで導入されましたが,その後,よりネットワーク化された知識を構築するためにこそPBLが必要であるというふうに議論の中心が変化しつつあります。
佐藤 私がよくわからないのは,知識を構築するだけだったら講義のほうが効率がいいのではないかと感じることなんですが。
オン 確かに,従来の講義中心型カリキュラムでも,さまざまな“知識”を詰め込むことはできたかもしれません。しかし,患者の問題を解決するという意味では,知識量ではなく,知識がいかにネットワーク化され,使える知識になっているかが重要です。そのためには,臨床的なコンテクストにおいて知識が身に付いたのかどうか,さまざまな症例やそれに類似した経験によってその知識を反復して使ったかどうか(例えば,症例基盤型学習やカンファレンスでの症例プレゼンテーション)が問われます。
佐藤 PBLで動機づけておいて,講義をするというような二本立てでのカリキュラム編成はどうなのでしょうか。
オン 確かにPBLですべての知識を構築させようとすると,臨床実習前の教育をすべてPBLに移行させるという意味になります。これは,多くの大学で教員の負担という問題により困難ではないでしょうか。そのためには,PBLと講義の組み合せという考え方は折衷案になるでしょう。
 PBLを動機づけとして見るよりは,先行オーガナイザー*と位置づけるほうがいいかもしれません。すなわち,新しい領域,概念について学ぶ時,講義で次々と与えられる知識を整理するには何らかの枠組み(認知心理学でいうところのスキーマ)が必要となりますが,PBLという先行オーガナイザーが講義前にその枠組みを作るために有効であるという意味です。

シナリオ作成

佐藤 症例,事例のシナリオづくりはどうすればいいでしょうか。
オン まずは,PBLの目標をどうしたいのかを明確化するところからはじまります。患者の問題解決を目標とするPBLであれば,患者の症状,それ以外の病歴,身体所見,検査所見,診断,治療やマネジメントのそれぞれにおいて,少しずつ問題解決を進めていく形の学習も可能でしょう。しかし,ネットワーク化された知識を構築するためには,シナリオに多くの情報を含み過ぎるのは問題があります。シナリオに多くの情報が含まれると,学生はその情報を処理するだけで,認知的にオーバーフローを起こしがちだからです。
佐藤 PBL開始時に,医学的な内容をどの程度盛り込むかも悩んでいます。
オン そうですね。これも難しい点です。医学的な色合いが強いほうが医師となるための動機づけが高まりやすいかもしれません。しかし,ついつい,シナリオ作成者は複雑な事例を持ってくる傾向にあり,学生は用語について定義や意味を調べるばかりで,内容についてはあまり全体像を把握できないままに終わるという問題も起こりがちでしょう。

自己主導型学習

佐藤 どのようにすれば自己主導型学習が促進できるのかについても悩んでいます。
オン 自己主導型学習には,学習のための知識やスキル,学び続けていこうとする態度,実際の学習行動,自らがより人間的に変化して伸びるための能力が必要でしょう。
佐藤 自らが何をどのように調べれば学習と言えるのかという知識やスキルについては,従来あまり注目されてこなかった印象がありますね。
オン 教育というのは,知識伝授ではなく,学習者が知識を得ていくプロセスの手助けなんです。ひな鳥にスプーンで餌を与えるような教育(spoon feeding education)ばかりでは,餌の探し方,取り方を会得することができないままになりがちですから。
(本記事中の登場人物,施設等はすべて架空のものです)

*先行オーガナイザー:学習者が学ぶ予定の内容に対して認知の中に前もって作成する枠組み(スキーマ)のこと。いわゆる“予習”の意義はここにあると思われる。