医学界新聞

 

医療者に読んでほしいブックガイド

――『小説で読む生老病死』発刊に寄せて――

川上 武氏(医事評論家)
梅谷 薫氏(聞き手,柳原病院院長)

 

本を読まなくなった大学生

梅谷 最近,大学生の学力低下や教養がないといった論調がマスコミなどで多くみられます。医学・看護・福祉系の学生にとっても,この問題は切実ではないでしょうか。長く医療の第一線から発言してこられた川上先生から,この問題をどうみていらっしゃるかをお聞きしたいと思います。
川上 現在,小泉内閣の行政改革の一環として教育改革も遂行されようとしています。その内容には,機構問題としては国立大学の統廃合があげられ,さらに大学の一部特殊法人化や民営化の動きなど,ハード面でも大きな転機に立っています。
 だが今,問題なのはソフト面,学生の質ということですね。ある調査では「大学生は本を読まない」という結果が出たり,立花隆の『東大生はバカになったか』が話題になるなどです。しかし,そのような声が大きいわりには,原因や責任の所在を追及しないことにも問題があると思います。
 これは従来の教育方式の欠陥で,いわゆる「記憶主義」やマークシート方式が大きな問題です。最近,一部の大学では論文を重視するようになってきましたが,まだ依然として「記憶容量主義」です。同時に情報技術の進歩によって,教育の方法論が変化しつつあります。例えば,テレビやコンピュータ,携帯電話の普及となると,学生も「教養=読書」ではなく,ある意味で受動的なメディアにシフトしつつあります。

一般教養としての小説

川上 「教養がある」こととは,社会全体の動きや世界の動きについて,ある程度正しい知識と見通しを持っていることだと思っています。文学や歴史,経済と分野は問わず,見識を持っているかですね。
 教養の根底には,新聞や本を読むかどうかという問題があります。これは学生一般に言われることですが,医学・看護・福祉系の学生に絞ってみると,他学部と違った特殊な問題が発生するのではないですか。
梅谷 医学部,看護学部を卒業しても,国家試験を通らなければなりません。大学では国家試験のための授業に重点を置き,一部の大学では,「アーリー・エクスポージャー」と称して医学部2年次の教養課程にどんどん専門課程をもってきています。すると教養課程が時間的にも減少しています。
川上 特に医学の場合は,広い分野で急速に知識が進歩しており,それを各専門家が教えようとするため,学ぶ側は頭がパンクしてしまいます。また学生の人間性の充実という点でも限界がある。何かを学ぶには,「なぜ」という方法論を重視すべきなのですが,学問をどのように,どのような姿勢で向かうべきかわからないから,受験勉強と同じやりかたでやりすごしてしまう。

「対人サービス」としての医療

梅谷 医学・看護・福祉系の分野でも学生時代をすぎると,年齢も性も異なる患者さんに接することになり,「技術サービス」のほかに「対人サービス」が必要になります。臨床の現場ではそれが大変重要ですが,これを身につけるチャンスは非常に少ない。例えばその人の人生を振り返ると,核家族で家族の人数は少ないし,学校でもクラブとかサークルの仲間しかいない。地域は崩壊していて,学校から帰って地域で友だちと遊ぶということがありません。
川上 教師と生徒の関係も昔のようではなく,例えば学校以外に教師の家に遊びに行っていろいろ教えられるといった関係がなく,非常に疎外された状況で教育を受けている。そうするとあるのは「教科書」で,それだけを覚えればよいという風潮になっている。このままだと対人サービスが主なるプロフェッショナルとしては非常にまずいのではないかと思います。

小説を読んで知る人間理解

川上 私は小説を読むのが好きで,インターンの時から看護師さんや他職種の人たちと一緒に読書会を行なってきました。これは今でも続いています。
 医療・介護・福祉のサービスに従事する人にとって,一般教養として何が必要かを考えると,例えば映画や芝居,スポーツを見るなどありますが,それを「誰かと話し合う」ことが非常に大切です。その手段として,小説を読んでその感想を話し合うのはおもしろいと思います。本を読むという行為にはある種の自発性が必要だし,友だちと話してみるとまったく感想が違うこともある。そうすると受動的ではなくて能動的になります。
 また小説には,作家の人生観によってさまざまな人間が登場するので,その中で人間を見る目が養われたり,人間観や人生観がわかってきます。それが医師・看護師などに必要な教養ではないかと思います。
梅谷 先生が長い間主宰されてこられた「小説を読む会」の一員に加えていただき,その成果の端を私なりにまとめて今回,医学書院より『小説で読む生老病死』を刊行することになりました。本書には入手しやすい本を対象に19冊を精選し,こうした職種の人々へのブックガイドとなるよう配慮しました。

■人生さまざま,医療さまざま

医師の文学

川上 文学の歴史をみると,医師の文学者は案外多いのです。明治時代の森鴎外から始まって木下杢(もく)太郎,戦中では短歌の斎藤茂吉。俳句では水原秋桜子高野素十といった人たちがいます。戦後には安部公房北杜夫加賀乙彦中井久夫渡辺淳一山田風太郎帚木蓬生南木佳士など,よく知られた身近な作家がいます。医師の場合は病んだ人や,生や死,セックス,あるいは精神障害などと向き合う機会が多く,その点でも人間に興味がわいてくるということでしょう。
 一方で,現代の医学の潮流は,医療技術が進歩して機械化されています。特に最近のようにコンピュータ時代では,患者さんと向き合って話を聞くことが少なくなる。それと同時に病院外来の混乱で,「3分診療」になると,患者さんの話を聞く余裕がなくなります。患者さんはそのことが一番の不満なのです。
 近年,アメリカから「インフォームド・コンセント」,「告知」の考え方が入ってきました。その必要性はもちろんですが,医師や看護師と患者・家族の間に人間関係の成立していないところで行なっても,医療過誤の防衛といった,一種の「ディフェンス・メディスン」になってしまいます。本当に患者さんのためなら,相手がどのような人なのかを知らなければなりません。

小説で知る生死観

梅谷 そうしたさまざまな人生を学びたい時に,どのような小説から読み始めるのがよいでしょう。
川上 医療・看護に携る人がまず基本的に読んでおくべきものがあると思います。その場合,一般的な小説を読む前の段階として,現代的な課題に挑戦しているような作品を読むとよいのではないですか。
 1つは,医師の書いたものです。医者が医療,患者や家族について書いたものは,どこか共鳴するところがあるだろうと思います。
 次に,老いや痴呆,老々介護など,現代の高齢者問題や,死について書かれたものですね。結核や癌で亡くなった方の「生死観」を知ってもらいたい。
梅谷 高齢者問題は深刻な事態になりつつありますので,本書でもたくさん取り上げました。深沢七郎の『楢山節考』,有吉佐和子の『恍惚の人』,村田喜代子の『蕨野行』,佐江衆一の『黄落』などです。
川上 「公害病」は社会病の一種ですが,戦後日本の医学にとって大きな問題があります。さらにはいわゆる「差別される病気」です。私の記した『現代日本病人史』は,これを主題としています。特に差別が厳しかったのは,戦前からの結核,精神障害,ハンセン病の3つです。結核は抗結核剤の出現で差別がなくなり,精神障害も向精神薬の登場により,戦前に比べると軽くなりましたが,まだ偏見は消えていません。またハンセン病の場合のような差別の問題を忘れてはいけません。
 この他に戦後の問題としては,「原爆病」があります。これについては林京子が追っています。
梅谷 そうですね。第二次世界大戦の残した傷跡は大きいものがありますね。本書でもこれらの関連では,羅列してしまいますが,遠藤周作の『海と毒薬』,井伏鱒二の『黒い雨』,結城昌治の『死もまた愉し』,北條民雄の『いのちの初夜』などを取り上げました。
川上 「障害児」については,戦前は間引きが当たり前で,障害児はあまりいませんでした。戦後は人権尊重の時代になって障害児が生まれてきたとも言えます。水上勉車椅子の歌』,大江健三郎が息子を主題にした『個人的な経験』などがそれですね。その他に,医療過誤とか薬害病,サリドマイドやスモンで苦しんだ人の手記もあります。このような社会問題と密接に関係する本も読むとよいですね。

生と死,性は小説のキーワード

川上 私小説は,家族や男女関係,生と死を主題としてきました。近年,性の低年齢化が進み,非常に性が解放されたといいますが,果たして好ましいのかどうか,若い人たちがセックスに達するまでに正しい性教育を受けているかどうかですね。好きというレベルから性行為への時間が短くなっているので,お互いに守るべきルール(性教育)を知っておくことは重要です。
 その意味で,団塊の世代の橋本治の『ぼくらのSEX』には非常に感心しました。ある意味で性もまた差別の世界です。フランスなど同棲が普通な世界もあり,日本もそうなりつつありますが,しかしこのムードの中でも,きちんと守るべきルールがあると思います。
梅谷 現実に,医療や福祉に携る人間にとっても,性が人生と直接結びつくことも少なくありません。多くの小説の主題はこれといってもよいくらいですね。

帚木蓬生の『空夜』,川上弘美の『センセイの鞄』

川上 『空夜』という作品があります。作者の帚木蓬生は『三たびの海峡』などの作品で知られる作家です。テレビで久世光彦のアシスタントディレクターをやっていた多才な方で,九大医学部に再入学し,今は精神病院に勤務しながら小説を書いている方です。
 『空夜』では,主人公が病院で患者に安楽死をさせます。誰もこのことは知らないけれど自分がやましい。それで郷里の村の診療所に帰り,昔なじみの友だちである女性と知り合い,その女性が外来に通ううちに,だんだんと親しくなります。女性の夫は詐欺常習犯で,と話が進むうちに,その女性と結ばれる。今なら不倫小説などザラですが,帚木蓬生が書くときれいですね。
梅谷 高齢者と性の問題について今一番わかりやすくて読みやすいのは,ベストセラーになった川上弘美の『センセイの鞄』です。彼女は俳句をやっているそうで,文章が短くて俳句的で,キレがよいですね。主人公は30代の女性で,高校時代の30歳ほど年上の国語教師(センセイ)と飲み屋で再会して,徐々に関係していくという話です。
 センセイの奥さんはセンセイをおいて家出をした。その奥さんが死んだ土地に2人で一緒に旅行するけれど,なかなか結ばれない。ようやく最後になって,というところで終わっています。

『小説で読む生老病死』作品(作者)リスト
タイトル 作者
海と毒薬九州大生体解剖事件の意味遠藤周作
死もまた愉し結核療養所から生まれた俳句・小説結城昌治
黒い雨広島原爆の実情井伏鱒二
空夜安楽死と同級生との恋帚木蓬生
センセイの鞄高齢者の恋愛川上弘美
ぼくらのSEXなぜ正しい性知識が必要か橋本治
楢山節考現代版「姥捨て伝説」深沢七郎
蕨野行生と死が交錯する極限地帯村田喜代子
恍惚の人高齢化社会を予言した先駆的作品有吉佐和子
黄落老々介護と自然死願望佐江衆一
いのちの初夜ハンセン病患者の孤独な生涯北條民雄
海へパニック障害を病む医師の少女との交流南木佳士
苦海浄土 わが水俣病公害病の原点石牟礼道子
おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒
江國滋闘病日記
俳句を支えに耐えぬいた日々江國滋
白い巨塔暴かれた医療の暗部山崎豊子
戦中派不戦日記異色作家フータローの名作山田風太郎
病院で死ぬということ延命医療からホスピスへ山崎章郎
やぶ医者シリーズ背のびをしない人生の達人森田功
新版 きけわだつみのこえ
日本戦没学生の手記
学徒兵たちの心の叫び日本戦没学生記念会編

■医師の生きかた,死にかた

司馬遼太郎の『胡蝶の夢』

川上 数年前,順天堂大学の教養課程で講義した時に,司馬遼太郎の『胡蝶の夢』を取り上げました。これは松本良順(佐倉に蘭学塾「順天堂」を開いた佐藤泰然の子で,蘭学医ポンペに師事。幕府の医学所頭取となるが,明治期に許され明治政府に仕え初代軍医総監になる)を主人公に,司馬了海,関寛斎という2人の非常に個性のある医者を脇役に配し,幕末期の蘭方医の世界を描いたものです。松本良順は明治維新の際には徳川幕府側につき,戦争後,田舎に引っ込んでいた。そうしたら「倒幕派」(初期の明治政府)が,彼に医学校を作ってくれと請われて,自分で軍医学校を作り,初代の軍医学校長になった人物です。
 司馬了海は佐渡の生まれで,女道楽でどうしようもない人だけれど,語学の天才。ウィリスが日本に来たとき,英語を話せる人が誰もいなかったので,彼が引っ張り出されたと言われています(当時の主流はオランダ語)。ところが,知識はあるけど実践がないから,病人の治療ができない。そこで何かの時に松本良順が治療したという話があります。
 関寛斎はいわゆる「赤ひげ先生」タイプで,銚子の貧農の出身です。苦労して長崎に学び,四国の藩医になったけれど,北海道に渡って開拓者として生き,82歳の時に自殺してしまう。今でいう地域医療に専念した方です。

森田功の「やぶ医者」シリーズ

川上 またその講義では「やぶ医者シリーズ」の森田功を取り上げました。彼は順大の病理学に20年以上務め,それから開業して一般医として生涯を終えました。喘息で苦しみながら,夜中でも往診をやった人です。最後は直腸がんになって出血が続くようにり,彼は病理をやっていたから自分の病状がわかっていました。私に電話で,「友だちが肺癌になって2年半くらい治療したけれど,結局社会復帰したのは3か月だよ。それもみじめな姿だった。それじゃ最初から何もしなくたっていいじゃないか」と言っていたのですが,ある種の生死観を持っていた人でした。

「名医」より「良医」

川上 大谷藤郎さん(元厚生省医務局長・現国際医療福祉大総長)も,その時の講師の1人でした。ハンセン病患者や精神障害者に対して彼がどのような役割を果たしてきたかを,学生たちにぜひ知ってほしかった。大谷さんは学生の頃から小笠原登助教授〔京大ハンセン病研究者。「癩(らい)に関する三つの迷信」(不治の病,遺伝病,強烈な伝染病とは迷信である)という論稿を医学誌に発表〕に師事した人です。小笠原先生は,ハンセン病者が完全隔離とされていた時代に隔離をせずに,診断書には「癩病性」ではなく「全身湿疹」と書いていた人でした。最近「らい予防法」はようやく廃止になりましたが,大谷さんたちの大変な苦労がありました。
 講義の後に書いてもらった学生たちの感想の中で,「本当の医師になるためには,教養を身につける,国際的な人間になる,男女関係の思いやりを大切にするということがまず先なんだ」とあり,感激しましたし,私自身も教えられました。
 先ほど述べたように,人間的成長とは「チャンス」の問題であり,そのようなチャンスがあれば,学生たちに発達・成長する要素は十分にあるのです。

山田風太郎

川上 山田風太郎の『戦中派不戦日記』はぜひ読んでほしい1冊です。山田風太郎は忍者物や『人間臨終図鑑』などを特異な作風を持った小説家です。私は同時代の医学生ですので親しみ深く感じますし,私のライフワークである戦中・戦後医療史からみても,これは貴重な資料です。戦後日本の医学がドイツ語から英語に変わっていく様は,この日記がなければわかりません。また,彼の発想は意表をつくものがあり,太平洋戦争の開戦と敗戦日の有名人の行動を『同日同刻』という本でまとめています。
 山田風太郎の医学生としての生活は充実しており,空襲があれば病院防衛に駆けつけ,長野県飯田市に疎開してからの生活もいきいきと描かれ,いま読んでも新鮮です。山田風太郎は医学部を卒業後,国家試験に通ったものの,インターンはやらずにすぐ作家になった。晩年になるとその飄々とした性格や生きかたが,多くの人の注目を集めました。2001年に79歳で亡くなりましたが,「戦後は余生だ」と言って酒は飲むしタバコは吸うなど,随分不養生な生活を続けながら,自ら「アル中ハイマー」だなんてとぼけて暮らしていた。そういう人生観を持っている方でしたね。

日本医学界の体質

梅谷 医者のありかたと言えば,私の経験でも,医者の世界の教育や研修・就職は他の産業分野とは違うように思えますが,どうでしょうか。
川上 そういえば「医局講座制」の問題について触れていませんでしたね。これは日本の医学界特有の構造的な欠陥とも言える部分です。医局講座制が確立したのは,明治の日本医療がドイツ医学から自立し,東大教授が全部日本人になった時です。教授が天皇と同じような権力を持ち,あらゆる医局員の生涯にわたる生殺与奪の権利を握った。
 日本の医師の就職市場はフリーマーケットではありません。教授の力次第で,その医局がどの関連病院を持っているのかによります。
梅谷 「医局講座制」については,山崎豊子の『白い巨塔』に尽きますね。この小説は当時大きな反響を起こしましたし,映画化,テレビドラマ化もされました。
川上 一方,アメリカの医療のマーケットに関しては,医師本人の力量で決まります。このことは,アーサー・ヘイリーの『最後の診断』がおもしろいです。主人公は病理専門医で,経歴を言えばどの病院にも勤められる。日本でそんなことをやったら,教室から破門されて勤め先がなくなってしまいます。そういう点ではぜひ読んでもらいたいですね。
 それからGP(ジェネラル・プラクティショナー)の問題があります。このGPのあり方については,クローニンの『城砦』が非常によく書けています。
 なぜこの2冊が絶版なのかは不思議ですが,図書館を利用してぜひ若い方に読んでもらいたいと思います。

生死観をもった医師

梅谷 21世紀になり,先端医療と呼ばれる新しい分野が,医療ばかりか看護・福祉の世界でも重要かつ日常的になる予感がします。この問題はまだ少数の研究者の問題ですが,いずれは皆の問題になると思います。
川上 21世紀は医療そのものが変化し,医療の理論的枠組みが大きく変わります。これら一連の技術進歩を,私は「第3次医療技術革新」と呼んでいます。私は技術論の立場から「医療技術」を概念操作で「技術システム」と「技術自体」に分けて考えています。今まで技術自体としての医療技術は「進歩がすべて善である」という理解でした。医療システムはナショナルな性格を持ち,国によって違った伝統を持っています。そして医療技術自体はインターナショナルなもので,日本でもアメリカでもどこでも通用します。しかし,「第3次医療技術革新」になると,医療技術自体の中に社会の価値観,倫理観が入ってきます。それは今までの医学とは異なった側面を持っています。例えば心死から脳死への死期判定の変化と,それに続く臓器移植の問題です。こういうものがどうなるかに強い関心を持っています。
梅谷 いずれにしろ,小説を読む目を養いつつ,人間を見る目が一層必要になりますね。
―――ありがとうございました。