医学界新聞

 

〔寄稿〕

マッチングと対峙する

岩田健太郎(北京インターナショナルSOSクリニック家庭医・感染症科医)


カーナビつきの,ブレーキがない車

 私は,一貫して日本でのマッチングの導入に反対してきた。現在の日本の医学教育は課題が大きく,車にたとえるならば,安心して止まれるブレーキや確実なシートベルト,きちんと左右に動かせるハンドルをなんとか備えようと悪戦苦闘しているところである。そこへきてマッチングである。これはいわば車の中でのカーナビやラジカセに該当し,ブレーキがつけられるかどうか真剣に議論している車に,なくてもどうにでもなるような物を付けられても(たとえそれ単独では意味のあるものだとしても),困るのである。まったく無茶な真似をしたものである。指導者の教育への手当てはおろか,研修医への給与の財源すらおぼつかない中で,こんなことにまず金を使うという考え方は理解できるものではない。

が,しかし。

 決まってしまったものは仕様がない。医学生の皆さんもマッチングという過程を経なければ希望の施設で医学研修をするのが困難になる。ここは,済んだことをつべこべ言わずに,いかにこのマッチングと対峙すべきか,マッチング経験者としてできるだけ実践的に述べたいと思う。

望み通りの初期研修を受けるコツ

 医学生の立場から見れば,まず目先の目的は希望の研修先で望み通り初期研修を行なう,ということになろう。初期研修の場として自分が最良と思う施設をまず選ぼう。
 入学してからの成績・業績は大切である。それは,正確とはいえないかもしれないが医師を志す者としての長い努力の反映である。日々の努力,講義や実習での態度,定期的に行なわれる試験の成績。課外活動での努力や活躍。皆さんの日々の努力はここに来て第三者に,忌憚のない目で評価される。現時点で昔日の怠惰を取り戻す余裕のない者は,次なる手段をとらねばならない。
 コネなど関係ない,と嘯(うそぶ)いているのならば,大間違いである。マッチングのようなシステムの場合,コネは大きくものを言う。病院側のリストの順位はコネのあるなしで大きく上下するだろう。めざす病院をよく調べてみるとよい。院長や臨床研修責任者に母校やらなにやらの人間関係はないだろうか。誰に推薦状の執筆を頼んだらよいだろうか。
 病院で実習・面接。担当者が相手にする医学生は多く,それに対して貴方にあてがわれる時間はあまりに短い。短期間でいかにいい印象を与えるかが,鍵である。月並みなことばかりしていても仕様がない。ポイントを定めて目立つ必要がある。ただ,多くの指導医は「私はこんなに知っていますよ」的な小生意気な医学生には生理的な嫌悪を覚えることが多いので(むろん,「何も知りませんよお」みたいな逆アピールにいい効果は望めないが),「こんなに愚鈍なものですが,例えばこんな考えはいかがでしょう」と謙虚に下手に出るのがコツである。採用者が欲しいのは物知りではなく,「一緒に働いていて心地よい」人間である。相手にとって付き合いやすい人間を振舞う練習をしよう。間違っても指導医の間違いにツッコミを入れたり,討論したりしないこと。自分のペースでしか話ができないのは困るので,常に面接官とアイコンタクトをとり,相手が何を訊きたいのか,その場の空気を読む能力が大事である。
 面接で必ず聞かれるのが「貴方が医師を志したのはなぜですか」とか「将来はどんな医師になりたいですか」といった紋切り型の質問である。面接官だってその道のプロではないので,その程度の質問しか思いつかないのである。ここで「患者さんに尽くしたいからです」などという月並みな回答は禁句である。10人中8人はそのように答えるからである。面接官の記憶に残ることは,まずない。一番効果的なのは身内や友人,自らが病気や事故で苦労した話だといわれている。苦労話はいつの時代も人の心を打つ。が,作り話はいずれバレルので絶対しないように。また,「私はこんなに不幸だったんです」みたいな,一昔前の「青年の主張」のような苦労自慢は面接官によっては辟易する可能性もあるので,程々にする必要がある。

振りまわされず,堂々と立ち向かえ!

 さて,ここまで読んでいて心ある読者の皆さんはけっこうがっかりなのではないだろうか。これが医学教育改革の先鋒たるマッチング対策? 筆者自身,自分で書いていてかなりガックリである。しかし,これが米国などのマッチング対策マニュアルに実際に書いてある内容なのである。ネームバリューのある大学出身者で,たゆまぬ努力を惜しまず,実績を積んできた者ならこんな小細工を弄する必要などない。しかし,そうでない場合(ほとんどの場合はそうでない!),6年生になって後戻りができなくなった時,皆さんはあらゆるテクを駆使してマッチングと対峙しなくてはならないのである。

 いや,果たしてそうだろうか。自分で書いていて,少々疑わしく思えてくる。

 医療の研鑽において初期研修期間は何にも増して重要な密度の濃い時間である。その重要さはいうまでもない。しかし,最も大事なのは本人自身の自覚と,師たるすばらしい指導医に出会える幸運(この運は月並みな見学やガイドブックでの検索ではなかなか得られない)である。もうひとつの大事な要素,最大の師である患者さんは当然大切なファクターであるが,それは日本全国どこに行ってもたいていついて回る要素なのであまり心配する必要はない。この基本さえおさえておけば,マッチングなど微々たる存在なのでそれほど重要視する必要はないのである。
 誤解されやすいことだが,マッチングの基本は「混ざること」にはなく,医学生も医療機関も上から下まで「序列化する」ことにある。しかし,医療者の基本は隣の仲間と優劣を競い合うことではない。目の前に現存するマッチングには堂々と対峙すべきだが,気にしすぎることで振り回され,右往左往すべきではない。
 マッチングに対峙するにあたり,書いておくべきことと,本当に書きたかったことを並べました。私のメッセージをまっすぐ受け止めていただければ,うれしいです。



岩田健太郎氏
島根県生まれ。島根医科大学卒業。沖縄県立中部病院研修医,ニューヨーク市セントルークス・ルーズベルト病院内科研修医,同市ベスイスラエルメディカルセンター感染症科フェローを経て現職。現在ロンドン大学衛生学熱帯医学校大学院生(感染症)でもある。主著に「バイオテロと医師たち」(著者名・最上丈二,集英社新書),「悪魔の味方,米国医療の現場から」(克誠堂出版)など。HPはhttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/4678/