名郷直樹の研修センター長日記 |
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机と椅子で十分だ!
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(前回2544号)
△月×日
研修センターに,ロッカーと11組の机と椅子が搬入された。中古のロッカーと新品の机と椅子。がらんどうの部屋から,何となく仕事をする雰囲気になってきた。いよいよ仕事の開始だ。
と言っても実はまだ仮住まい。仮住まいというのは,研修センターの本来の部屋がいまだ工事中なのである。そこで現在休業中の看護学校の一室を間借りしてのスタート,新しい部屋は一応5月半ばには完成の予定,1か月半の間ではあるが,ここがわれわれ(われわれって,ちょっと恥ずかしい…)のしばしの城(城ってのもなあ)だ。
とこんなふうに書いて,なんかぞっとした。自分で自分につっこみを入れるのはなかなかしんどいもんだ。誰か俺につっこんでくれ! われわれの城,でなくて,もっと気の利いた言い方はないものか。まあいい。自分の異常な精神状態に,少しは気づくようになったってことだ。
そんなことより,問題は自分の机をどこに置くか,それが第一。一晩寝ずに考えた結果(ウソ),入り口から一番遠い,奥の隅に自分の机をキープすることにした。なかなかいい位置である。よく見ると,机は私の机だけが両袖に引き出しがついている。椅子も私のものだけ肘掛つきである。一応センター長だからか? ちょっといい気分。だがこんなことでいい気分の自分に,かなり自己嫌悪。しかしそんな細かいことはたいしたことじゃない。部屋全体を見渡してみる。もうひと月もすれば,この部屋に若い研修医があふれている。机と椅子,十分な装備じゃないか。まさしく新しい仕事の始まりにふさわしい。今度は決してやせがまんでなく。
採用前の約束だった事務員も配置されず,注文した医学書や医学雑誌も一部しか届いていない。そんなことに腐っていたが,まったくばかげたことだ。机と椅子,そして新しい研修医を待つ身,それでまったく不足はない。そうじゃないか。なんかふつふつとエネルギーがわいてくる。
何にもないには,すべてがある
すべてがあるには,何にもない
ゴールデンウィーク明けに研修医を迎えるための準備,それが私の仕事だ,と気合をいれる。しかし実際のところ,何から手をつければいいのかさっぱり見当がつかない。湧き出すエネルギーは空回り,無駄遣いもはなはだしい。荷物はまだダンボールに詰まったまま。何か資料を取り出そうと思っても,どのダンボールに何が入っているかさっぱりわからず,宝探し状態である。
探すのをやめた頃(そんな歌があったな),探し物とは関係ない,別の資料が目にとまる。探し物は見つからない。歌とは違う結末だ。10年ほど前,EBMについて書いた総説の別刷である。高齢者の収縮期高血圧の論文,SHEP研究を取り上げた一文。よくもまあどこのウマの骨が書いたかわからない,こんな原稿を載せてくれる雑誌があったものだ。またよく投稿する勇気があったものだ。われながら感心する。そしてそんな一文に,わざわざ激励の手紙を寄せてくれた診療所医師のこと,そんなことを思い出す。
上の血圧だけが高い高齢の患者さん,ある人は脳卒中になり,ある人はまったく元気で,どうしていいかわからないくせに,知ったかぶりで,えらそうな外来をやっていた頃のこと。
「高血圧の薬をのまなければ,脳卒中になってしまいますよ!」
そんな大うそを無理やり通していた。すべてはここから始まった,そんなふうに思うのだが,でも別にSHEP研究を探していたわけじゃない。たまたま出合っただけ。
EBMだって同じだ。EBMを探して,EBMにめぐり合ったわけじゃない。EBMに出合わない自分,それだって容易に想像できる。出合う必然なんかない。だいたい自分が医師になる必然だってないし,自分が生まれてくる必然だってない。それはいいんだが俺は何を探していたんだっけ? まあいい,どうせたいしたものを探していたわけじゃない。
私は探さない。見つけるのだ
こういったのはピカソだっけ? たぶんそうだ。ピカソがどんな状況で,どんな意味で言ったのか知らない。でもとても自分にぴったりくる言葉だ。何か1つの解答があって,それを探すなんてことはばかげている。あるべきたった1つの自分,あるべきたった1つの人生,そんなものはない。かけがえのない自分なんていう幻想にさよならしたこと。かけがえのない自分でなく,かけがえがあっても,田舎の診療所で少しはお役に立てる自分。自分に対する解答はさまざまだ。どんな解答だっていい。探さなくたってもうさまざまな答えが転がっている。探して見つけるなんてことはするまでもない,探さなくたって見つかるのだ。
私は探さない。見つかるから
ちょっと変,観念奔逸状態かもしれない。そろそろ自分につっこみを入れる時期か?
僻地医科大学,僻地診療所,高齢者収縮期高血圧,臨床疫学,行動科学,EBM,そして研修医教育,探さなかったからこそ,ここまで来た。そして,また何か見つかる気がする。それが何か,まだ見当もついていないけど。
名郷直樹 1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。 95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。 |
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