医学界新聞

 

〔インタビュー〕

「心と行動の科学」を医学教育に盛り込む

後藤英司氏(横浜市立大教授・医学教育学)に聞く


 「全人的医療」が求められる昨今,「患者の心理や行動」に関する教育の導入の必要性を強調する大学が現れはじめている。今回は,学生向けの講義に「心と行動の科学」という科目を設置するという横浜市立大教授,後藤英司氏に「心と行動の科学」は医学教育になぜ必要なのか,また,どのように位置付けられるのか,そしてその教育プログラムはどのようにつくられるべきかを伺った。


■「心と行動の科学」を学ぶ意義

「Behavioral Science」

──先生は日ごろから,医学教育における「行動科学」についての教育の重要性を指摘しておられます。
 まず最初に,「行動科学」について簡単にご説明いただけますでしょうか。
後藤 「行動科学」は,人間の行動に関する一般法則を体系的に究明しようという学問領域です。もともとは,社会学や心理学と密接な関係がありますが,それだけではなく,精神医学や心療内科学など非常に広い範囲をカバーしている学問分野です。
 「行動科学」というと,ワトソンの「行動主義」のように,人のこころを無視した考え方だと誤解されることもありますが,そうではなく,心という内的過程も含んで考えるものと解釈しています。しかし,「行動科学」の定義にこだわる方もいますので,誤解を避けるために「行動科学」という言葉を使いにくいという事情もあります。私としては,医学部で患者-医師関係を学ぶうえで「患者さんの心や行動を理解するための基本的な理論を身につけるべきだ」と主張したいわけです。米国の医学教育でいう「Behavioral Science」という意味だということで理解していただければと思います。
 アメリカでは,だいぶ前にこの科目名が定着しましたので,行動科学に対する批判が出たとしても,そう簡単に科目名は変わらないと思います。しかし,最近は「Patient-Doctor」とか「Medical Humanities」などという科目で教えている大学もあるようです。大切なことは,「行動科学」という名前にこだわるのではなく患者の心や行動を理解するための基礎知識を身につけてもらうということです。

医療面接との関連

──近年は,医療面接についての教育が広まっておりますが,「心と行動の科学」との関連についてはどのようにお考えでしょうか?
後藤 OSCE(客観的臨床能力試験)が,臨床実習開始前に学生の知識・技能・態度を評価する共用試験に導入されますし,これまでの医学教育でこの方面の教育が欠けていたということもあって,最近は多くの大学で「医療面接」の授業を行なうようになりました。対象は,ベッドサイド実習がはじまる前の4年生となります。
 医療面接も広い意味で行動科学に含まれるでしょうが,これだけで患者-医師関係に関する基礎理論の学習が十分というわけではありません。また,4年生で学ぶというより1年生から6年間を通して「患者の心と行動」について学んでほしいと思っています。1-2年生では,準備教育モデル・コア・カリキュラムの「人の行動と心理」()に沿って教えていただきたい。内容は「行動科学」の基礎の部分に該当します。
 教える人がいないとの指摘がありますが,私としては精神医学と心理学,あるいは内科学の先生が協力して,一般の患者さんが抱える心の問題に関してきちんと教えるような教育課程を開発すべきだと考えています。残念ながら,現在そういったカリキュラムはあまりみられません。

「準備教育モデル・コア・カリキュラム」における「人の行動と心理」の学習目標
(文部科学省「医学における教育プログラム研究・開発事業委員会」 2001年3月)
項目到達目標
「人の行動」
(1) 行動と知覚,学習,記憶,認知,言語,思考,性格との関係を概説できる
(2) 行動と脳内情報伝達物質との関連を概説できる
(3) 行動と人の内的要因,社会・文化的環境との関係を概説できる
「行動の成り立ち」
(1) 本能行動と学習行動(適応的な学習,適応的でない学習)を説明できる
(2) レスポンデント条件付け(事象と事象との関係の学習)とオペラント条件づけ(反応と結果との関係の学習)を説明できる
(3) 社会的学習(モデリング),観察学習,模倣学習)を概説できる
「動機づけ」
(1) 生理的動機(個体保存,種族保存),内発的動機(活動,感性,好奇,操作など),および社会的動機(達成,親和,愛着,支配など)を概説できる
(2) 動機づけを例示できる
(3) 欲求とフラストレーション・葛藤との関連を概説できる
(4) 適応(防衛)機制を概説できる
「ストレス」
(1) 主なストレス学説を概説できる
(2) 人生や日常生活におけるストレスッサーを例示できる
「生涯発達」
(1) こころの発達の原理を概説できる
(2) ライフサイクルの各段階におけるこころの発達の特徴を概説できる
(3) こころの発達にかかわる遺伝的要因と環境的要因を概説できる
「個人差」
(1) 性格の類型を概説できる
(2) 知能の発達と経年変化を概説できる
(3) 役割理論を概説できる
(4) ジェンダーの形成を概説できる
「対人コミュニケーション」
(1) 言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションを説明できる
(2) 文化・慣習によってコミュニケーションのあり方が異なることを例示できる
(3) 話し手と聞き手の役割を説明でき,適切なコミュニケーションスキルが使える
「対人関係」
(1) 対人関係にかかわる心理的要因を概説できる
(2) 人間関係における欲求と行動の関係を概説できる
(3) 主な対人行動(援助,攻撃など)を概説できる
(4) 集団の中の人間関係(競争と協同,同調,服従と抵抗,リーダーシップ)を概説できる

学生が学ぶべき行動科学

後藤 私が「行動科学(Behavioral Science)」という言葉に最初に出会ったのは70年代に米国の医師国家試験(ECFMG)を受験した時でした。日本にはこのような科目がなかったので非常に勉強しにくかったことを今でも覚えています。
 「Behavioral Science」の内容は非常に豊富でした。例えばヒトの誕生から死に至るまでの「生涯発達心理学」や,「老年の心理学」があげられます。日本では身体の発達は学びましたが,心の発達については勉強しない部分がたくさんありました。それから,「ストレスとその反応」などもその中で大事なテーマだったと思います。
 当時,勉強していて思ったことは,医師は,人間の身体的なことを科学的に捉えると同時に,心についても科学的に捉えようと努力しなければいけないということでした。その両面から,総合的な全体像を捉えることが大切なのですが,当時の日本の医学教育では,そのような科目も教科書もなく,あまり強調されていなかったように思います。最近の米国の行動科学の教科書をみても,内容やねらいはだいたい昔と同じようです。
 私は内科,循環器科の医師として診療に携わってきましたが,心理的,社会的なストレスが循環器疾患の発生や悪化に大きく影響することを思い知らされたことが何度もあります。急性心筋梗塞や悪性高血圧などはその代表的なものといえるでしょう。また,悪性腫瘍や最近増えつつある慢性疾患の患者さんの精神的苦痛は本当に耐え難いものです。こういった基本的なことは,学生のうちにぜひ勉強しておいてほしいですね。勉強したことを基盤にしてもう少し深く入って,患者さんがはっきり表現できない場合でも,心の状態を正確に把握し,さらにストレスを解きほぐすことができるようになればと思うのです。つまり,このような分野に関しても,基礎的な知識をもち基本的な技法を身につけていれば,もっと質の高い診療ができるのではないかと思うのです。

学生のうちに学ぶことが重要

後藤 学生の時に教わらない,あるいは勉強しないと,あまり大切なことではないと思ってしまう危険があります。また,学生の時から問題意識を持って患者さんに接していれば,細かい問題点にも気がつきますし,それを生涯の研究テーマとして選ぶこともできます。学生の時に学んだかどうかはそうしたところにも影響してきます。そういう意味でも,学生の時にぜひ教えてほしいし,学生もまた学んでほしいと思います。
 医療現場では,患者さん自身の考えや気持ちを,正確な診断を妨げるいわゆる撹乱因子として捉える傾向もあります。つまり,主観的な情報は解釈や判断を誤らせるとしてなるべく排除し,検査データなど客観的な情報だけを見ようという考え方があります。確実な,客観性のあるものを見ようという考え方に集中すると,どうしてもこのような見方になります。
 それは一面では正しいかもしれませんが,やはり患者さんは不安や悩みも持っていますし,辛い状況で受診しているのですから,それも問題として十分把握しなければいけないと思います。ですから,医学教育の場においては,自然科学的な考え方による病気に関する教育も大切ですが,心や行動に関する基礎理論を学んで,患者さんの不安などといった精神的な苦痛を把握できるような教育を行なうことも大事だと思うのです。

普通の考え方ができるように

──先生の授業では,「応用」と「基礎」を組み合わせたプログラムを考えているとお聞きしましたが,ご紹介いただけますか。
後藤 「応用編」というわけではありませんが,実際の「コミュニケーション」を重視した授業を行なっています。「心」に関心を持っていても,患者さんやチーム・メンバーと実際に交流できないのではどうしようもありません。心理学の試験で満点を取っても,周りの人とコミュニケートできないのでは困ります。臨床の基本はコミュニケーションですから,これを体験的に学ぶという意味で,6-8名のグループを作ってその中で作業をしてもらっています。
──「症例検討会」のような形ですか。
後藤 「症例検討会」の場合もありますが,低学年ではもっと単純に,すぐに結論が出せないような倫理的な課題についてグループで討議してもらう方法をとっています。
 例えば,「検査の結果HIV陽性だとわかった患者さんに『感染するおそれもありますから奥さんにそれを伝えてください』と話したところ,患者さんは『それはできない』と言うのですが,あなたならどうしますか」というような課題を出して話し合ってもらいます。
 各グループで方針をまとめてもらい,それをOHPのシートに書いてもらいます。毎回,10班ぐらいに分けて,各班で発表してもらうと,いろいろな考え方が出てきます。そういう話し合いの中で,次第にコンセンサスや常識的な考え方が出てきます。そこで,なるほどと納得すればいわゆる「気づき」に繋がっていくだろうと思っています。KJ法を使って議論してもらうこともあります。KJ法というのは川喜田二郎氏によって考案された発想法のひとつで,小集団で思考や議論の内容をカードを使ってまとめる方法です。
 学生の中には,独自のユニークな考えを持つとか,「孤高の人」にあこがれているひともいるでしょうが,そのような人が医師になるのは危険だという指摘もあります。研究を進めるためには周りの人が気がつかないようなユニークな考えを持つことが大切だと思いますが,一般の臨床医が独自の判断で勝手にユニークなことをやりだしたら危ないということだと思います。
 外来や病棟で患者さんの気持ちを理解するには,まず普通の考え方ができないとむずかしいし,倫理的なジレンマを乗り切るには仲間の意見も取り入れる姿勢も必要となります。
 授業を通して,皆が普通はどう考えるか,を知ってほしいと思っています。そのためには,やはりグループでいっしょにものを真剣に考えたり意見を出し合ったりするのが一番いいのではないでしょうか。クラブ活動やサークルなどを通じても多少はわかるでしょうが,それだけでは足りません。好きな相手でなくても意見を交換する必要がありますから,授業にもグループ活動を率先して取り入れるようにしています。

■教育の現場に取り入れるにあたって

協力を困難にする「立場の違い」も教育に利用できる

──ところで,行動科学を学ぶのによい教科書はあるのでしょうか。
後藤 英語では,カプランの『Behavioral Science & Psychiatric Science』という教科書があります。
 このような精神医学の教科書には行動科学の項目がありますし,また「Health Psychology(健康心理学)」という教科書がいくつか出ています。わが国では,人文科学系の先生が行動科学について書いたものはありますが,患者-医師関係という視点から言えばもの足りないところがあります。心理学に偏りすぎても医学生には実践的でなくなってしまうでしょう。心理学と医学の先生が一緒に教育をしましょうというのなら,医学生向けの教科書はもっとできていいはずなのですが……。
 それと似たことを感じるのは,生命あるいは医療倫理の教育についてです。「倫理学」も哲学を研究している方と法律を研究している方,また医学を研究している方がいて,それぞれ立場の違いがありますから,同じようなことを言っていても微妙に内容が異なることがあります。医学部でどう教えればいいのか悩まされます。
 この,「立場の違い」はむしろ大変重要なことです。現在は県内の大学で単位互換を行なっていますので,私の授業にも他大学から学生が出席します。例えば医療事故について討議してもらうと,医学部の学生は医師を擁護する発言をします。他の大学から来た学生たちは,言ってみれば患者さんの立場になります。その際の意見のぶつかり合いは大変興味深いものです。「まだ学生なのに,すでに医師の立場に立ってけしからん」などと言う外部の学生もいます(笑)。
 ですから授業ではさまざまな学生を交流させるような「しかけ」を施しています。立場の違いがわかることが倫理の基本ですから。それぞれの立場の違いを知るうえでは,そうやってまったく違う人の組み合わせの中で物事を考えさせることが重要で,行動科学などの患者医師関係の教育にも積極的に取り入れるべきだと思います。
 4年生の授業でも医学部以外の教員や患者さん,企業の方などに授業をお願いして,それぞれの立場に立った考え方や価値観を紹介していただいています。医学部だけで教育していると,やはり医学部の考え方になりますね。なかなか医学以外の立場から考えられないのです。

準備教育コア・カリキュラムに沿って教える

──国家試験には「心と行動の科学」に関連した問題が入っていますか。
後藤 問題を作りにくいこともあるでしょうが,医師国家試験には非常に少ないですね。大学では教えていないからということで出題されないのかもしれません。2005年度からのCBT(Computer Based Test:共用試験において,知識・思考力評価のために用いられる試験)にはぜひ出題してほしいと思っています。
──先ほどお話に出ました準備教育カリキュラムについてですが,他の先生方の反応はいかがですか。
後藤 モデル・コア・カリキュラムには,準備教育用と専門教育用の2つがあります。いずれも,文部科学省の要請により「医学における教育プログラム研究開発事業」の一貫として編成されたものです。全国の医科大学から40名近い教員が集まり,40数回に及ぶ委員会が開かれ,毎回深夜にも及ぶ討議が繰り返されました。準備教育モデル・コア・カリキュラムの存在を知らない先生がたくさんいます。しかし,これも同じ委員会のメンバーで多大な時間と労力をかけて作成したものです。ぜひ1-2年生の段階で,この準備教育モデル・コア・カリキュラムに沿って教えていただきたいと思います。内容は「行動科学」に一致しています。これを基礎にして,上の学年で患者医師関係について詳しく勉強してもらいたいと思っています。
──本日は貴重なお話をありがとうございました。




後藤英司氏
75年横浜市立大卒。同附属病院診療医,同大助手を経て,84年よりカリフォルニア大サンフランシスコ校(UCSF)において「ストレス時の生理的反応」について研究。帰国後の91年より横浜市立大第2内科講師。96年同大医学教育情報部門助教授に着任し,02年より現職。文部科学省「医学における教育プログラム研究・開発事業委員会」に参加し,準備教育モデル・コア・カリキュラムの作成にも尽力。自身の担当する講義にも,「心と行動の科学」の設置を予定しており,「常識的な考え方を持った臨床医」の養成に努めている。