医学界新聞

 

〔寄稿〕

新薬への期待と問題点

上野文昭(大船中央病院内科部長)


“新しい薬”と“よい薬”

 薬物治療は今日の診療の中核をなす重要な治療手段であり,日進月歩の医学の中でも特に進歩の著しい分野の1つである。治療に難渋していた疾患において,新たに開発された薬が治療体系を大きく変貌させた例は少なくない。そのため新薬の開発と早期承認への期待は高まるばかりである。
 ここで本質を見誤ってはならない。われわれが,というより患者が新しい薬に求めるのは「新しさ」ではなく,その「よさ」である。古い薬であっても「よい」薬であれば何ら問題はなく,「古い」ことが薬の価値を低めるわけではない。
 一般に「新しい薬=よい薬」という短絡的思考が根強いが,これは必ずしも正しくない。特に患者側にはこのような思い込みが顕著であるため,医療職は冷静かつ客観的な判断をしながら正しい方向へ導く姿勢が必要である。

医薬品の有益性と有害性

 あらゆる治療には有益性と有害性があり,薬物治療も例外ではない。有害性のない薬などこの世に存在しないといっても過言ではない。誤解のないよう申し添えるが,筆者は何も薬を敵視しているわけではない。逆に筆者の診療を支援してくれる友人として頼っている。だからこそ悪い点は率直に批判し,もっとよい友人になってほしいと思っているだけである。
 最近の新聞報道によれば,医薬品の副作用に起因する死亡者数は2001年度の1年間で1239件にのぼることが厚生労働省により明らかにされたという。もちろん因果関係の詳細に関しては知る由もないが,患者のために用いた治療手段で最悪の結果を生じる事例が決して少なくないことが示された。100%安全な手術が存在しないのと同様に,薬物治療に際しても効果だけでなく副作用にももっと眼を向ける必要がある。

断片的な報道が与える悪影響

 特に新薬に関してはより一層の注意を払うべきである。大規模な臨床試験を経たといっても承認後に使用される症例数とは比較にならない。臨床試験で拾い上げることができなかった有害事象が,承認後に露呈することも少なくない。脚光を浴びて登場した新薬が,重篤な有害事象のために発売中止に追い込まれた例もある。医薬品の真の評価には時間がかかるのは当然である。本当によい薬かどうかの判断には,市場に出てから3-5年ぐらいの歳月が必要と筆者は考えている。新薬には未知の要素が多いことを念頭において,慎重な適用を考えるべきである。
 新薬に関するマスコミの報道にも問題があろう。ウイルス肝炎に対するインターフェロンに関する報道を例に挙げよう。承認直後に大新聞がこぞって「魔法の新薬」であるかのような記事を掲載したのを記憶している。待望久しい画期的な原因治療薬ではあったものの,有益性と有害性に関しては未知数の部分も多く,当時筆者は適用症例を厳選していた。しかし新聞報道を目にした患者の要望は強く,結局患者に押し切られた形で使用したこともしばしばであった。
 その後臨床例が集積されるにつれ有害事象の実態が明らかとなった。確かにインターフェロンによる有害事象は多い。しかし数年の臨床使用を経て効果の限界と副作用の実態が把握されるところとなり,むしろ筆者は自信を持って適用を考えられるようになった。ところが今度は,厚生労働省の発表を受けた新聞各紙が「きわめて危険な薬」であるかのような報道を一斉に行なった。承認時点と比べて薬自体の危険が増したわけではない。むしろ副作用の実態が掌握できたぶん,安心して使えるようになったと捉えるべきである。
 この報道以来,インターフェロンのよい適応と考えられる患者までが躊躇しはじめたのは残念なことである。もちろん新聞は事実を伝えているのであろうが,断片的な報道が医学知識に乏しい一般の患者へ与える影響を考えてほしいところである。

薬物治療特有の問題点

 新しい外科手術手技が開発され話題となったところで,誰もがすぐに飛びつくわけではない。その外科治療の有益性と有害性を把握するだけでなく,新しい技術を習得することが最大のバリアーとなるからである。
 一方,薬物治療に関してはどうだろうか。適用の是非は別として,使う気になりさえすれば技術的にはきわめて容易である。処方箋を1枚書くだけのことである。新薬が承認された場合にも,技術的なバリアーがないため誰でもその気になれば処方できることが問題である。新薬に限らず本来専門医のみが扱うべき特殊な薬が安易に用いられている例は枚挙に暇がない。その好例が抗がん剤であろう。わが国では腫瘍学に造詣が深いわけでもない医師による抗がん剤の使用が少なくないが,世界的標準からみれば異常な事態といえよう。
 このような小手先の技術の容易性が薬物治療を混乱に陥れている。薬物治療技術の本質は,その薬に精通することと使用すべき臨床状況を把握することである。処方箋を書くことは事務手続きに過ぎないことを理解しなければならない。発売間もない新薬に精通することなど困難であるため,当然その適用は慎重にならざるを得ない。

基本薬の重要性と臨床医の責任

 薬に精通することが重要とはいっても,現在わが国で使用可能な薬のすべてに精通することなど不可能である。市場にある薬の数は限りなく多く,臨床医はあまりにも多忙である。医師には薬物治療以外にも習得すべきことが山ほどある。唯一の解決策はなるべく薬を覚えないようにすることである。もっと正確に言えば,精通すべき薬の数をごくわずかに限定すべきである。
 内科診療の広い守備範囲を誇る医師であっても,実際使用する薬は100種類程度で十分であり,そのうち繁用する20-30種類の薬に精通すれば事足りる。これ以外の薬は使用するたびに勉強すればよい。これよりはるかに多くの薬を日常診療で必要としている医師は,その診療自体に問題がないかを反省していただきたい。すなわち,疾患の病態や全体像などに関する知識が不足したままに,自分の能力を超えた診療を行なっていることに早く気づくべきである。新薬が登場した場合でも,その薬が自分の基本薬となりうるかを評価してから用いるべきではないだろうか。
 新薬承認後の有害事象に関する批判は企業や行政に集中している。企業や行政の責任がないとはいえないが,筆者はむしろユーザーである臨床医の共同責任を重くみたい。家庭電化製品や車のユーザーと異なり,それを選択し使用する医師はプロフェッショナルである。使ってみたらだめだったという態度ではあまりにも無責任で,プロとして情けない。使うからには患者に与える影響に責任を持つべきであろう。新薬に未知数の点が多いと判断すれば従来の薬を用いればよい。どうしても新薬を要望する患者には十分なインフォームド・コンセントが必要である。
 医学は科学の一分野でありノスタルジーはいらない。趣味の世界ではないので,いたずらに古い薬に固執するのも適切とはいえない。新しい知見により開発された薬が本当によいものであり恩恵に浴する患者がいるならば,その使用をためらうべきではない。ただ無批判に新しいものに飛びつくことは控えたい。
 企業の論理からすれば新しいものをつくりマーケティングを展開することも必要であろう。しかし医薬品を通じて社会へ貢献することこそが社会的使命であるとうたっている企業が多い世の中である。言葉だけではなく実際にその使命を遂行してもらうためにも,常に批判的に吟味しながら薬を選択するのが臨床医の責務である。