医学界新聞

 

〔寄稿〕

臨床現場におけるSARSへの対応

小原 博(国立国際医療センター国際医療協力局専門官) 


 中国広東省に端を発した重症急性呼吸器症候群(SARS)は香港,ベトナム,中国各地,台湾,カナダなど多くの国々に拡散し,合計8098人の患者が発生した(死亡774人)。患者が収容された多くの病院では院内感染が発生し,感染拡大を加速させることとなった。2003年7月4日,SARS終息宣言が発せられたが,今冬再び流行する可能性を秘めており,対策が急がれている。筆者はSARS流行時ベトナムと中国でSARS対策に加わった(ベトナムではSARS発生前から院内感染対策の技術指導を行なっていた)。これらの経験をもとに日本の医療機関におけるSARSへの対応のあり方について考察した。

ベトナムと中国におけるSARS対策から得られた教訓

 べトナムでは2003年2月26日に最初の患者が入院して以来,入院先の病院(ハノイ市のフレンチ病院)で63例のSARS患者が発生した。その後同病院は閉鎖され,隣接するバックマイ病院が唯一のSARS患者受け入れ病院となり,そこでは徹底的な隔離策と院内感染対策が実行された。バックマイ病院では院内感染は一例も発生せず,ベトナムのSARSは鎮静に向かい,4月28日に世界に先駆けて制圧宣言が発せられた。  バックマイ病院では2000年1月より日本との間で技術協力プロジェクトが実施されており,その中で院内感染対策の技術指導を実施してきた。システム構築と医療従事者に対する標準予防策の指導が主であり,SARS発生時点では医療従事者における院内感染対策の認識と基本的な技術力はすでに高い水準にあり,SARSに対して速やかに応用が可能であったと思われる。中国をはじめSARSが発生した国々では最終的には有効な院内感染対策を実行しSARSを制圧したが,実行するまでにかなりの時間を要し,その間に院内感染が多発した。ベトナムはいち早く実行したことにより対策を成功に導いたと考えられ,平素から基本を磨き,初期段階で適切な院内感染対策を実行することがいかに重要であるかを示唆している。

病院における感染管理

1.感染防御
 SARSの感染経路は飛沫感染が主であり,標準予防策に加えて飛沫感染予防策を適切に実行することが重要である。さらに接触感染および空気感染の可能性も考慮して防御策を講じるべきである。
 飛沫感染の予防上,マスクが最も重要である。SARSウイルス自体は直径0.2ミクロン程度であるが,飛沫はウイルス粒子の外側を気道上皮細胞や唾液が覆った状態であり,直径5ミクロン以上である。飛沫の状態では直径が大きく重いため,マスクで捕らえることが可能であり,飛距離も2メートル以内と考えられる。その点,ウイルスや細菌そのものである飛沫核によって感染する空気感染とは異なる。最も防御効果が優れるマスクはN95マスクであるが,外科用マスクでも相当の効果がある。
 マスクに加え,感染の危険度に応じてガウン,手袋,ゴーグル(またはフェイスシールド)などの防護具を装着する。気道分泌物を浴びる可能性がある際(吸引や気管内挿管時,咳をしている患者に接する時など)にはゴーグルは必須である。マスクやガウンは患者に接するごとに交換することを原則とするが,1勤務シフトに限って再使用することも可能である(写真)。

 手洗いや手指の消毒は頻回に行なうべきであり,速乾性の消毒液が最も適する。機器はできるだけ患者および病棟専用とする。すべての再使用可能な機器に対しては滅菌を行なうが,この際,滅菌を行なう者はマスク,手袋,ガウンを着用する。患者が使用した器具や病院環境の消毒には次塩素酸ナトリウムや過酢酸が適する。廃棄物は厳重に分別処理し滅菌する。

2.患者の分別
 流行時において発熱と咳などの呼吸器症状を呈する者に対してはSARSの可能性を念頭において診療を行なう必要がある。日本で患者が発生するとしたら流行地滞在歴を有する者の可能性が強いため,SARS流行地への旅行歴やSARS患者と接した既往を必ず尋ねる。
 上記症状を呈している者と直接接することはできるだけ避け,初期対応は電話で行なうことが望ましい。38℃以上の発熱と咳,息切れ,呼吸困難等の症状があり,10日以内にSARS患者との接触または流行地への旅行歴がある者は「疑い例(Suspect case)」となるため保健所に連絡のうえ,受診機関の指示を受ける。疑わしい患者と無防備で直接接することを極力避けるためには「貼り紙」を行なうことが良案である。すなわち医療機関の入口や受付けに「10日以内にSARS流行地に滞在した既往と発熱・咳などの有無を尋ねる内容,および該当する者はまず電話で連絡してもらうことを求めた貼り紙」をして,できるだけ電話で初期対応をするとともに,該当者を診療する際には防護して対応するよう努めるべきである。
 診療対象者の扱い方に関しては以下の原則に従うのが適当と思われる。
1)流行地旅行歴があり,発熱および咳など呼吸器症状がある者は「疑い例」となる。
2)発熱と咳があっても流行地旅行歴がないものは通常どおりの対応とする。
3)流行地旅行歴があって症状がないものは流行地を離れてから自宅等で10日間観察する。この際毎日体温を測定し,異常が出現した際にはすぐに報告する。
4)流行地旅行歴があって発熱または咳など呼吸器症状がある者は3日間重点観察とする。この間,発熱と咳の両者が出現した際には「疑い例」として対処する。3日間に両者が出現しない際には,3)と同様10日間観察とする。
 院内にSARSが考えられる患者が入る場合,患者には外科用マスクを着用させ,診察者と介護者はマスク(N95または外科用),手袋,ガウン等の防護具を着用する(最低限マスクと手袋は必要である)。患者が激しい咳をしている時にはゴーグル着用が必要である。流行時には流行地滞在歴の有無にかかわらず,咳をしている患者を診察する際にはマスクを着用することが適当であると思われる。患者の分別のための部屋(トリアージ室)を用意することが理想であるが,ない場合には当該患者を優先的に診察するとともに,他の患者を2メートル以上離すことが必要である。
 感度の高い迅速診断法が確立していないため,インフルエンザなど類似の症状を呈する呼吸器感染症との鑑別が問題となる。ワクチン接種によりできるだけインフルエンザの発症を減らし,SARSを発見しやすくすることが勧められる。

3.隔離
 早期に隔離を実施することは本疾患を封じ込めるために有効な施策である。陰圧の個室に収容し,感染防護の訓練を受けたスタッフが診療することが理想である。病院内およびSARS用病棟内は清潔区域,半汚染区域,汚染区域に区分し,それに応じた感染防護策を実行するのが適当である。SARS用病棟は院内の人通りが多い場所から離し,人の出入りを最小限にとどめる。入口で入る者をチェックするとともに病棟で勤務する医療スタッフに対しSARSを疑わせる症状の有無を毎日チェックする。これにより院内感染の早期発見と追跡調査が容易となる。
 病室の換気が重要であり,HEPAフィルターを用いて実施することが望ましい。ベトナムや中国では窓を開放して自然換気を行なっていたが,隣の建物と10メートル以上離れていればこの方法でも問題ないと思われる。

4.診療体制
 院内感染防止委員会やICT(インフェクションコントロールチーム)を組織し有効に機能させることやマニュアルを準備することは是非とも必要である。院内感染対策,病室の割り当て,機器材やリネン類の供給・処理などに関し責任の所在を明確にしておくことも大切である。

感染対策には事前の努力が重要

 本疾患の拡散を防ぐには,有効な対応策を迅速に講じることが必要である。そのためには院内感染対策のシステムを構築し,平素から訓練を行なって感染対策の技術力を向上させるなど,事前の努力が重要である。それによりSARSのような新興感染症発生に対しても速やかな応用が可能となる。医療従事者における院内感染の認識高揚と標準予防策を適切に実行することが基本であることを強調したい。
(おわり)



小原博氏
 1978年弘前大卒。東大大学院,埼玉医大助教授を経て現職。1995-96年トリブバン大(ネパール),2000-02年バックマイ病院(ベトナム)で,それぞれプロジェクトチームリーダーとして技術指導に従事。2002年ベトナム政府より「国民の健康勲章」受章。SARS流行時にはベトナム,中国に赴き,対策に協力した。専門分野は熱帯医学,院内感染対策。