医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第20回

神の委員会(1)
新型人工心臓「アビオコール」

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


(前回2538号

歴史的手術を受けた患者

 2001年7月2日,ケンタッキー州ルイビルのジューイッシュ・ホスピタルで,歴史的手術が行なわれた。体内埋め込み型の完全人工心臓が,初めて人体に埋め込まれたのである。この歴史的手術を受けた患者の情報については,術後経過が断片的にマスコミに発表されるだけだったが,手術から7週後の8月21日,患者がついにマスコミの前に姿を現した。
 人工心臓を埋め込まれた患者は,ロバート・ツールズ,59歳の黒人男性だった。92年に2回の心筋梗塞を経た後に冠動脈バイパス手術を受けたが,95年から重い心不全となっていた。96年,コロラド州からケンターッキー州に移り住んだが,コロラド州では移植手術のウェイティング・リストの下位にしか名前が掲載されず,移植を受ける可能性が著しく低かったことが引っ越した理由だった。しかし,99年には,状態が悪すぎると,心移植のウェイティング・リストからはずされてしまったのだった。
 寝たきりで,枕から頭を上げることすらむずかしくなる程弱ったツールズに,人工心臓について書かれた雑誌の記事を見せたのは主治医だった。ツールズは,すぐさま,人工心臓の臨床試験実施を計画していたジューイッシュ病院を訪れ,被験者として適しているかどうかの検査を受けた。「移植を受けるには重過ぎる」ことに加えて,「30日以上生き延びることが望みがたい」というツールズの状態は,人工心臓臨床治験の被験者の条件に適合していた。ツールズは「家で死ぬか,人工心臓の試験台になって生き延びることにかけるかの『選択』は,答えがわかりすぎていたので,自分にとっては選択でも何でもなかった」と語ったが,人工心臓埋め込み手術の第一号患者となることにまったく迷いはなかったという。
 ツールズはネクタイを締めた姿で椅子に座りながら記者の質問に答えたが,その元気な姿が,人工心臓埋め込み手術の「成功」を,何よりも雄弁に物語った。ツールズは,人工心臓を埋め込まれたことについての感想を聞かれ,「思っていたより重量がある」と述べた後,「一番戸惑ったのは自分の心臓がドキドキいわなくなったことです。そのかわり,ブーンブーンと唸っているのですが,このブーンブーンという音を聞く度に自分が生きていることを実感するのです」と,歴史に残る名セリフを吐いたのだった。
 ツールズは,術後2か月目には外出ができるまでに回復したが,4か月目に脳塞栓に見舞われた後状態が悪化,最終的には消化管出血の合併により永眠した。術後5か月弱の短い経過ではあったが,ツールズの劇的回復は人工心臓実用化が目前に迫っていることを世界に印象づけたのだった。

来年中にも人工心臓を市販

 ツールズに埋め込まれた人工心臓「アビオコール」を開発したのは,マサチューセッツ州ダンバースのアビオメッド社である。03年6月の時点で,アビオコールを埋め込まれた患者10例のうち2例が生存,術後最長生存記録は治験2例目(70歳男性,03年2月に死亡)の17か月だという。
 03年3月,アビオメッド社は,臨床治験中のアビオコールの販売認可を,03年中にFDAに申請することを発表した。04年中の市販実現をめざしているが,販売が認可された場合,米国の医療界に心臓「置換」という新たなマーケットが出現することになる。現在治験中のアビオコールについては,「試作」モデルとして対象患者を限定,4000人ほどのマーケットを見込んでいるが,最終的な実用モデルについては,少なくとも年間4万-8万人の対象患者がいるのではないかとアビオメッド社は見積もっている。

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 ここ数十年,医療技術は目覚ましい進歩を遂げてきたが,人工心臓に代表される人工臓器の実用化はその最たるものである。しかし,医療技術の進歩は,人類に福音をもたらす一方で,医療費の止めどない上昇をももたらした。これまでは,医療の進歩に対してそのコストを負担する余裕が社会にあったので,必要や適応のある患者「すべて」に対して,医療保険などの形でそのコストの大半を負担することが可能であった(先進諸国のほとんどで,腎不全患者に対する腎透析が医療保険でカバーされていることはその好例である)。
 ところが,医療費が止めどない上昇を続ける限り,やがて,「ない袖が振れなくなる」日が到来することは避けえない。例えば,人工心臓が実用化された場合,心臓「置換」の適応がある患者すべてに対して,その医療費を社会として負担することができる国がどれだけあるだろうか?
 社会が医療コストを賄えるかどうかだけでなく,医療資源そのものの量が極めて限定されている状況においても,必要と適応がある患者すべてにはその資源を供給しえないという状況ができる。例えば,腎透析の黎明期,世界で初めて透析を実用化したシアトル市のスウェーディッシュ・ホスピタルには,わずか5人分の透析供給体制しか整えられていなかった。あまたの腎不全患者の中から透析を受けるに「ふさわしい」患者を選別するための委員会が同病院内に設置されたが,腎不全患者の生き死にの運命を決定するこの委員会は,やがて「God Committee(神の委員会)」と呼ばれるようになった。