医学界新聞

 

「生と死を超えて」基本テーマに

第26回日本死の臨床研究会が開催される


 第26回日本死の臨床研究会が,さる11月23-24日の両日,斎藤龍生(国療西群馬病院),渡辺孝子(国際医療福祉大)両会長のもと,群馬県高崎市の群馬音楽センターを主会場に開催された。
 今研究会では,群馬県と栃木県の市民グループが共同で開催を支え,特別講演「WHO方式がん疼痛救済プログラムの歴史的背景と世界規模での普及活動」(前埼玉県立がんセンター総長 武田文和氏)をはじめ,教育講演が(1)「末期患者の食べることへの援助-食事と療養の間で」(ピースハウス病院栄養課長 平間真澄氏),同(2)「緩和ケアと感情労働」(日本赤十字看護大 武井麻子氏)など4題,シンポジウム「生と死を超えて」(司会=阪大 恒藤暁氏,飯田女子短大 藤腹明子氏),一般市民も参加対象とした特別企画「詩画からのメッセージ-星野富弘の世界」や,市民セッション「あなたががんになったとき-ホスピスってな~に」などが企画された。


 同研究会では,その他に「インフォームドコンセント」「生命倫理・死生観」など20群による一般演題136題の発表が行なわれた他,「そのひとらしく生活することを支えるとは」や,「ナラティブセラピィ」,「在宅ホスピス」などをテーマとした事例検討10題を企画。なお,特別企画「詩画からのメッセージ」(対談=詩人・画家 星野富弘氏,阪大・同学会世話人代表 柏木哲夫氏,朗読=美咲蘭氏),および市民セッション「あなたががんになったとき」(司会=群馬ホスピス研究会 吉本明美氏,国療西群馬病院 奈良林至氏)は,明春発行の本紙2520号(看護版)で詳報する。

すべてのがん患者の痛みを解放するために

 特別講演を行なった武田氏は,1986年にWHOが公表した「すべてのがん患者の痛みを解放すること」を目標とした「WHOがん疼痛救済プログラム」の誕生秘話を,がん疼痛コントロールで知られるR.G.Twycross氏(英・チャーチル病院)をはじめとする世界の重鎮たちとの交流を通して語った。また,プログラムに明記された「WHOの三段階除痛ラダー」や,(1)がん患者の持続的な痛みの救済を支援する「政府による政策」,(2)市民・医療担当者・医療行政担当者などへの「教育」,(3)麻薬医療管理の改善や,供給,処方,投与の規制改善などを含む「薬の使用条件」というプログラムの3つの柱について解説した。
 さらに,埼玉県立がんセンターが日本ではじめて同プログラムによる治療法を実施し,モルヒネは依存症を起こさずに87%の除痛率をあげたことを立証。この欧米の患者と同様の結果は,「白人外で初」と国内よりも外国で評価を得たことを述べるとともに,プログラム普及のためにベトナム,カンボジアを訪れた際の経験談を述べた。
 氏はまとめにあたり,「日本の医療用モルヒネの年間消費量は,日本の全がん患者の間に潜在しているモルヒネ需要の数分の1以下を満たしているにすぎないことを,日本の医療従事者は銘記しなければならない。改善に努力することは,医療従事者,特に医師の義務である」と指摘し,行政当局によって,消費量の大幅増加の対応が整備されていることを報告した。
 なお,これらの内容は,氏が著わした『がんの痛みを救おう! 「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに』(医学書院,本年11月発行)に詳しい。また氏は,この書の印税をカンボジア医療のために寄付したいとの意思を,講演の最後で表明した。

私,ちゃんと生きてきたかな

 シンポジウム「生と死を超えて」には,小原信氏(青山学院大国際政治経済学),種村健二郎氏(栃木県立がんセンター緩和ケア病棟),大谷木靖子氏(昭和大横浜市北部病院・がん看護専門看護師),高羽美帆氏(がん患者),沼野尚美氏(六甲病院緩和ケア病棟チャプレン)の5氏が登壇。
 小原氏は,「『生きがい』があるのなら,それに対する『死にがい』もあり,『看取られがい』のある死に方もある。『死にがい』『死なれがい』のある死を見つめていくことも今後の課題となるのではないか」と話題を提供。また氏は,「まわりから祝福される死としてのビューティフル・デス(有終の死)がある」として,QOLに対するQOD(クオリティ・オブ・デス)を提唱した。
 また種村氏は,星野富弘氏の詩「いのちが一番大切だと思ったときに,生きるのがつらかった。いのちより大切なものがあると知ったら,生きているのがうれしかった」を紹介し,「治るより大切な,生きるという気づきがみられる。全人的苦痛からの解放のパラダイム転換が,ここに表されている」と解説した。
 大谷木氏は,緩和ケア外来でよく聞かれる言葉として,(1)ホスピス(緩和ケア病棟)は,最期の場所,死ぬところ,絶望の場所,希望もなく,入ったらお終い,だから来たくはなかったという声と,(2)ホスピスに入ったら楽に死ねる,とにかく楽に死なせて,ゆったりと心穏やかに逝かせてほしい,との双極の患者の声があると指摘した。また,「死をみつめながら,いかに生きるか」を実践された,58歳で骨転移のみられた前立がん患者の症例などを紹介した。
 一方,高羽氏は17歳の時に「肝臓がん」と診断され,10年後の現在,再発・肺転移のため観察中であること,またこれまでの感情の揺れ動きなどを語った。氏は,検査の度に「先に道がないこと」,「病状の変化は,現実をみつめざるを得ないこと」を受け入れざるを得ず,「私,ちゃんと生きてきたかな」と振り返ってきたことなども淡々と述べた。その上で,「生をみつめることはなかったが,見えない連絡性の中に自分の道があることがわかった」と,自分の歩いていく道は変わらずにあることに救われる思いがしている心境を語った。
 最後に沼野氏は,自分の死に向かうためには何が必要なのかについて,(1)死を超えた「希望」,(2)周りの温かい援助「愛」,(3)家族,自分自身,神や仏等を「信頼する心」,(4)現実と向き合う「勇気」,(5)しっかりと生きてきた「満足感」の5点をあげた。その上で,死と向き合う生き方から得られるものとして,別れた友人,自分自身の後悔,反省の中からの「和解のチャンス」であり,生きる気力となる,「将来を覚悟する心」などがあると解説。また,「死と向き合うことのできない人をどうするか」などについても述べるとともに,自らの死と向き合う準備をする必要性も説いた。
 総合討論では,「死なれがい」や「看取られがい」などが話題になるとともに,生と死を超えた「希望」について議論された。