医学界新聞

 

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感染症新時代を追う

砂川富正(国立感染症研究所感染症情報センター)
◆05 めざすは感染症対策の要-FETP-J

2518号よりつづく

感染症対策……人手が足りない!

 例年,特に6月から8月頃にかけての時期,国立感染症研究所のFETP(説明は後述)室にはひっきりなしに相談の電話がかかってくる。相談の多くは行政の感染症対策担当者からであるが,場合によっては医療機関からのこともある。「感染症の集団発生があったが,どのように対応したらよいか」など,その内容は,本連載でも取り上げたことのある腸管出血性大腸菌感染症O157の散発・集団発生や,学校内における麻疹の集団発生,種々の院内感染,さらには原因不明の感染症などさまざまである。FETPに対する相談が,正式な文書による調査要請である場合には通常2-3名によるチームを組織し,保健所などの担当者とともに現地に出かけることが多いが,時にはWHO(世界保健機関)などからの要請に伴い,外国への調査・感染症対策に出かけることもある。初夏にはほぼ全員が調査に出てしまい,FETP室ががらんとすることもしばしばだ。FETPに対する需要は,歴史が浅いにも関わらず確かに大きくなってきている。
 しかし,2003年1月現在,実際に現役FETPの人数は合計わずかに5名,指導を担当している筆者のような者が3名(1名は外国機関から)である。この状況では,多くの要請にとても応えられないばかりではなく,じっくりと調査を行なうこともできない。こういったジレンマは年々大きくなるばかりである。

実地疫学専門家の必要な時代

 “FETP”もしくは“FETP-J”とは,「実地疫学専門家養成コース(=Field Epidemiology Training Program-Japan)の略称である。国立感染症研究所感染症情報センターを活動の拠点とし,「感染症の流行・集団発生時に迅速,的確にその実態把握及び原因究明に当たり,かつ平常時には質の高い感染症サーベイランス体制の維持・改善に貢献すること」(国立感染症研究所感染症情報センターのホームページhttp://idsc.nih.go.jp/index-j.htmlより)を目標に研修を行なっている。1999年9月に始まり,現在までに都合13名の内科・小児科・皮膚科などの臨床医,保健所の医師,基礎医学の研究医などが研修を終了または継続中である。本稿が読者の手元に届く頃は,ちょうど2003年4月スタートの,第5期生募集がほぼ終盤を迎えようとする頃であろうと思われる。この研修は2年間を標準のトレーニング期間としており,昨年度より,医師に加えて獣医師もその対象となった。
 わが国においてFETPがスタートするきっかけの1つとしては,1996年7月に大阪府堺市において発生し,推定患者数9,500名余,死亡者数3名を数えた腸管出血性大腸菌感染症O157:H7による学童集団下痢症事例が大きい。この事例を通して,感染症の集団発生が重大な健康危機として発生しうること,自治体レベルにおける感染症対策の責任は非常に大きいこと,国は変貌する感染症対策の基盤を整備する必要性があることなどが明らかになった。
 国際的にも,このような感染症を監視し迅速に対応していこうとする動きがWHOや米国CDC(疾病管理センター)などを中心にあるが,わが国でFETPが開始されたのもその流れと関係している。世界各国に実地疫学専門家を養成するプログラムが,特に1990年代後半頃より拡大しており,アジア・オセアニア地域だけでも,約20年の歴史を持つタイ,フィリピンがあり,日本以外にも台湾,オーストラリア,韓国,マレーシア,ベトナム,ラオス,中国などが実地疫学専門家を養成するプログラムを開始した。これら世界のFETPにはモデルがあり,米国CDC内において1951年にスタートし,50年以上の歴史を持つEIS(=Epidemic Intelligence Service)にそのルーツを見ることができる。世界のFETPは,主に米国EISにおける手法を標準的な方法として取り込み,また,その問題の普遍性・広域性からネットワークを形成しつつある。

FETPのとまどいと期待

 このような背景のもと,日本のFETPも感染症対策に関するさまざまな業務に携わっているが,われわれの歴史はまだ浅く,そのシステムが固まっているとはとても言い難い。米国CDCやWHOからの長期・短期コンサルタントを迎えて指導を受けているものの,日本の実情に即した実地疫学の専門家という概念を,われわれは現在模索している段階である。行政,医療そして基礎研究などの種々の関係機関の間に立ち,調整などを行なうことも重要な任務の1つとして浮かび上がってきているが,そのためには感染症法を中心とする感染症対策のどの部分にわれわれが位置しているのか,都道府県や市町村における感染症対策との関係も含めて明確にしていかなければならない。
 これまで日本のFETPの多くが,以前は一般の臨床医であり,例えば行政の場で交わされる「食中毒」と「食品媒介感染症」という概念の違いなどにとまどいを感じたことは少なくなかった。すなわち,同じ腸管出血性大腸菌O157患者であっても,食品に起因しないと初期段階で判断されてしまえば,食中毒とはまったく違う行政対応となってしまうような点である。今後のわれわれの重要な役割の1つは,これまでの組織の枠組みを踏まえつつも,効果的な感染症対策とはどのようなものか,包括的な提言を行なっていくことでもあろうと考えている。
 FETP-Jが今後,わが国における感染症対策の中で重要な役割を担っていけるのかどうか,われわれが期待に応えられるだけの集団へと進化しうるかどうか,その基盤は,ここ数年の世の趨勢と,そしてわれわれ自身の努力および国内外へのネットワーク形成の可否にかかっていると筆者は考える。また,派遣元を持たずに参加する研修生の身分の保証など,研修システム内部においても整備すべきポイントは少なくない。FETP-Jでは,2年間のフルタイムの研修生に加えて,4月に通常1か月間にわたって開催される「初期導入コース」への参加者も受け入れている。この場合は希望する講義のみに参加することが可能である。いずれも興味のある方は,sunatomi@nih.go.jp(砂川)までメールを送られたい。