医学界新聞

 

気迫に満ちた論述が私をとらえてはなさない

書評に代えて,友を偲ぶ   『自宅でない在宅-高齢者の在宅生活空間論』発刊に寄せて

岡本祐三(岡本クリニック・国際高齢者医療研究所所長)



故・外山義氏
    『自宅でない在宅-
高齢者の生活空間論』
外山義 著
A5・頁150
定価(本体1,800円+税)
医学書院,2003年


 本書はいうまでもなく昨年秋,多くの人々を呆然とさせて急逝した建築家,特に生活に不自由のある高齢者の「住まい」について,空間と人の生活についての深い観察に基づいた理論と実践にかけては言葉の真の意味でわが国の第一人者であった外山義氏の,北欧留学後の業績の集大成である。大部なものではないが,実に内容は濃い。
 ここで著者の人となりについて,おそらくあまり知られていないことも含めて少々ご紹介しよう。

広さと深さ

 評者が氏の知己を得たのは,今から13年ほど前,ようやく介護問題が日本の社会問題として大きく顕在化し,その後わが国の高齢者介護の歴史では画期的な政策となった「ゴールドプラン」が登場する少し前の頃であった。氏はこの年(1990年),いまや高齢者建築分野の古典となった『クリッパンの老人たち』(ドメス出版)を世に問う。
 評者はこの本の出版直後,ある医学雑誌から書評を依頼され一読,個々の生活者としての高齢者との対話からスウェーデンの高齢者福祉政策の歴史に及び,さらに人間の尊厳-人格の保持にとって「個人の空間」こそ必須かつ侵すべからざるものであるという,その後も氏が確信をもって展開することになる高齢者の生活空間論の視野の広さと「生活」についての洞察の深さに驚いた。
 その書評では「いささか玄人好み」と書いた記憶があるが,それは氏の先見性についていけなかった自らの未熟さを露呈したにほかならなかったことを後に思い知る(この本の表紙絵も,高齢者間の嫉妬と優越感の葛藤を木彫像で表現したもので,氏の多面的な人間観を示す実にユニークなものだ)。

冷静と情熱

 外山氏はあらゆる意味でとてもスマートでクール,「まじめで孤高の人」と評する向きもあった。もう一方で氏をよく知る人々の間では「何かに突き動かされるように駆け抜けた生涯だった」といわれる。
 たしかに氏は徒党を組むことを嫌った。しかし全国の村や都会の講演会やシンポジウムで熱っぽく高齢者の生活と尊厳を説き,既成概念の誤りを鋭く――まさにエビデンス・ベースドに――証明し,どんな人にでも忍耐強くていねいに応対する親切な人であった。
 氏が会場の一般聴衆からの質問に実に丁重に回答する姿には,いつも敬服の念を覚えたものだ。その結果,徒党を組まずとも多くの人々の目からウロコをはがし,心を揺り動かすことができた。氏を突き動かしていたのは,高齢者の尊厳が理不尽にも奪われていることへの怒りと,「改善への方法論があるのに」ということを示す溢れるような情熱であった。

こだわりの人,つきあいの人

 氏が京都大学教授に着任して早々のこと,学内食堂で食事を運んでいると「そっくりやな」「ほんまや」「それほどでもないんちゃうか」という声が聞こえてきたというほど,その風貌は俳優の陣内孝則氏にそっくりだった。私の知る限り服装はいつも紺色のスーツと濃いめのカラーシャツに無地の渋いタイ。旅先での出会いが多かったせいもあるが,「汚れが目立ちませんので」とご本人はおっしゃるが氏一流のこだわりである。
 ユーモア(かなり辛辣な)もたっぷりだし,酒席でのつきあいもよかった。2次会,3次会も事情が許す限りつきあう方だった。外務省関係の仕事で韓国へともに旅行した時,前日に現地の方々に誘われてしたたかに飲んだ氏が,慶州に向かう飛行機の中で「はきもの袋」に顔を埋め通しだったこともあった。
 京都に単身赴任後も関係者を「泣かせた」ことの1つは,多忙な氏となかなか連絡がとれないうえ,自宅の電話を公開してくれなかったことだ。プライバシーの大切さを説きつづけた持論の実践というべきか。その自宅にはテレビは置いてないとのことだった。「ラジオがあれば十分ですから」と。しかし若い俳優やテレビタレントのことなどもけっこうよく知っていて,いったいどこで仕入れてくるのかと不思議だった。
 該博な知識と経験に基づいて,きちんと理を説き,相手を納得させる外山氏の説得術には定評があった。ある時私が「家ではことあるごとに女房に叱られる。うるさくてかなわん」とコボしたところ,氏は「気持ちはわかります。しかしね,われわれくらいの年になると,面と向かって至らぬところを指摘してくれるのは連れ合いだけです。身近な批判者というのは貴重な存在ですよ」と諄々と諭された。これには深く納得し,この言葉は今でも座右の銘としている。

陰影の原点

 本書『自宅でない在宅』は氏の没後に最終仕上げがなされた。その作業を担当したお弟子さんの「あとがきに代えて」には,「先生の研究の特色は,工学がもっとも苦手とする人間性の問題に正面から向き合おうとする点にあり,その出発点には信仰があったと確信しています」とある。
 氏から直接うかがったことだが,ご尊父外山五郎氏はパリへの留学体験もある画家として高名であるが,神学を修めた方でもあった。人間性に関する関心と洞察,そして高齢者の生活の改善への情熱には会うたびに敬服したものだが,陰影に富んだ氏の人間観察の原点についてもっと多くを知りたい思いにかられる。

洞察と実証に裏づけられた 「高齢者介護原論」

 本書はもちろん高齢者の住まいの基本を「身の置き所」としてとらえ,高齢者の心理の深い洞察と,類例をみない実証的研究によりそれを裏付けた実に説得力のある集大成である。高齢者介護原論としても最良の一書であり,高齢者ケアに携わる方々は必ず読まなければならない。大部屋での生活がいかに人間の尊厳を損なうものであるかについて,氏の気迫にみちた論述が随所で読者をとらえてはなさないだろう。 「では,このような施設の空間条件の中で,『一人気ままな空間』をつくる方法はあるのだろうか。筆者は長い間この問いを抱えていたが,あるとき気づいた。その答えは『ある』のである。ボケればよいのだ」(本書26頁)
 本書の扉裏に引用された,いかにも外山義氏らしいメッセージをもって拙文の結びに代えたい。

 「ぜひ前のめりに進んで行きたいなと思います。前のめりになって転ばない方法は,足を出すことです」