医学界新聞

 

連載
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   最終回
   メンター制度と
  米国メディカルスクール留学について

  高垣 堅太郎
ジョージタウン大学スクール・オブ・メディスン MD/PhD課程2年

前回2560号

 今回は,ある意味では米国における高等教育の中核をなすメンター(師匠)「制度」についてご報告します。そして最後に,米国メディカルスクール留学について考えたいと思います。

メンター(師匠)の役割

 メディカルスクールの入学審査やレジデンシー出願をはじめとして,米国社会ではありとあらゆるところで推薦状が要求されます。それは,師弟関係のコネクションを重視した米国の高等教育システムに起因していると考えられます。
 例えば,ジョージタウンメディカルスクールでは入学者全員に,学長・副学長陣の基礎の先生方から「臨床前メンター」が割りあてられ,授業上の悩みや課外活動(レジデンシー出願の際に重要になることがある)の相談などに乗っていただけることになっています。3-4年次になると同じく学長・副学長陣の現役医師から「臨床メンター」が割り当てられます。レジデンシー出願の際の「dean's letter(学長推薦状)」は,この先生が中心になってまとめられることになりますし,成績などに応じて出願する研修病院を決定する際に,このメンターに相談する人も多いようです。
 また,MD/PhD課程ではさらに,研究分野に応じてMD/PhD委員会の研究医の先生方の中から「キャリア・メンター」が割り当てられます。私の場合は神経内科出身のキャリアメンターが割り当てられましたが,メディカルスクールでの勉強法,勉強と研究室ローテーションの兼ね合いなど,2か月に1回程度相談に乗っていただいているほか,夏にはその先生の研究室でfMRIのローテーションを経験することもできました。また,MD/PhD委員会では定期的に学生全員の成績や活動内容が審査されるので,その場ではいろいろと説明・擁護してくださっているはずです。
 正式に学校から割り当てられるメンター以外にも,学生の側から名乗り出てメンターをお願いすることも盛んです。例えば臨床をめざす同級生は,講義などで印象深かった先生や自分のめざすキャリアパスに沿った先生に直接願い出て,長期休暇中に病棟で見学したり,研究室を持つ先生の場合はそこに出入りしたりします。MD/PhD課程の場合は,自分から名乗り出て3箇所の研究室でローテーションをすることが義務づけられており,多様な技術を習得できるとともに,博士論文メンター(指導教官)を選ぶ前に,師弟としての相性などを確認することができます。
 さらに,研究分野はまったく異なっていても,師弟関係は成立します。セミナー後の懇親会で声を掛けていただいたことからメンターをお願いすることになった免疫生化学・小児科の老先生には,政治的な立居振舞いやローテーション先の研究室選定について相談に乗っていただいており,現在の博士論文メンターもその先生から紹介されました。その老先生の専門は免疫ですが,脳神経生理学に大変な知的好奇心を持っており,その意味でも,その分野に進もうとする私の面倒を見てくださるのだと思います。
 このように,多様な師弟関係を通していろいろな先生に面倒を見て貰うのは,面倒見のよいジョージタウンに限ったことではないようです。米国社会では,日本の「農耕民族的なコネクション」(出身研究室,医局など)とは性質の違う,一対一の「狩猟民族的なコネクション」がより重要になってくる,といわれる所以なのでしょう。

米国メディカルスクール留学について

 本連載を通して,何人かの方々から,米国メディカルスクール進学の準備を進めているのだが,というご相談をいただきました。まことに勝手な結論ではありますが,特殊な状況以外では,日本での学士入学を考えるべきだと思います。外国大学から米国のメディカルスクール進学は,第2回,第3回にも触れたとおり例外中の例外であり,それをおしての進学を目指すとなると,以下の3点についてははっきりとした答えを持ち,何人もの事務局員・教員を感服させなければなりません。

1)なぜ,日本の医学部に進学しなかったのか(なぜ,米国のメディカルスクールへの進学を希望するのか)
 大学・一般大学院では世界中の学生が米国に押し寄せていますが,その教育コストなどを考えると,米国社会はとても太っ腹であるといわざるを得ません。特に医学生には莫大な教育コストが掛かり,また米国大学からのメディカルスクール進学希望者ですら最終合格率が半数を割っている,という事実があります。そんな状況ですから,外国の学生受け入れは補助金の出資母体(連邦・州政府,篤志家など)に対して大変体裁が悪いのです。
 また,どこのメディカルスクールも学生のdiversity(多様性)を謳っていますが,それは決して外国人の受け入れを意味しているわけではなく,多様な民族出身の「米国人」という意味であることも理解しなければなりません。そう考えると,アジア系米国人,とりわけ東アジア系(とインド系)はいわゆる「overrepresented minority」であり,入学に際してはむしろマイナスに働く,ということにも注意しなければなりません。
 そして,日本が先進国である以上,自国の医師は当然自国でまかなうことが要求されており,その意味でも単に「留学」というつもりでは,受け入れられようがありません。

2)英語力
 医学の性質上,一般の大学院とは違い,「TOEFL何点」のレベルではメディカルスクールを卒業することはかなり困難です。これは一般科目*についても,面接の訓練などといった実習でも,当然枢要となります。
 ジョージタウンは比較的許容度が高いのでしょう,外国籍の同級生も何人かおりますが,皆米国の大学を卒業しており,少なくとも会話する限りにおいて,普通の米国人にひけをとる者は1人もいません。
* MCATの科目のうち,言語力の点数がメディカルスクールの成績と最も相関するという結果すらある

3)資金計画
 たいていの奨学金は米国市民でなくとも,永住権(グリーン・カード)さえ保有していれば,受給資格は満たしますが,これは名目上の話であり,1)で述べた理由から,米国市民でないと(州立などは州民でないと)学校主催の奨学金ですら取得はまず困難です。さらに,連邦政府の無利子・低利子ローンも同様の受給資格が課せられており,外国人では民間金融機関のローンも困難なため,普通の米国人学生よりも,さらに苦しい状況になります。

 この3点について満足な答えが準備できたとしたならば,以下の2点について更に考えなければ,たとえ出願要件に米国大学卒業を挙げていない学校の場合でも,決して出発点には立てません。
4)ただでさえ過酷な医学の勉強に,英語でもついていけるということの証明
5)事務の段階で願書を握りつぶされないような根回し

 入学審査を通して一番意外であったのは,アメリカにおいて,日本の大学がまったく認知されていないという悲しい実情です。ランクが低く見つもられている,といったことならまだ抗いようもあるのですが,そうではなく,単純に,まったく眼中にない,ということです。日本人なら一般人でも例えば「ハーバード」がアメリカの大学である,といった程度の認知はあると思いますし,まして入学審査に当たる先生方は,一定の見識をお持ちです。その逆が成り立たないことに気づくのに,不覚にも大分時間が掛かってしまいました。
 日本の大学の認知は,外国人学生がこぞって日本に集まってくるような,独特の日本の大学を発展させることによってしか,達成できないような気がします。そのためにはいうまでもなく,英語しか話せなくとも学生・研究者として十分用が足りるような大学環境が必要でしょう。日本の大学,ひいては学問風土を発展させるために英語のインフラ整備が必要であるとは,まことに皮肉ではあります。

最後に

 これまで1年間にわたり,日系米国人・米系日本人の立場からジョージタウン大学での臨床前の医学生生活についてご報告してきました。一貫した視点から全体像をお伝えすることはできたのではと思いますが,やや極端に過ぎる意見があったかもしれません。現在進行形の医学生生活をお伝えするという主旨に鑑みてお許しください。
 読者の皆様,また貴重な機会をくださった医学書院の皆様,取材に協力してくださった学長陣の先生方と医学図書館の司書さん,そしてさまざまな助言・コメントをくださいました日本の先生方・学生の皆様に,この場を借りてお礼を申し上げます。
(連載おわり)