医学界新聞

 

〔特別寄稿〕

SARS update-カナダ・オンタリオ州における現況

マーナ 豊澤 英子(McMaster大学非常勤講師)


●アジア以外で唯一の感染地域となったカナダ

 重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染者は,世界全体で5月5日現在において6,583人,その死者は461人となった(世界保健機関WHO)。
 カナダはアジア以外で最初に感染者が確認された国であり,先のWHOの報告では感染者数,死亡者数ともにアジア以外では突出している。
 一方,アジアにおける流行,特に中国本土と台湾の状況はさらに深刻化している。ビジネス,旅行,留学など世界的規模での交流は日常的なものであり,日本でもいつ上陸してもおかしくないとの危機感が高まっているものと推察される(編集室注:5月16日現在,日本に入国していた台湾人医師のSARS感染が判明し,日本国内での2次感染の可能性が懸念されている)。
 オンタリオ州の保健省,地域社会および保健医療専門職養成機関のSARS問題への取り組みは,今後の日本の対応にとって至急かつ有効な情報と考えたので報告する。

オンタリオ州における感染の経過およびカナダ政府・州政府の対応

 トロント市スカーボロの中国系カナダ人が,香港旅行中の2003年2月,宿泊先のホテルで感染した。グレータートロントエリア(GTA:トロント市および周辺地域)には約40万人の中国系住人がおり,多くの人々が中国や香港と往き来しているため,危険率が大きい。
 最初のケースとなった女性は2月23日に発症し,3月5日に自宅で死亡。さらに1週間後にはその息子もSARSのためにスカーボロの病院で死亡した。その後,治療とケアにかかわった救急施設・入院施設のスタッフや入院患者に感染が広がっていった。
 カナダ保健省は,3月17日,カナダ全土で少なくとも11人がSARSに感染していると報告。その後患者数はトロント市内で増え続け,3月25日には感染者数20人,死者数は3人となった。3人の死者はいずれもスカーボログレース病院の救急医療病棟で治療を受けていたため,その病棟は23日に閉鎖された。これらの状況のなかでトロント市内の病院では入院患者への面会を禁じる動きがはじまった。周辺地域への広がりはみとめられなかったが,31日にオンタリオ州政府は「SARS拡大防止のために州全域の病院で入院患者への訪問を原則的に禁止する。SARS問題はもはやトロントのみでなく州全体の重要な問題である」と発表した。
 WHOは4月1日にSARSの主因はコロナウイルスとの見方を初めて明らかにした。
 同日,カナダ全体の感染者数はオンタリオ州124人,ブリティッシュコロンビア州14人,アルバータ州7人,プリンスエドワードアイランド州4人,サスカチワン州1人,ニューブランズウイック州1人の計151人となった。GTAでは外来予約の取り消し,緊急以外の手術の延期などが行なわれ,人々の健康問題に対する不安は高まった。

「どんな病気もしないように気をつけなくては!」

 この時期,人々の間では「どんな病気もしないように気をつけなくては!」が合言葉になった。人々には,SARSの感染に対する不安のみでなく,医療施設にアクセスすることが難しいといった状況に対する戸惑いや不安もみられた。
 SARS感染の実態としては,オンタリオ州がここまでで述べたような徹底した感染防止対策を敷いたことにより,4月8日には前日からの新たな感染者数は2人のみとなり,初めてその伸び率が大きく縮小した。
 しかし,その後もわずかながら拡大はみられ,特に医療関係者の感染が依然として問題となっている。感染の疑いがあるとして隔離された医療関係者はこれまでに約70人にのぼるといわれ,トロント市保健局は米国より専門家を招き,その原因について解明しようとしている。また,カナダ政府は14人の伝染病・感染症専門家をトロント市に送り,市の調査チームと共働してSARSケースの分析にあたっている。
 WHOは4月23日「避けることのできない訪問目的以外には渡航を延期する」地域として香港,中国広東省以外に新たに北京,中国山西省,トロントの3か所を追加したが,4月30日になって,トロントへの勧告は「市内で過去20日間新たに感染ケースが生じておらず,過去7日間以上感染者の出国がない」との理由で急遽解除された(編集室注:5月25日,トロント周辺で新たに8人のSARS感染可能性例が確認されたのを受け,WHOはトロントを再度,流行地域に指定した)。カナダ政府は4月30日と5月1日にトロント市にて,カナダ,アメリカ,英国,メキシコ,中国および東南アジア連合による国際会議を実施し,カナダにおけるSARSケースの分析と情報・知識の共有により感染防止対策への方略を開発している。
 入院中,自宅隔離中あるいは調査中の人数は4月末より減少し,5月5日現在で66人となっている。感染状況が家族,特定の病院関係者と地域に限られていることから,徐々にトロント市内や周辺地域では訪問禁止措置を緩和する方向に向かっているが,市内ダウンタウンの大病院では依然として厳しい体制が敷かれている。

●具体的な対応策:McMaster大学の場合

 具体的な対応例として,筆者が所属する大学の対応を紹介する。オンタリオ州政府のSARSに関する方針(3月31日)を受けてすぐに,McMaster大学はすべての教員,病院スタッフおよび学生に対して今後の対応についてEメールにより通知した。
 大学の位置するハミルトン市はトロント市より約70 kmの距離にあり,患者発生はゼロであったが,大学病院および関連教育施設でのすべての実習は中止となった。また,健康科学部(医学科,看護学科,助産学科,リハビリテーション学科)は病院と建物を共有しているという構造上,学生が建物内(教室)にアクセスできないため,4月1日からはすべての授業を他学部あるいは関連施設で行なうこととした。学科それぞれにカリキュラムは異なり,特にいずれの学科も上級学年では実習がほとんどであることからSARS問題の教育に与える影響も多大であった。
 大学病院の対応としては,まず学生とボランティアの出入りを禁止し,訪問者を制限し,患者と訪問者は正面玄関,スタッフは駐車場入り口のそれぞれ1か所にアクセスできる場所を絞った。病院へ入るたびに健康に関する質問紙記入と手洗いを義務付け,職員にはIDカードの提示を求めた。それらの場で働く職員数は出勤時に20人を超え,夜にはその数は少なくなるものの24時間のチェック体制をとった。
 また,外来予約の取り消し,緊急以外の手術の延期,専門職の研究会・集会は院外(外部からのアクセスを排除),院内行事の延期などの対策が次々と実施された。健康科学部図書館(院内)の業務はキャンパス内の本部図書館へ移動した。学生に対する教育情報システム(Learnlink system)がクラスの変更,課題提出など連絡事項の増大のために初日にアクセスが遅れるという事態が生じたが,徹夜での変更作業が行なわれた結果,無事に解決することができた。

たゆまぬ危機管理と情報公開

 4月2日,健康科学部長(副学長)は教員,スタッフおよび学生に対し,緊急の制限規定を発してから48時間以内に臨床・教育・研究部門ともに態勢を整えられたことに感謝の意を伝えた。大学はSARSに関する疑問・質問の窓口を大学危機管理チーム主任とし,電話番号とメールアドレスを通知。寄せられた質問内容と大学の回答および詳細な情報源(市,州,国やWHOのウェブサイト)について随時伝達した。また,大学内の相談施設であるキャンパスヘルスセンター,雇用者ライフサポートサービス係,留学生相談係などの活用を奨励した。
 GTAの状況を鑑みながら,4日には大学院生のTA,7日には臨床クラークの活用とリハビリテーション・助産学科の実習,8日にはいくつかの手術や外来診療を開始した。28日には学生実習は通常通りとなり,スタッフと同様にスクリーニングを実施。30日には医療スタッフの院内会議も通常通りとなったが,教育部門などの会議は依然として院外としている。SARSの発生した国々からの訪問者・帰国者を大学作成のプロトコールを用いてチェック。特に,中国,香港,シンガポール,ハノイと台湾からの帰国者は10日間キャンパスに入らないように指示し,休暇中に上記の国々へ帰国予定の学生にはカナダにとどまるように勧めている。
 5月5日現在までハミルトン市における感染者はゼロである。臨床・教育・研究に関するこれらの対応がいつまで続くのかという質問に対しては,「現時点では未定。オンタリオ州政府のガイドラインによると,最後のSARS感染者の報告から20-30日ということになるであろう」と回答している。なお,6月実施の看護免許試験(オンタリオ州)は,これらの事態を受けて延期となっている。

●日本への提言

 カナダでのSARS対策では,オンタリオ州政府が早期にGTAすべての病院に厳戒態勢をしき,人々に情報を伝えてSARSへの認識を高めたことが,大流行を阻止することのできた要因と考えられる。
 また,カナダでは主たる移動手段が車であり,移動に伴う感染の危険度が低いこと,3月末から4月半ばまでは例年にない雪となり,人々の交流に少なからず影響を与えたことなどもあげられよう。人々がこの時期に十分な情報をもっていたとは言えず,交流する機会の減少が幸いした。
 オンタリオ州のSARS問題では,最初のケースから現在に至るまで,院内感染が中心たる課題であった。このことは日本にとっても大きな課題であり,受診から隔離に至る治療とケアについての十分な検討と準備,医療スタッフと学生への教育の徹底が重要と考えられる。なお,各教育機関は学生の臨地実習に関しても大きな影響があることを予測しておく必要があろう。日本はSARSについて,幸いにもすでに他国より多くを学んでいる。たとえ感染のケースが生じたとしても国,地方そして人々の協力によって早期に問題の解決が図られることを願ってやまない。

文献
1)Health Canada: http://www.hc-sc.gc.ca
2)McMasterWebsite: http://www.mcmaster.ca
3)Ontario Ministry of Health and Long-Term Care: http://www.health.gov.on.ca
4)World Health Organization: http://www.who.int
5)The Mississauga News & The Nikka Times


 マーナ豊澤英子
1973年熊本大学(看護教員養成課程)卒業。九州大学・産業医科大学(看護師)を経て,1986年聖マリア学院短期大学講師。1989年より福岡教育大学大学院,ウイスコンシン大学にて学び,1993年に大分医科大学医学部看護学科設置準備室に着任。1998年より老年看護学教授・看護学科長,2000年中国河北医科大学名誉教授。2002年カナダに移住し,マクマスター大学非常勤講師として看護学教育に従事するとともに,国際的連携をめざした教育・研究活動を推進している。