医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第24回

神の委員会(5)
心臓血管外科の大御所2人

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2547号よりつづく

現役を続ける心臓外科の巨人

 テキサス・メディカル・センター(ヒューストン市)は,42の診療・研究施設が集合する世界最大の医療センターである。その面積はニューヨークのセントラル・パークよりも広く,1日当たりの来訪患者数は10万人を越え,ディズニーランドの入場者よりも多いと言われている。
 この巨大なテキサス・メディカル・センターで,半世紀にわたって心臓血管外科の歴史に貢献してきた2人の巨人が,いまだに現役の外科医として活躍している。マイケル・E・ドゥベイキー(1908年生まれ,元ベイラー医科大学学長)と,デントン・A・クーリー(1920年生まれ,テキサス・ハート・インスティテュート所長)の2人である。

他に類を見ない医学・医療への貢献

 ドゥベイキーの業績は,大動脈瘤手術(50年代),冠動脈バイパス手術(60年代)など,心臓血管外科領域での幾多のパイオニア的な貢献にとどまらず,移動陸軍野戦病院(通称MASH)や復員軍人病院,そして国立医学図書館の創設など,米国の医学・医療政策の領域にも及んでいる。
 特に,最近実用化に向けて著しく進捗した人工心臓研究(2542号,第20回参照)は,ドゥベイキーなくしてはありえなかった分野と言ってよい。自ら研究者として人工心臓の開発そのものに尽力しただけでなく,60年代初めに大物政治家たちに働きかけ,人工心臓開発を米国の国策とすることに成功したからである。現在,人工心臓の研究が米国の独壇場となっているのも,すでに60年代初めの時点で,ドゥベイキーがNIHによる莫大な研究予算支出を実現していたことが大きく物を言っているのである。
 また,教育者としての業績も他に類を見ず,ドゥベイキーの薫陶を受けた心臓外科医は数千人にのぼると言われ,76年には世界中の弟子たちが集まって「マイケル・E・ドゥベイキー国際心臓血管外科ソサイエティ」が結成されたほどである(90歳になった後もドゥベイキーは現役外科医として活躍しているが,弟子たちの中にはとっくに引退した医師も多い)。96年には,ロシア大統領ボーリス・エリツィンの冠動脈バイパス手術の際に「コンサルタント」として招聘されたが,エリツィンのロシア人主治医もドゥベイキーの弟子だったと言われている。

「神業」と「商才」

 もう一方の巨人,クーリーは,米国最初の心臓移植手術を行なっただけでなく,世界最初の人工心臓植え込み手術を行なったことでも知られている。若い時からその「神業」的な手術の妙技で名を馳せたが,現在も手術室を渡り歩きながら,毎日10件近い手術に携わると言われている。ジョージ・W・ブッシュ大統領一家とも親しく,最近では,2000年の大統領選挙で,冠動脈バイパス手術を受けた既往があるディック・チェイニーについて,副大統領候補となることに医学的問題はないとお墨付きを与えたことが記憶に新しい。
 ともに同じヒューストンの地から心臓外科の歴史を変えてきたドゥベイキーとクーリーだが,2人の医療スタイルは際立った対照をなしている。学者・教育者・医療政策アドバイザーとして,ドゥベイキーがもっぱらアカデミズムの世界から医療に関わってきたのに対し,クーリーは,92年に『フォーブス』誌で「米国一裕福な外科医」と紹介されたように,心臓血管外科をビジネスとして展開してきた。
 例えば,米国医療にマネジドケアが席巻しはじめた90年代初め,クーリーは他の心臓外科グループに先駆けて「固定価格心臓手術パッケージ」を売りに出し,大手医療保険会社と優先契約を結ぶことに成功した。次々と大口契約を結ぶ商才の巧みさに,クーリーは,「心臓血管外科のサム・ウォルトン()」と呼ばれるまでになった(ちなみに,クーリーは,ビジネス熱心が祟ったのか,89年に,不動産投機に失敗して破産した前歴がある)。
 マネジドケアが支配する新しい市場環境の下で心臓血管外科ビジネスを成功させたクーリーが,誇らしげに「医療におけるコスト削減の重要性」を説く一方で,ドゥベイキーは,「過度のコスト削減は,医療の質を損ねるだけでなく,教育にも悪影響を与える」と,マネジドケアの危険性を警告し続けた。
 医療のスタイルも違うが,ドゥベイキーとクーリーの2人は,犬猿の仲であることでも知られている。長年共通の分野で働き,オフィスもすぐ近くというのに,2人は,ここ30年以上,直接口を聞いたことがないと言われているほどなのだ。
 元々,ベイラー医科大学の同僚だったドゥベイキーとクーリーの2人が袂を分かったのは,69年4月4日に,クーリーが,世界で初めての人工心臓植え込み手術を実施したことがきっかけだった。
(註)巨大量販店チェーン「ウォルマート」の創始者。