医学界新聞

 

短期集中連載

もうひとつの米国レジデント物語

70年代半ばから80年代半ば

木戸友幸(木戸医院)

2530号よりつづく

 この時代の米国を語るのに避けて通れない社会問題が2つある。
 1つは,ベトナム戦争が初期の米国の思惑に反し,泥沼化し,米国がそれに破れてしまったこと。もう1つは,ニクソン大統領が,ウォーターゲイト事件()のスキャンダルのために,米国史上初めて現職大統領からの辞任を余儀なくされたことである。これらの米国の活性をそぐ事件がもたらした社会的な風潮は,「やり切れ無さ」,「虚無感」,「懐疑心」といったものだろうと思われる。

『House of God』

 さて,こういう当時の米国の風潮を背景に70年代後半に出版された小説が『House of God』である。この小説は,前出のノンフィクションの『Intern』(本紙2530号参照)とはきわめて対照的な作品で,皮肉と諧謔と過激な表現をちりばめた,純然たるフィクションである。
 ボストンの一流教育病院,「House of God」で繰り広げられるレジデントたちの生活を,インターン(1年目レジデント)であるロイの目を通して描いている。ロイの最初の上級レジデントになるのがファットマンである。ファットマンは,ブルックリン出身の非常に現実的な男で,ロイを含めた1年目レジデントに,いかに地獄の1年目を生き延びるかを現実に則した表現で教える。
 例えば,高齢の痴呆老人を「GOMER(Get Out of My Emergency Room)」と呼び,GOMERにもっとも必要なことは「何もしないこと! 検査も治療も!」と諭す。しかし,ファットマンの次にロイの上級レジデントになった女医ジョーは,House of Godと密接なつながりを持つBest Medical School(BMS)の優秀な卒業生で,ファットマンとは正反対の性格のレジデントである。「Obsessive compulsive」(過度に強迫的なくらい几帳面に仕事をするの意)という英語表現がぴったりなのだが,この表現はレジデントに対し,褒め言葉としても用いられなくもない。
 彼女は例えGOMERであろうと,すべての問題について検査し,その結果にもとづき治療することをロイに徹底させる。すると,すべてのGOMERはみるみるうちに弱っていくのである。困ったロイは,ジョーに内緒でファットマンに相談する。するとファットマンは,カルテには,検査も治療も実施したと書いておいて,実際には何もするなとほのめかす。ファットマンのほのめかし通りにすると,実際GOMERたちはまた元通りにそれなりの健康を回復していく。ジョーは,騙されているとは知らず結果に満足し,ロイを最優秀インターンに推薦するまでになる。
 しかし,この企てもある時ばれてしまい,ロイは内科部長に呼び出される。内科部長はロイに,「内科の使命は,検査により病気を見つけ出し,それを的確に治療することだ」と説教するが,ロイはその時,まともに部長と対決してしまう。
 「部長,現実はそうではありません。彼らは病気を作り出しているのです。そして,作り出した病気を治療しているのです」
 「どうして,そんなことをしなければならないのかね?」
 「それは,儲けるためです」 と,ロイはここまで言ってしまうのだが,この説に一抹の真実を感じたのか,内科部長はロイを処分することはしなかった。 といった内容が,前半の山場であるが,こうした問題内容が延々続く長編小説である。
 この他にも,精神安定剤を山ほど服用して当直に望むインターンや,患者への治療判断のミスを悲観して,自殺するインターンも登場する。はたまた女性ソーシャルワーカーを愛人にして,GOMERの転院を優先させることまでやってのける。

救世主,ファットマン

 この『House of God』は70年代後半から医師仲間の間で評判になり,筆者も80年代前半のレジデント時代に読んだ経験がある。内容が内容だけに,かなりの批判もあり,「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」誌の投書欄で,数か月にわたって賛否両論が飛び交った。筆者はこの論争も当地で雑誌のバックナンバーを探して,読んだ覚えがある。反論のほとんどは,GOMERをはじめとする,破廉恥な用語や,レジデントの不道徳な行動に対するものである。しかし,この小説をよく読めばすぐわかるのだが,ファットマンは過激な言動をとるにもかかわらず,当のGOMERたちからも慕われている,優しくて腕のいい医師なのである。また,多少誇張されていても,この作品は当時の「世界最高の米国医療」の矛盾を鋭く突いていることも確かである。これらを理解しての肯定論も多かったようである。
 筆者が米国より帰国して後の80年代の半ばに,東京で日本医学教育学会があり,そこで米国レジデンシーのことが,米国の某著名教授により講義された。もちろん,講義の大部分は米国レジデンシーの長所を述べたものであった。質疑応答の時,筆者はフロアーより質問した。『House of God』を例に出しての,米国のレジデントの過労とそれに伴う虚無的な傾向についての質問である。演者の教授もこの本は読んでおり,彼自身もある程度は,こういう傾向については同意していた。また,彼はファットマンの名を挙げ,「この小説の救いは,ファットマンの存在である」とまで言ったのである。

笑えないパロディ

 さて,この小説に出てくるBest Medical School(BMS)はHarvard Medical School(HMS)の,House of Godは,その関連病院のトップであることから,Massachusetts General Hospitalのパロディであろう。パロディといえば,あらすじで挙げた,カルテの改ざん事件は,カルテ記載をうるさく言う米国医療のパロディであろう。逆にカルテさえ体裁よく書けば,最優秀レジデントにも推薦される。
 また,主人公ロイは,その立派な履歴書のためにいつでも得をしているが,これは米国が日本で知られている以上に履歴書重視社会であることのパロディである。著者のサミュエル・シェムはハーバード・カレッジを優等で卒業し,ローズ奨学金を得てオックスフォードに留学,生物学でPh.Dを取得してから後,HMSを卒業したという超秀才である。彼自身は現在,精神科医兼作家で,ハーバードでの教職も兼ねている。したがって,『House of God』のロイは著者の分身なのであろう。作中でロイは,1年間の内科インターンの後,内科に幻滅し,精神科に進むのである。サミュエル・シェムは学業が優秀であっただけでなく,おそらく洞察力が鋭く,かつ内省的な人間だったのであろう。彼自身が身を置くエリート医師社会の矛盾を,小説という形で社会に暴露したかったのだろうと,筆者は想像する。
 この『House of God』は,初版の70年代後半の後,版を重ねに重ね,最近筆者が入手した95年版では,累計売上数200万部達成とあった。これは本書のイントロダクションに,何と米国文壇の大御所,ジョン・アップダイクが書いていた。

サバイバル・ゲーム

 筆者は,1980年から83年までの3年間を,ファットマンの故郷であるブルックリンの病院でレジデンシーを経験した。『House of God』に描かれている過労と,それに伴う虚無的傾向というのは,このブルックリンでの経験とまさに一致する。それらの傾向が端的に行動として現れていたのが,レジデントの薬物使用であろう。どの科のレジデントにも1人や2人,治療を必要とするほどの薬物依存症の者がいた。当時の外科のレジデントで,コカインの過剰摂取で,当直中にトイレの中で死亡しているのを発見されたという悲しい例も経験した。したがって,この時代のレジデントたちは,過労とストレスの下,精神と肉体をギリギリのところで折り合いをつけて,日常を生き延びていたように思う。

 ロイは内科部長に,内科専門医は儲けるために病気を作り出していると食ってかかったが,小説が書かれた時代から20年の時を経て,「マネジド・ケア」という医療の株式会社化が米国で定着し,そのことはある意味で米国医療の現実となっている。



註:ウォーターゲイト事件:1972年6月,アメリカ・ワシントンDCにあるウォーターゲイトビルの民主党本部に盗聴器を仕掛けようとした,共和党のニクソン(当時大統領)再選を策する5人組が逮捕された事件。裁判の進行とともに,大統領の事件への関与や,政府の過剰な諜報活動が摘発され,一連のスキャンダルが明らかとなった。この問題で,1974年ニクソン大統領辞任

参考文献
1)Samuel Shem. The House of God. Dell Publishing, 1995
2)ブルックリンこぼれ話:http://www.carefriends.com/kido/newyork/index.html