医学界新聞

 


名郷直樹の研修センター長日記

5R

気楽なようでシビアな生活

名郷直樹  (地域医療振興協会 地域医療研修センター長,
横須賀市立うわまち病院 臨床研修センター長)


前回2556号

△月×日
 週に2回の内科外来をこなしながら(こなしちゃいけないだろうが),3名のシニアレジデントと,のんびりとした毎日。ちょっと落ち着いてみると,何だかいい感じだ。スタートの時に立ち込めた暗雲も,徐々に晴れ間が見えはじめた。十分それを実感できる。自分自身ちょっとあせっていたな。「案ずるより生むが易し」だ。自分で書いて少しいやになる。学生時代,何かというと,「虻蜂取らずだな」とか,「猫に小判だ」とか,やたらことわざでまとめるやつがいたんだが,嫌いだった。
 そんなことはどうでもいい。話を戻そう。毎日ひたすら外来,往診,健診,時間外診療,という日々に比べれば,週2回の外来,当直なし,なんて恵まれた日々だろう。これこそ私のめざす生活だ。朝8時に出勤,外来がなければ,今日は何をしようかな,そんな感じ。シニアレジデントも内科からのローテート研修がはじまり,昼間はほとんどいない。そんな時は,自分の好きな仕事ができる。原稿を書いたり,講演の準備をしたり,1か月後の研修医オリエンテーションの準備をしたりである。
 あと病棟業務の合間でレジデントが部屋にいたりすれば,10分か20分のちょっとしたレクチャーをしてみたり,他愛もない与太話をしてみたり,たまには私が患者役になって,ロールプレイをしてみたり,身体所見のとり方の実習をしてみたり。それで結局帰りが遅くなってしまうんだけど,5時を過ぎれば,ちょっとお先に,というのも不可能じゃない。
 唐突だけど,高校の卒業文集にあったひとつのフレーズを思い出す。自分が何を書いたかなんてさっぱり覚えていないけど。書いていたのはたぶん杉富士君だったと思う。そんな名前はどうでもいいか。名前は強そうなんだけど,実際は色白で,気弱な感じ,けんかしたら絶対勝てる,そういうタイプ。そんなことこそどうでもいいか。とにかく本題からすぐにそれてしまう。気をつけよう。
 そこで本題。細かい言い回しまではよく覚えていない。ひょっとしたらぜんぜん違うことだったかもしれないんだけど。まあ大事なのは実際に言われたことじゃなくて,自分の頭に残ったことだ。私の師匠の江頭先生も言っていた。

 何かの話を聞いて,聞いたそのままを書き留めておくことなんかやめなさい。その話を聞いて,あなたの心に浮かんだことを書き留めておきなさい。

 あれ,杉富士君からいつの間にか江頭先生になってしまった。気楽な生活なんだな,どうやっても本題からそれる。話を杉富士君に戻そう。確か当時最難関だった東京都大学へ現役で合格した秀才だったな。さすが秀才,書くことが違う。別に仲がよかったわけじゃないし,ほとんど話したこともないのだけれど,卒業文集の印象は強烈だ。

 ユートピアっていうのは,ウ・トポスというのが語源で,どこにもないって意味らしい。気楽なようでシビアな生活をめざしたいんだけど,気楽なようで気楽な生活,やっぱりツボかな。

 そんな感じだった。「やっぱりツボかな」というのは,当時どうしようもない状況に陥ることを,ドツボに陥る,ツボにはまる,なんて言ってたから,多分そんな意味だろう。できれば文集の実物に戻りたいんだけど,25年も前の文集は,度重なる引越しの淘汰の中すでに手元にない。燃やしたりはせず,廃品回収には出しているだろうから,うまく行けば10回くらい再生利用されてるかもしれないけど。でも再生されているとしても,内容が読めるように再生されるわけないし。
 同級生に聞いてみてもいいんだけど,クラスメートの中で,この20年のうちで連絡をとったやつはひとりもいない。生涯の友なんてのはいないものだ。生涯の伴侶も怪しいけど。だいたい自分の所在を知らせていないので,卒業生名簿が私の手元には届いていない。どっちにしたってかつての自分の友だちで文集を大事に持っているやつもいそうにないし。
 一体何の話だ? そう,「気楽なようでシビアな生活」だ。今の自分の生活は? そういうことだ。杉富士君はどうしているんだろう。高校時代のように,やっぱり気楽なようで気楽な生活か(なんたって秀才だ),それともリストラされて,シビアなようでシビアな生活か。あるいはホームレスになって,シビアなようで気楽な生活か。
 と,こう書いてギョッとする。ホームレスっていうのは,シビアなようで気楽な生活ではなく,これこそ気楽なようでシビアな生活ではないか。そんな見習うべきホームレス,ロールモデルとなるホームレスもいるに違いない。自分自身がめざしたのは,そんな見習うべきホームレスか? 気楽なようでシビアな生活を営むホームレス,よくよく考えると自分がめざすものとかなり近い気もする(ここでは,そんなもんめざしてどうする,なんて突っ込み入れない)。
 外圧によって無理やりがんばるのではなく,気楽な中でこそ,自分自身を律することができる,そんな生活。朝起きて,特に何もやるべき仕事はないし,別にやりたいこともないんだが,今目の前にある何かの中で,最もやりがいのある仕事を,少しでも誰かのお役に立てそうな仕事を,その先どうなるとか,何の役に立つとか,そんなことにとらわれず,今に集中して,その日の仕事を終え,夜になれば寝る。なんともいい感じじゃないですか。
 気楽なようでシビアな生活をめざしても,すぐにも気楽なようで気楽な生活に転がり落ちる。あるいはシビアなようでシビアな(あるいは気楽な?)元の生活に逆戻りだ。そのぎりぎりのところで,気楽さを失わず,シビアさにもくじけず,イツモシズカニワラッテイル。ヒガシニビョウキノヒトアレバ,イッテカンビョウシテヤリ(シテヤリというのはいいのか?),ソンナケンシュウヲワタシハテイキョウシタイ。今日もまた観念奔逸。
 もうすぐ研修医がやってくる。気楽なようでシビアな指導と,気楽なようでシビアな研修,めざすはそれだ。もういくつ寝ると研修医が来る日,早く来い来い研修医。



名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。