医学界新聞

 

〔鼎談〕「排泄学」ことはじめ

職種の壁,診療科の壁,患者・医療者間の壁を越えて

本間之夫氏
日本赤十字医療センター泌尿器科部長

神山剛一氏
昭和大学一般・消化器外科講師

西村かおる氏
日本コンチネンス協会代表
 


 泌尿器科,産婦人科,内科,外科……既存の専門分野の枠組みを越えて協力し合い,「排泄」の問題にあたる――2000年7月に発足した「排泄を考える会」の活動をまとめた書籍『「排泄学」ことはじめ』が本年8月発行され,話題を呼んでいる。  医療の専門分化が進む中,その狭間で長く取り上げられることのなかった「排泄」の問題に,多職種がかかわることによって見えてきたこととは何か。中心メンバーである3人に,会の活動と同書発行に寄せる思いを聞いた。


排尿問題あるところ,排便問題あり

――まずは「排泄を考える会」が発足した経緯からお願いします。
本間 泌尿器科医として診療を行なっていると,排尿だけでは収まりきらない問題を抱えた人にしばしば出会います。実際,排尿の問題を抱える人がたくさんいる高齢者施設や在宅に行ってみると,尿失禁のある人のほとんどが便失禁も持っているということがわかりました。
 「排尿だけでは十分ではない」。そうした思いを抱えていた時に,同じく長年コンチネンスアドバイザーとして排尿の問題にかかわってきた西村さんとお話をする機会があり,お互いに同じような問題意識を持っていることを知りました。そこで,「少なくとも排尿と排便は,統一的に議論する必要があるのではないか」ということになり,2つを合わせた「排泄」を考えるグループを作ることになったのです。
西村 排尿と排便ということ以外にも,排泄の問題は各診療科を横断的にまたがっていることが多く,診療科の狭間で宙に浮く形になりがちです。本間先生に声をかけていただいた時には,そうした横断的で困難な事例がコンチネンスアドバイザーである私のところにたくさん集まっていました。
 排尿について訴えていても,よく聞いてみると排便の問題をあわせ持っている患者さんは非常に多いですし,婦人科の問題で受診されても便秘があるということもあります。つまり,メカニズムとしては1つの問題であっても,それをトータルとして担うことのできる人はいないのだということを強く感じていました。
 ですから,逆に言えば複眼的な「排泄」という視点を持つことによって,もう少し根本的な問題解決が可能となるのではないか,と思っていました。
神山 私は排便から入った人間なので,排尿のことはまったく素人ですし,また臨床経験も浅いので,症例もそれほど持っていません。しかし以前から,なぜ排便には体系だった生理学がないのかという疑問はずっと持っていて,そこへのヒントを得たい,という気持ちがありました。
 また,会に参加して,事例検討を行なう中で,排泄で困っている人がたくさんいらっしゃるということがよくわかりました。排便の専門家は今のところ消化器外科,特に直腸肛門科ということになっています。しかし,私たち外科医は手術が前提になりますから,手術適応でないような方の便漏れなどの問題は,誰も診る人がいなくて宙に浮いているのだと感じましたね。
本間 今回,この検討会の事例をまとめた本を『「排泄学」ことはじめ』として世に問うことになりましたが,このタイトルにあるように,排泄は「学」となりうる領域だと私は考えています。
 ある対象について知識の集積があることと,研究が必要であること,これが学問の条件だと私は考えています。西村さんが言うように,排泄にはいろんな問題がある。そして,まだ各科ばらばらではありますが,知識も蓄積されてきている。しかしまだ解決できない問題があるから,研究をしなければならない。そういう意味で「排泄」という領域は学問になりうると思うのです。

■意外に研究されてこなかった排便の生理学

泌尿器科に求められる排便知識

――実際にどのような議論が交わされたのか,印象に残った事例に沿って紹介してください。
神山 私は西村さんがメーリングリストに持ち込んだ事例が印象に残っています。胸椎7-10の脊髄腫瘍で,腫瘍摘出手術後下半身麻痺が生じた方でした。問題点は週に1回程度,大量の便を漏らしてしまうというものです。
西村 本当に困っていて「来週の外来までになんとかしてほしい」という状況の中,メーリングリストに情報を流したら,皆さんからすぐにアドバイスをもらうことができました。
神山 私からはまず知識として,発症して半年以内の脊髄損傷の場合,腸管の収縮が生じることによって一気に排便が起きてしまうという症状が生じる方がいること,そしてその症状は1年を過ぎるころから減少していく,ということを伝えました。
西村 最終的には,注入的促進によって定期的に直腸をきれいにして,排便リズムを作っていくことによって,コントロールをつけていくことができた事例でした。
神山 この事例では,具体的にどうするということよりもむしろ,今の状況と今後の見通しについての専門的知識をわかりやすく伝えることによって,患者さんが安心できたということが重要だったように思います。つまり,排泄の問題について「大丈夫ですよ,○○さん」といってあげられる専門家の存在が重要なのだということです。
西村 一流の専門家グループのバックアップのもと,ケアを行なうことができたのは大きかったですね。その安心感が,患者にも伝わっていたのだと思います。
本間 少し一般論ですが,脊髄損傷の場合,急性期は整形外科が診ますが,それが終わると排尿の問題があれば泌尿器科にまわってきます。しかし,そこには必ず便の問題も付随してくるわけで,なしくずし的に泌尿器科医が便の問題を診ているという現状は多くあるのだと思います。そういう泌尿器科医に,この研究会で得られた情報が流れていくと非常によいと思いますね。
西村 泌尿器科に限らず,難病にかかわっている内科の医師は皆同様の経験があるのではないでしょうか。神経難病では排尿も排便も,さらには排泄動作そのものができなくなる,ということが起こりますから。

排泄とQOL

――こうした排泄の問題への取り組みが遅れてきたのはなぜでしょうか?
西村 1つには気づいていてもほかの問題が大きいから,それどころじゃなかったということでしょうね。例えば精神科なら精神科の症状をコントロールすることが重要で,副作用の尿閉や便秘はある程度仕方がないという考えは今でもあると思います。
本間 そもそも,排泄に関心を向ける人が少し前まではほんとうに少数でした。尿失禁といえば「年取ったら当たり前」と言われてきたわけで,それを障害だと誰も考えていなかったし,本人もそんなもんだと思ってきたのだと思います。
 しかし,食うや食わずの時代だったらいざ知らず,これからの時代は,こうした問題には目を向けていくべきだと思いますね。実際に診るとかなり深刻な事例も多いですし,こちらが少し知識をつけることによって防げる問題も多いのですから。
西村 そういう意味で私は,下剤の使われ方について危機感を持っています。
 例えば「3日便が出なかったら下剤」ということは臨床でしばしば行なわれています。しかしその結果,次の日にひどい下痢になったということは多いのです。
 その人の食べているものからストレス,トイレの環境,便の出し方,おなかの調子まで,多くのことをアセスメントすることによって,下剤の処方は変わって当然なのですが,現状ではどの程度の便秘・下痢なのかというアセスメントは行なわれず,仮に患者さんからの訴えがあっても薬の変更さえ検討されません。医師から処方された大量の下剤を患者さんが個々に,適当に調節して飲んでいる,というのが現実ではないでしょうか。その結果,強い下痢や便漏れを起こしている方も多いようです。
神山 そうですね。消化器外科では,現在でも腸閉塞になった人の術後には下剤を使って強制的に下痢にさせるといったことがよく行なわれています。そこではQOLなんかはまったく考えずに「イレウスになるよりは漏れているほうがいい」ということで下剤が処方されているのですが,「下剤がどの程度イレウスを予防するのか」というエビデンスがあるわけではないのです。
 しかし一方で,下剤を切ることには患者にとっても医師にとっても,イレウスの恐怖があることも事実です。このあたりが難しい問題なのですが,少なくともきちんとアセスメントすることによって今よりも下剤を減らすことはできるはずです。
本間 「イレウスになるより漏れているほうがいい」という言い方は,乱暴に聞こえますが,一例でも痛い思いをした経験に基づいているのだとすれば,それを避ける意味ではそれなりに意味のある言葉ではあると思います。しかし,その言葉が「ケアを怠る言い訳」のような使われ方をして,無反省に下剤が処方されているとすれば問題だと思いますね。
西村 そういう意味ではQOLという言葉はポイントですね。尿にしても便にしても,「出ないよりは出るほうがいい」というのは正しいでしょう。しかし一方で「出っ放し」でコントロールできないことがどれだけ大変かということが考慮されてこなかったのは問題です。QOLという概念が取り上げられるようになった今ようやく,そういった側面に取り組む志向が各方面で出てきたのだと思います。ですから排泄学も,そういったQOLの考え方を背景にしたものだということはできるでしょう。

排便は医学のフロンティア?

本間 私は,お風呂に入っていたら知らないうちに便が出て浮かんでいた,という事例が衝撃的でしたね。これはそれほど珍しい症状ではない,ということでした。
神山 寝たきりの人が気づかないうちに便をもらしているというのは常識だとしても,元気に生活している人が知らないうちに便を漏らしてしまうというのは,あまり知られていないかもしれませんね。
本間 つい先日行なった疫学調査では,便失禁は高齢者で20%くらいの人にあり,若い方でも1-2%の人にあるということです。社会的にオープンにしにくい症状なので表面化していませんが,潜在的には尿失禁の問題と変わらないくらいの頻度で便の問題は生じているのではないかと思います。
神山 この会に参加してから,排尿の学問が,排便に比べてかなりきちんと整理されていることを知りました。ですから今後は,「排尿学」が歩んできた道をたどることで,「排便学」を確立していくことは可能ではないかと考えています。それによって,便の問題で困っている人を助けられるといいと思いますね。
本間 私が検討会の中で消化器外科の先生からうかがった話の中でいちばん印象深かったのは,排尿と排便のメカニズムの違いですね。尿は,膀胱が収縮して,尿道がゆるむことによって出ます。膀胱の収縮と尿道の弛緩ですね。しかしそれに対して便では,括約筋が弛緩するのは同じなんですが,直腸が収縮するわけではなく,腹圧がかかって直腸が外部的な力によって収縮することによって便が出る,ということをはじめて知りました。
 たぶん,多くの泌尿器科医は,膀胱のメカニズムと同じようなものを,直腸に想像しているんじゃないでしょうか。それは間違いだということですね。
 このメカニズムを踏まえると,排便障害の際,骨盤底や腹筋の働きを診ることがすごく大事だ,ということがよくわかります。一方,尿の場合は膀胱と尿道さえしっかりしていれば尿は出るわけですから,あまりそういうことは問われません。ですから,例えば腹筋が障害を受けた場合,泌尿器科的には関係なくても排便には問題が生じる,ということになりますよね。
神山 今の本間先生のお話は現在のところ確実に理論化された話ではありませんが,私がみた限りの画像や,説明の合理性ということから,まず間違いない理論だとは思っています。
 実は排便の生理学,あるいは神経学はいまだに未知の領域なんですね。しかし,排便に興味を持っている人は増えてきていますし,学問的なノウハウも他領域を参考にすれば十分な蓄積があります。これまでそれを体系化していく人がいませんでしたが,今後その作業を行なっていくことによって,排便についてこれまでわからなかったことが飛躍的にわかっていくのではないかと思っています。

■医学,看護,社会――領域を横断する「排泄学」

患者の世界,医療者の世界

西村 私は事例提供が多かったので,すべて印象深い事例ばかりですが,中でも子宮頸癌の術後に尿・便漏れがあって,離婚を考えているという49歳の女性の事例が印象に残っています。
 この方は研究会まで来てくださって,「便が漏れっぱなしだからセックスもできない。夫に申し訳ないから離婚しようと思うが皆さんどう思うか」と訴えられました。私たちは医療専門職集団ですから,メンバーみんなが「膀胱腟直腸瘻ができている可能性が高いから,離婚の前にともかくほかの病院にかかって検査を受けなさい」と繰り返して訴えたんですよね。しかし結局この方はそれに同意されませんでした。
 私たちは今でも,あの方がどうなったのかとても心配で気になっています。お互いが歩み寄れば,きっと違った道が見つかったと思えるのですが,結局物別れになってしまった,忸怩たる思いが残る事例です。
 患者と医療者の間には,どんなに気持ちを寄り添わせようとしても越えられない壁があるのではないかという,ある意味で原点に戻って考えさせられました。
神山 あの方にとって,自分の状態というのは「誰にも取り返しがつかないもの」であって,その日に知り合ったばかりの私たちなんかには「取り返してほしくない」という思いがあったのではないでしょうか。
 「便漏れがない人生」のことは忘れて,やっと今の身体を受け入れながら新しい方向に向けて一生懸命歩みはじめたのだから,今さら口出ししてほしくないということではないかと思ったのですが。
西村 でも,私たちのところにせっかく来てくれたのだから,違う考え方があるとどうして考えてもらえなかったのか,と思うとくやしいんですよ。
神山 ええ。それができなかったことは私も本当にくやしかったです。思い出してみると,こちらから「改めて検査をやりましょうよ」と提案した時,特に拒否的だったように思います。もう自分の体を受容しているから,そこから検査で悪いところを見つける,っていうことは受け入れがたかったんでしょうね。
 だから検査とか治療といった,「こうしたらいいじゃない」という提案をする前に,「ほんとうにたいへんだったね」っていう言葉が必要だったんでしょうね。
西村 そうですね。考えてみれば,患者の主張を肯定するというのは,カウンセリングでいえば「受容的傾聴」ということで,基本中の基本だと思うんですが,それがこの事例ではとても難しかったですね。なぜならこの場合,医療専門職として,どうしたって「穴(膀胱腟直腸瘻)を塞げばそれで解決」って思ってしまいますから。
神山 医学的な問題としてはそれほど複雑なものではないだろうな,と思えるだけに,「そうですね」とはいいにくかった。逆に医学的にどうしようもない状態だったら,「たいへんだったね」と共感できたのかもしれないですね。

「治療」よりも「具体策」

本間 社会的な問題と排泄の問題が密接に絡み合ったものとして,私が印象に残っているのは二分脊椎の15歳の男の子の事例です。問題点は学校で導尿するのが嫌で,定期的な導尿を守らなくなり,感染を繰り返していたというものですね。
 こういった事例について,医学的に「こうしたほうがいい」ということは簡単です。しかし,学校側の受け入れ体勢や,二部脊椎診療体制の不備など,社会的状況のほうがずっと難しい。排泄の問題というのは広がりが深いということ,排泄の問題があるとみんなそれを隠したがるということ,そういった社会的な問題点がよく出ていた事例だと思います。
西村 排泄の問題には,診療科の狭間で浮き上がってしまうという側面がありますが,この事例の場合は学校と医療,あるいは家庭との狭間で宙に浮いてしまった事例といえますね。
本間 私はこういった事例を扱った時,特にこの会のよさを感じるんですよ。知識の交換よりもむしろ,考え方の違う集団が集まってインタラクティブな交流を交わしたということに,多職種による検討会の意味があったと思うのです。知識は切り売りできるけれど,その人の経験やセンスは切り売りできませんからね。
 泌尿器科なら泌尿器科の医師同士でのカンファレンスは普段からやっていますが,それでは検討内容がかなり偏っている可能性があります。排泄という横断的で,広範な問題を含んだフィールドだからこそ,皆が同じ議題について意見を述べ合うことができたのだと思いますね。
神山 またこの事例のように,手術や薬といった,医療者でできる範疇を超えて介護とか福祉まで含めて考えなければならない時に,私たち医療者は基本的に弱いですよね。それを議論できたのがよかったと思っています。
西村 どんな問題でも参加者みんなが「私に関係ない」とうっちゃらないで,真摯に,一生懸命ディスカッションしたことの意味は大きいですよね。
神山 治療よりもむしろ対処,対策,トリートメントを皆で考えることができました。それは教科書に載っている「治療」とは違う,「具体策」です。そういう具体策を出していくことにはすごく意味があるし,お金にはならないかもしれないけれど,患者のQOLにはつながるわけで,私たちの会の存在意義はそこにこそあるんじゃないかと思いますね。

排泄は医療の「鬼門」 鼎談を終えて-本間之夫

 私は排泄というのは医療の「鬼門」だと最近思うようになりました。
 「鬼門」とは東北の角のことで,しばしばそこにはトイレが置かれました。そして,風水の考えでは「鬼門をきれいにしないと家が栄えない」といわれてきました。
 風水など迷信だと思われるかもしれませんが,少し考えてみると,「玄関や床の間がいくらきれいでもトイレが汚い家はあまりいい家じゃない」というのはよく理解できます。
 東北の角は一番日当たりが悪く,風通しも悪いところです。そこを掃除しないような家は栄えない。「鬼門をきれいにしないと家が栄えない」というのは,そういうことを言っているのではないかと思うのです。
 それと同じようなことは,社会や医療にも言えるのではないでしょうか。美しくて立派な部分とそうでない部分があるとすれば,「立派な部分」ばかり気にかけて「そうでない部分」を放置している社会は,やはりいい社会とはいえないでしょう。
 そういう意味で私は,「排泄」という領域は医療における鬼門ではないか,と最近考えているのです。先端的な医療技術は家における玄関や床の間のようなもので皆の注目が集まるところです。その一方で光の当たらない東北の角に排泄という領域があるのです。ここを放置していては,いくら先端的な医療技術が進歩しても,医療全体は美しくないと思うのです。
 私は泌尿器科医ですから排泄を扱いますが,ほかにもいろんな分野でそういう「鬼門」にあたる部分があるのだと思います。みんなが嫌がって,なるべく見ないようにしている部分のことです。そこをなるべくきれいにしてあげることによって,全体がよくなるのではないかと思っています。




神山剛一氏
昭和大学一般・消化器外科講師。1992年昭和大医学部卒業後,外科学教室に入局。99年に大腸肛門病の専門病院として名高い英国のSt. Mark's Hospitalに留学,特に直腸肛門機能に興味を抱き,排便障害の病態の解明や,排泄の問題を包括的に対応できる専門家の必要性を認識する。



本間之夫氏
日本赤十字社医療センター泌尿器科部長。1978年東大医学部卒業。東大病院,都立駒込病院,自衛隊中央病院,三井記念病院,東京逓信病院などの勤務を経て,2003年より現職。尿失禁をはじめとする排尿障害の治療経験から,排便を含めた排泄の問題の重要性を認識し,「排泄学」という言葉を提唱した。



西村かおる氏
日本コンチネンス協会会長,コンチネンスジャパン株式会社取締役。1982年東京都公衆衛生看護専門学校保健学科卒業後,東京衛生病院で訪問看護に従事し,排泄ケアの重要性を痛切に感ずる。86年に英国に留学。訪問看護,失禁看護を学んで帰国。89年帰国。現職と専門外来を持っている。