医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第29回

神の委員会(10)
株式会社病院の参入

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2560号よりつづく

【前回までのあらすじ】
1982年12月,ユタ大学のデブリースは,完全置換型人工心臓をヒトに埋め込む,世界初の手術を行なった。


世界初の人工心臓置換手術の評価

 第1号症例バーニー・クラークの死後,ユタ大学の人工心臓治験に対する評価は,全肯定するものと全否定するものとの両極端に分かれた。肯定派は,「今までに人類がなしたもっとも勇敢な実験。初めからすべてがうまくいくはずがないし,科学の進歩に犠牲はつきもの」としたが,否定派は,「術後のクォリティ・オブ・ライフということを考えれば実験は完全な失敗だったし,仮に成功していたとしても莫大なコストを考えると実用性はない」と,拒絶反応ともいうべき反応を示したのだった。
 治験を管轄する立場にあるユタ大学の学内委員会とFDA(食品医薬管理局)は,人工心臓研究に対する社会の強い批判を考慮し,2例目にとりかかる前に1例目のデータを詳細に解析すべしと,治験の早期再開に慎重な姿勢を取った。学内委員会が治験再開を認め,2例目の症例選定作業を開始するまでに9か月を要したことに対し,デブリースは,「大学の官僚的な姿勢のせいで,人工心臓の埋め込みを望む患者が何人も目の前で死んでいった」と,不満を顕にした。
 治験再開の承認に時間がかかったことに加えて,治験の臨床コストをまかなう資金を調達することの困難さが,さらにデブリースの不満を募らせた。NIHの研究予算は研究室内のコストしかカバーせず,デブリースは,第1例患者バーニー・クラークのケアにかかった30万ドルに加えて2例目以降の患者にかかる診療費を工面するための寄付集めに,多大の時間を割かなければならなかったからだった。

思わぬ救世主

 「研究を推進したいのに大学の官僚的体制と資金調達の難しさでちっとも先に進まない」と嘆いていたデブリースにとって,救世主は思わぬ方向から現れた。ケンタッキー州ルイビルに本拠を置く営利病院チェーン「ヒュマナ社」が,人工心臓治験のスポンサーとなることを申し出たのだった。
 ヒュマナ社が創設されたのは62年,ケンタッキー州でナーシング・ホーム・チェーンを展開することで成長したが,68年,「患者1人当たりの収入は,病院はナーシング・ホームの6倍になる」と,病院業に進出したのだった。72年には所有していた41のナーシング・ホームをすべて売却して病院事業に完全転換,人工心臓研究のスポンサーになることを申し出た84年当時,ヒュマナ社は,所有病院89,年間売り上げ23億ドル(うち利益が2億ドル)という巨大企業となっていた。
 しかし,「合理的経営手法を病院事業に持ち込んだ」とヒュマナ社の急成長を歓迎する向きもある一方で,「患者を食い物にして暴利をむさぼっている」(註)との批判も強く,ヒュマナ社にとっては人工心臓研究のスポンサーとなることが企業イメージの改善につながることを期待したのだった。
 治験患者の臨床コストの工面に苦労していたデブリースにとって,「治験患者100例のコストを負担する」というヒュマナ社の申し出を断ることは難しかった。84年8月,デブリースは,人工心臓研究の場を,ヒュマナ社がルイビルに設立した「国際心臓研究所」に移すことを決意したのだった。

営利病院と最先端の医療の研究

 営利の株式会社病院が人工心臓研究という最先端医療の研究を主宰するというニュースは,米国の医学界に大きな衝撃を与えることになった。巨大資本が大学や教育病院から優秀な医学者を引き抜いてしまうことも懸念されたが,最大の懸念は,「営利企業での臨床研究を誰がチェックするのか」ということだった。例えば,ユタ大学の人工心臓治験の場合は,学内委員会が治験の実施・患者の選定を監視する役割を担ったが,何ら研究実績を持たない営利病院が臨床研究を行なう場合,「病院内に倫理委員会を設置しても,ただ『承認』のゴム印を押す役割しか果たさないのではないか」と,懸念されたのである。
 この懸念が当たっていたかどうかはともかく,ヒュマナ社に移ってからわずか3か月後の84年11月25日,デブリースは,待望の第2例患者(ウィリアム・シュローダー,51歳)に改良型ジャービック7を埋め込む手術を実施することができた。翌85年2月,4月には第3・4例目の手術も実施,ユタ大学では遅々として進まなかったデブリースの研究は,営利病院に移った途端,加速度がついたように急進展したのだった。
 一方,人工心臓手術の舞台となったことで,ヒュマナ社は全米的な知名度を獲得,目論見通りの広告効果を得ることに成功した。しかし,ヒュマナ社が人工心臓研究のスポンサーとなった理由は,イメージ改善の広告効果をねらったことだけにあったのではなかった。

(註)80年代末,ABCテレビの報道番組が「8ドルの松葉杖に100ドルを越す額をつけて患者に請求する」ヒュマナ商法を取り上げるなど,ヒュマナ社の過剰な営利追求が社会の批判を浴びた。90年代初め,同社は病院事業をコロンビア/HCA社に売却,医療保険業に専念するようになった。