医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第13回

ウォール・ストリート・メディシン(4)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2523号よりつづく

噴出したスキャンダル

 昨年10月末,テネット社をめぐって,メディケアのアウトライアー支払いの水増し請求疑惑と,所有病院で不必要な心臓外科手術をしていた疑惑とが大きく報じられ,直後に同社の株価が暴落したことは,これまで述べてきたとおりである。しかし,これらの疑惑が報じられる前から,テネット社の商法は厳しい批判に晒されていた。
 テネット社に対して最も強い批判を展開してきたのは,カリフォルニア看護協会(CNA)である。テネット社による不当労働行為に関して訴訟を起こす一方,CNAは,テネット社の病院では看護師配置が手薄な上に,非常勤の看護師の割合が高く,患者にとって危険な医療が行なわれていると指摘してきた(註1)。
 一方,昨年2月,南カリフォルニアのラテン系住民がテネット社を相手に訴訟を起こした。テネット社が,無保険の患者(ラテン系住民には無保険者が多い)に過剰な診療費を請求したというのである。米国では,保険会社が大口顧客として病院と価格交渉をするので,保険に加入している患者は「割引価格」で医療を受けることができるのだが,医療保険を購入する財力のない無保険者は,個人の顧客として医療サービスを「定価」で購入しなければならないので,無保険者に対する診療費請求は保険者よりも割高なものとなるのが普通である(註2)。こういったことが慣行としてあるとしても,テネット社の無保険者に対する診療費請求は他病院と比べてべらぼうに高いと,ラテン系の住民は訴えたのだった。
 原告団によると,テネット社が無保険者に高めの診療費を請求をするのは,「(診療費を払ってもらえなかった)慈善医療」による損失を名目上増やすことで,慈善医療に対する公的支援金を得やすくすることにあったという。また,一部でも支払いをしたいという患者の要望をテネット社は拒絶することが多いのだが,原告団によると,部分支払いを拒絶する理由も「未支払い」による損失を膨らませてより多くの支援金を得たいからだという。

米国史上最も悪質な医療企業犯罪

 テネット社の医療をめぐっては,昨年だけを取ってみても,上述のように数々のスキャンダルが噴き出したが,実は,テネット社にとっては,医療犯罪やスキャンダルは,社の伝統となっていると言っても言い過ぎではない。例えば,テネット社の前身,ナショナル・メディカル・エンタープライズ(NME)社が80年代後半から90年代初めにかけて,偽りの診断名のもとに治療の必要のない患者をNME社の精神科病院に入院させて組織ぐるみで診療報酬を搾取した事件があったが,この事件は米国の医療企業犯罪の中でも,最も悪質な犯罪とされている。被害者となった患者の多くが未成年であった上に,NME社の精神科病院では入院患者に対する虐待が日常的に行なわれていたからである。
 この精神科医療スキャンダルの後,NME社はテネット社と名前を変え,現CEOのジェフリー・バーバコウ(証券会社メリル・リンチ出身)が,再建の指揮を担った。バーバコウはスキャンダルの元となった精神科病院をすべて売却し,連邦政府,保険会社,そして被害者となった患者を相手に,次々と示談を成立させた。バーバコウの再建手腕はウォール・ストリートで好感を持って迎えられ,テネット社の株価は90年代中期から上昇に転じた〔詳しくは拙著『市場原理に揺れるアメリカの医療』(医学書院)を参照されたい〕。
 バーバコウは,「テネット社の再建には企業倫理の確立を最優先した」と強調してきたが,レディング医療センターで不要な心臓外科手術が行なわれていたという疑惑(前回参照)が真実とすれば,診療科こそ違え,NME社時代に患者に不要な精神科入院を強いたのとまったく変わらない手口の犯罪であり,倫理が確立されたはずの新生テネット社が旧NME社時代とまったく同種の犯罪を犯したとすれば,これほど皮肉な話はない。

営利重視の体質が不正を生む

 テネット社でスキャンダルが起こりがちなのは,同社の営利重視の企業体質に原因があると言われている。90年代半ばに,巨額の診療報酬不正請求事件を起こした米最大の病院チェーン,HCA社は,所属病院の経営者を過剰な営利追求に走らせてしまったという反省から,高い利益をあげた経営者に対して現金でボーナスを支払う制度を廃止したが,テネット社ではいまだに「もうけ」を出した病院経営者に高額の現金ボーナスを支給している。
 ウォール・ストリートの投資家たちから高い評価を得続けなければならない株式会社病院には,もともとバランスシートを「健全」なものとするために「目先の利益」を追求する強いインセンティブが内在するのだが,利益をあげた病院経営者にいまだに現金でボーナスを与えていることでもわかるように,テネット社の社風はとりわけ「目先の利益」追求を重視する社風なのだと言われている。

ウォール・ストリートが絶賛した企業の本質

 アウトライアー支払いの水増し請求,不要な心臓外科手術,看護師に対する不当労働行為,無保険者に対する過剰請求など,これまで報道されてきたテネット社の商法に違法性があったかどうかはともかくとして,テネット社がありとあらゆる手段を使って利潤を追求してきたことは間違いのない事実である。こうまでして右肩上がりの成長を続けたテネット社を,ウォール・ストリートは超優良企業と絶賛,CEOのバーバコウには,超優良企業の経営者にふさわしい巨額の報償が与えられた。昨年1年間にバーバコウがテネット社から得た収入は,年俸120万ドル(1億5000万円),現金によるボーナス340万ドル(4億2500万円),そしてストック・オプションの1億1100万ドル(139億円)だった。ストック・オプションは株価が暴落する前に現金化されていたという。


(註1)看護師の受け持ち患者数が増えるほど患者の死亡率が高くなることが示されている(JAMA288巻1987頁,2002年)。
(註2)財力がない人ほど負担が重くなることを「負担の逆進性」というが,市場原理で医療を運営した時に生じる弊害の1つである。