医学界新聞

 

生命のナノテクノロジー[2]

『生体の科学』座談会 より

廣川信隆氏
東京大学大学院
医学系研究科教授
楠見明弘氏
名古屋大学大学院
理学研究科教授
横山 浩氏
産業技術総合研究所
ナノテクノロジー研究部門長
木下一彦氏
岡崎国立共同研究機構
統合バイオサイエンスセンター教授
川合知二氏
大阪大学産業科学研究所
ナノテクノロジーセンター長
原 正彦氏
理化学研究所フロンティア研究システム
局所時空間機能研究チームリーダー
伊藤正男氏
理化学研究所脳科学総合研究センター所長
『生体の科学』編集委員<司会>
野々村禎昭氏
微生物化学研究会理事長
『生体の科学』編集委員
藤田道也氏
浜松医科大学名誉教授
『生体の科学』編集委員


前号よりつづく

IV.ナノテクノロジーの夢

分子デバイス

伊藤 現代は,ナノテクノロジー(以下「ナノテク」)に対する期待は大きく膨らんでいると思います。ナノテクに対する先生方の夢をお聞かせいただけますか。
川合 ナノテクは環境分野とも関わりがありますが,バイオ分野との関係で言うと,私はバイオ物質をナノスケールで観察したり,仕組みを知ることが基本だと思います。
 その次には,「プログラムされた自己組織化」という考えで人工的なデバイス,分子デバイスやタンパク質デバイス,DNAデバイスなどを作りたい。そして,さらに次の段階として,そういうものを埋め込んだり,貼り付けて,人間の体のある一部分が失われた時に,それを代替できるようにしたい。心臓も耳,眼などの人工臓器も最初は半導体のように間違いのないアルゴリズムを使ったデバイスを入れていくわけですが,最終的にはバイオのデバイスを入れていきたいと思います。

ヒューマンボディビルディング

川合 そういう意味で,私の目標は「ヒューマンボディビルディング」です。
 これは,言葉通りに人間の体をナノテクによってビルディングしていくことです。最初は人間とあまり相入れない半導体デバイスを使うかもしれませんが,最終的にはバイオの原理に合ったようなものにしていきたい。ナノテクとバイオとの関係にはさまざまな段階があると考えています。
楠見 ナノテクとバイオテクノロジーの融合という面では,私もそういうことしか思いつかないです。「再生医療」でもあるし,「ニューロモデュレーション」という感じの話です。
川合 大きな目標をなるべくわかりやすく表わすという意味で,私は「ヒューマンボディビルディング」という言葉を使っています。今度文部科学省のプロジェクトにもなりそうです。
伊藤 私はナノテクで脳の回路を作ってもらえないものかと思います。
川合 半導体を切り刻んでいく方向だけでは難しい。基本的には半導体デバイスの上に,タンパク質やDNAのプログラムを利用して,自然に成長していくようなものと組み合わせる研究をしています。
 最大の問題は,人工的なものと人間のアルゴリズムは仕組みが違っていることです。本質的に人工的なものは間違いがなく,硬くて変化しない。それでもニューロコンピュータの考え方によって,アルゴリズムだけは変化を許容するようになってきました。それを物質材料の側からアプローチする方法があると思います。

新しいもの作り

伊藤 横山先生はいかがですか。
横山 ある程度時間スケールを分けて考えたほうがよいと思います。最も長いものは,ナノサイエンス全般の流れがありますが,もう少し短くして,ナノテクが経済発展の起爆剤になると言われのはどこから出てくるのかと考えると,まずバイオとの接点です。
 バイオテクノロジーにマイクロファブリケーションや,ナノテクのトップダウンの技術を組み合わせて,バイオアッセイのチップの作成,コンビナトリアル創薬ということがあります。そこに省資源,ローコストの流れを推し進めていく。そういう部分が今一番動いて,ビジネスになりかかっていると思います。
 また,LSI(Large Scale Integration)などの流れがあります。LSIを作る方法はリソグラフィー技術です。これは低環境負荷,省資源,省エネルギー,ひいてはコスト逓減につながりますが,そういったところにナノテクを使って,今のロードマップ的な技術ではなく,オフロードな技術を早い段階でバインドできないかということです。オンデマンドマニュファクチャリング技術も重要になってきて,産業界としては期待感が高いです。
楠見 どれぐらいのスパンですか。
横山 例えばインクジェット技術ですと,2-3年と言われています。オフロードにあってナノをめざしていく技術だと思います。そういう意味では,将来的にはさらにナノの世界に進み,まったく異なる応用も生み出していくと思います。
 やはりマニュファクチャリングへの傾斜は大きいと思います。ヨーロッパのプロジェクトでは,マニュファクチャリングの重要性が強く言われています。ご存知のように,ヨーロッパは政策的にも環境重視,省資源やリサイクルという流れが強いので,同じもの作りをする上でも,環境負荷の小さい作り方をしようと考えています。新しいもの作りの方法をナノテクで生み出してほしいという期待感を持っているわけで,実際にそういうものが起こりつつあると思います。

カーボンナノチューブ

横山 ナノ材料という意味では,カーボンナノチューブをはじめ,明日の製品化にも役に立つかもしれないという段階にまできており,いくつかのエンジニアリングのドメインでナノテクの芽が出てきています。このあたりが,社会から見たナノテクのインパクトではないかなと思います。
 あるところで生まれた方法論が,まったく異なる分野に応用されることもあります。例えばバイオサイエンスに半導体で培った技術が使われて,ブレイクスルーをもたらす。そういう思ってもいないような飛躍がナノテクから出てきます。
楠見 バイオの実験は水中でやりますが,工学系や物理系の実験は真空でやることが多いです。このギャップの解決は何か出てこないでしょうか。
横山 ウェットプロセスや大気中プロセスという技術が高まれば,水の中で使える技術が出てくるのかもしれません。
楠見 工学系の人からは,生物系の研究に要求されるテクノロジーは,簡単そうに見えるかもしれないのですが,面倒なことが多い上に要求する性能が高いことが多い。
 例えば分解能でも,物理系・工学系では数十ナノで済んでしまうことも多いのに対して,生物系では本当のナノでないと困ることが結構あります。時間分解能もせめてビオレレートはないと役に立たない。
 そういう点ではナノテクの進歩が,バイオに役立つことができるかとなると難しいことが多いと思います。物理系・工学系でできた装置をバイオに役立てようといっても難しい。そこにはナノテクとバイオの両側の目的に適したテクノロジーを作っていく視点が必要になると思います。

時間軸を持つナノマシーン

横山 だからこそナノテクというスポットライトを当てる意義があると思います。
 私が生体系から学んで,材料の分野でおもしろい切り口を出したいと考えていることの1つは時間軸の問題です。分子モータ系や細胞の中の分子サイクルなどを見ても,かなり長い時間をかけて因果関係を見ながらデザインされているシステムです。実際上はほとんど平衡系に近いので,因果関係といっても現状ではほとんどトリビアルな関係しか踏めていない。
 そこに生物のナノマシーンが持っている多段の因果関係を踏んでいくようなデザインを埋め込んでいく。材料の中に時間軸を入れていくためのメカニズムはどういうものがあるのかということです。材料に関する長期的な希望です。そういうことをめざすためにも,現在の技術を高めるのは意味があると思います。
 われわれは「時空間機能」とものものしく言っているのですが,ナノテクをベースに,具体的なアウトプットという意味ではDNAチップです。DNAチップのスケールはマイクロメーターレベルですが,界面などで起きている現象をナノテクで解明して,オプティマイズしてDNAチップを作り,パテントを取るというアウトプットをめざしているものもあります。
 一方,横山先生の話とオーバーラップしますが,時空間機能も研究しています。
 先ほど伊藤先生が言われました回路というイメージです。例えば,マイクロコンタクトプリンティングを使って,神経細胞を格子状に配列できるようになっているのですが,その動きを見ていると電気的な回路ではなく,全体のシグナルのパターン,ダイナミクスの中に機能が含まれているのではないかということが出てきました。リズムやパターンを,ナノテクをベースに小さい領域から検討することはあります。
 そういう意味で,ナノスケールからマイクロに至る領域の中に機能発現の根源があるのではないか。そういうところに,時空間機能という観点で興味を持っています。つまり,不安定性とか過渡的というダイナミクスに関しては,今まで無機物の半導体のデバイスはすべて除外して作り,材料設計の上で邪魔物扱いにされていたところがあります。
 その後は,生きているか生きていないかという問題,過去の履歴が現在をどう決めているかというセルオートマトン的なことがポイントになってくると思いますが,そういったダイナミクスや,時空間的な機能はどの階層で発現しているのかということを,最終的には無機物で解明したいと思っています。
 つまり,有機物はその機能を時空間的にオプティマイズしています。それをいろいろなオートマトンで考えるわけですが,生きているところで起きているようなオートマトンを表現するには,どういった不安定性のところを確保するか。どのような過渡的なものを導入しなければいけないかということを考える時に,例えばナノスケールから徐々に数十ナノ,数百ナノ,サブミクロンという領域の中に,全体をノイズの揺動の中で,かつ摂動とか,パータベーションのある中で何かしらの(われわれは「律動」と言っているのですが),律動ないしは組織化が起きているスケールがある。
 そこを見極めるために,われわれは小さいものから見ていきたいので,ナノテクが1つのポイントにあります。
 DNAチップやバイオナノプロセスというクリアなアウトプットもありますが,その一方で時空間的な1つの現れとして,生き物や自然科学に学び,理想的にはそれを生きていないものでどう再現していくか。そういう人工的なところに持っていきたいと考えています。
 実際に何に応用できるかと問われると,例えば,先ほども言いましたように,「間違うコンピュータ」,「あやふやなコンピュータ」という言葉を使っていますが,曖昧だけれども的確であるというコンピュータです。生き物については素人でゲリラ的ではあるのですが,生き物や自然界の中にそういったダイナミクスが潜んでいるので,それを知りたいという面でバイオとの接点があるというスタンスです。
 ナノテクには,小さいものを積み上げて,1個1個はっきりしていくという路線と,小さくなると不安定になって雑音の世界の中でどう生き抜いていくかという路線があると思います。クリアなアウトプットを見るのは前者で,新しいサイエンスを展開できるのが後者です。そういうような仕分けをしているところです。

V.生命のナノテクノロジーの夢

伊藤 生物側でも,木下先生と楠見先生はナノテク的な技術を開発することに情熱を持っておられるのではないですか。
木下 10年前ぐらいまではそうでしたが,今は使えるものは何でも使う,その中にたまたまナノテクがあるという立場です。
 例えば,タンパク質分子1個でできた回転モータを扱っています。それに微小な磁石をつけて,ある角度で止めることができます。磁力を少し緩めてやるとモータが少し動き出し,そこから分子モータの出す力が計れます。エネルギーの話が出ましたが,どの角度の時にモータの内部エネルギーがどのようになるかということを見ることもできます。ある意味で,ナノテクの極みと言えないこともありません。
 どうするかと言うと,目的のタンパク質分子に鉄が入ったビーズをつけて,上に玩具の磁石を置くだけです。磁石を回せば分子も一緒に回る。力を弱くしたいと思ったら,磁石を離せばいい。ただそれだけのことです。だから楽しいと言えば楽しいのですが,それを大げさに「ナノテク」と呼んでよいものか。しかし,研究の現場で力を発揮しているのはそういうものです。
廣川 私などの場合も,木下先生とはそういう意味では共通していると思います。でも,さまざまな方法を使って生物学の疑問を解く場合にも,新しいアプローチ,新しい方法論を開発していかないと,質的にジャンプするようなものは出てこない。
 それからもう1つ,今日の議論の中の「生物のシステムの曖昧さ」ということについてひと言申し上げますと,モータ分子などはマシーンのように正確に変わって,一歩一歩きれいに動いていくようなイメージがあるかもしれませんが,実はそうではありません。
 われわれが見つけた一本足のモータなどは,原動力はブラウン運動です。ただ,ある一定の方向だけにバイアスがかかる。それをかけるのがATPで,加水分解の過程でかかってくるわけです。行ったり来たりしながらも,全体としては一方向に動いていくのです。だから,それをどのように参考にして,どのようなプロダクトができてくるかについては興味があります。
 今のお話で,ポテンシャルの障壁が室温付近のエネルギーのことを考えると,障壁はもっと小さいはずです。だからブラウン運動でいくと,必ずどちらの方向にも進むはずなのに片方しか進まない。ATPの影響があるのかもしれないですが。それも室温でどうして起きているのか。そういうメカニズムはナノテクとは外れるかもしれないのですが……。
廣川 まさにそれをやっているわけです。
木下 廣川先生が見つけたモータが100個集まるとスムースに一定速度で動きます。ですから,人間が普通に利用するのは,そういう話ではないかなと思います。
 何か応用を考えるとしたらですね。
木下 10個ぐらいでもいいのですね。
廣川 もっと少なくてもよいと思います。しかし,私たちはモータ分子が生理的な状況でどのように作動しているかということも知りたいけれども,もっと根源的にATPaseというタンパクがどのように動いていくのかということも知りたい。
 ですから,応用という面から考えると,何個も集まってスムーズに動くような物をモデルにして,何か作れるのではないかなということでしょう。しかし逆に言うと1個のレベル,つまり動く機構の基本がわからないと集合体を正しく会合できないと思います。

VI.バイオテクノロジーは生物学のパラダイムを変えるか

伊藤 最後になりますが,これは一言ぜひ言っておきたいということがありましたら,ひと言お願いします。
楠見 生物学は何でも使うという話が出ましたが,バイオ系の方にはぜひナノテク,特に1分子のテクノロジーをご自身の研究に導入してくださいとアピールしたいと思います。現在はイメージングの技術が生物学のあらゆるところに導入され,その進歩を強力に後押ししていますが,1分子テクノロジーもこの延長の上で簡単に導入できると思います。世界中のラボで1分子法がごく普通の手法として導入されるのはよいことだと思います。
 先ほど言いましたように,生物学はシステムの学問でして,細胞や細胞の社会のレベルのシステムを知るには1分子法が適しています。多くの人が,自由な発想で1分子法を使う,生物のシステムとしての働きの根幹に関わるおもしろいことが,次々にわかってくると思います。
 私自身もこのような研究をもっと楽しみたいし,もっと多くの人に1分子法を導入してもらってこのような研究をおもしろくしてほしいと思います。1分子のナノテクと言っても大したことはないし,簡単にできるので皆さんにもっとやっていただきたいと思います。
伊藤 他にはよろしいですか。
野々村 川合先生のお話は,生物との接点を積極的に考え,構成しようという仕事だから大変わかりやすいのですが,原先生と横山先生のお話は生物の立場から,正直言ってわかりにくい。
 ひと言で結構ですが,今後の展望についてお聞かせいただけますか。
 またオートマトンの話で申しわけありません。非常に抽象的ですが,今われわれ研究しているのは,オートマトンで次のラインがどう決定されるかということです。
 コンフリクトを起こす系,つまり物事が決定される時にある別の時間軸を入れたり,揺らぎの軸を入れて初めて決定されるようなルールです。大体の傾向はあるのですが,まだよくわからない。生きている細胞の中でそういう仕組みがよく使われているような感じがします。
 逆に言いますと,もしかすると生物側の先生方にとっては,それは当たり前なのかもしれないというところはあります。だから反対に,われわれは素人ですので,もしかするとわれわれの見方が「そんなもの初めからわかっている」と言われるかもしれないし,反対に「新しい」と言われるかもしれないのですが。
伊藤 生物サイドは,何か四つも五つも求めているので,ナノレベルでこれからどんな発見ができるだろうかと興味があるわけです。一方,ナノテクを研究されている側の方は,たぶんさらなるイノベーションを求める。こういうテクノロジーでどんな新しいエンジニアリングができるのか,というところに興味があるのではないかなと思います。それを今日は突き合わせようというつもりだったのですが……。
 われわれも模索しているところがあります。先ほどからお話にありました,アウトプットのはっきりしているナノテクも研究しなければなりません。
 ただ,ナノテクを客観的に見ていると,今までのパラダイムとは違うところがありそうだ,という研究者の気持ちをくすぐるところが出てきます。権限すると,いわゆる「パラダイムシフト」です。
 というのも,20世紀には半導体の研究が大きく進歩し,明確なアウトプットに結実することもできました。しかし,21世紀がそのまま続くとも思えません。そこには,「パラダイムシフト」が必要となるのではないか。そして,そのパラダイムシフトがナノテクというキーワードのもとにあるのではないでしょうか。
 われわれの施設のポスドクも,実際には毎日毎日,自己組織化の過程などを地道に研究しているわけですが,その中で見え隠れするところに,新しいパラダイムシフトがあるのではないかということが1つの楽しみなのですが。
伊藤 最後に「パラダイムシフト」という適切な言葉をいただきました。
 本日は長時間,どうもありがとうございました。
(おわり)


 この座談会は,雑誌『生体の科学』誌で企画された「座談会:生命のナノテクノロジー」を弊紙編集室で約3分の1のダイジェスト版に再編成し,2部構成にしたものです。
 なお,この座談会の全文は同誌第54巻1号に掲載されます。
[週刊医学界新聞編集室]