医学界新聞

 

連載(35)  微笑の国タイ……(17)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻里(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2512号よりつづく

【第35回】王様のいる国,タイ

映画上映の前に起立!

 タイの映画館に初めて入った私は,日本ではあり得ない体験をしました。それは,アメリカの娯楽映画を見るために,「シネマコンプレックス」と呼ばれる大きな映画館に行った時のことです。薄暗い中でようやく自分の座席を見つけて座ったのですが,その周りでは,若い女の子たちがおしゃべりに興じながらポップコーンをほおばっていました。ここまでは,アメリカでも日本でも同じ光景です。しかし,前方のスクリーンが明るくなったその時です,全員がおしゃべりをやめて,一斉に立ち上がるではありませんか。
 いったい何が始まったのか,私も一緒に起立したものかどうか,周りを見上げてきょろきょろしていました。でも,このまま座っていられない雰囲気があって,私も直立不動で立つことにしたのです。すると,巨大スクリーンには,荘厳な感じ漂う男性の姿が映し出されています。そして,タイの伝統的な音楽も流れてきました。
 「どこかで見た人だなあ……? そうそう,道路沿いに立っている看板で見たような気がする……あぁ~,国王だ」
 と頭の中を整理するのですが,状況がうまくつかめないでいました。後で,このわけを知人に尋ねたところ,どの映画館でも上映の前には必ず,国王と王妃の映像と国王賛歌を流すのだそうです。国民はそれに対し,忠誠心から敬意を表しているのだ,ということなのですが,次のタイ旅行の時には,ぜひ映画館に行ってみてください。その光景に触れることができるはずです。

タイでは上映されない「王様と私」

 映画の話をもう少し続けましょう。最近ハリウッドで,ジョディ・フォスターとチョウ・ユンファの主演でリメイクされた「王様と私」(ちょっと前でしたら,再三リバイバル公開されていましたユル・ブリンナー主演の映画のほうがなじみがあるのかもしれません),という映画をご存じでしょうか。
 今から150年以上前の,タイ国王だったモンクット王(ラーマ4世)をモデルとして作られた話です。アメリカのブロードウェイでも有名なミュージカルなのですが,未開の国の王様を,聡明なイギリス人女性教師が導くというストーリー展開は,タイではやはり評判が悪いようです。ですから,ハリウッドで作られた映画「王様と私」は,タイでは上映禁止になっているのです。

現在の国王

 タイの現国王は,プーミポンアドゥンラヤデート王(ラーマ9世)です。この方の評判はすこぶる良好で,その人柄,そして高い知性と教養は,タイ人にとって心から尊敬できる自慢の王様のようです。
 国王・ラーマ9世は,1927年にアメリカで生まれ,幼少の時からスイスでの生活だったそうです。戦後の1945年に,兄の国王即位(ラーマ8世)のためタイに帰国しました。しかし,その翌年にラーマ8世が,眉間を銃弾が貫通し,即死という痛ましい状態で発見される事件が起き,急遽,後継者のラーマ9世として即位することとなったのです。
 即位後も,ラーマ9世はスイスで大学生活を送っていたのですが,1948年に交通事故に遭い,そこで王族の出身である,現在のシリキット王妃と出会います。その手厚い看病に心打たれ,スイスで愛が芽生えたというロマンス話は,何度もご年輩のタイ女性から聞かされたものです。しかし,国王や王妃,王室にかかわるゴシップは,タイの人たちから聞くことはありませんでした。それは,国王を尊敬していることと,私が想像するにはタイには「不敬罪」という法律があるためだと思うのです。

日本の皇室とタイの王室

 毎年12月5日は,国王誕生日のために祝日となっています。その1か月前から,王宮に近いラーチャダムヌン通りは,イルミネーションで飾り立てられます。そして,国王や王妃の大きな姿絵が通りに掲げられます。国王の姿絵は,日常のあらゆる場所にも飾られており,例えば学校や病院,そして家庭の居間などでも見かけます。日本で暮らす私の祖父母も,応接間の中央に皇室家族の写真を何枚も飾っていたのを思い出しました。
 タイで暮らしている時に,「秋篠宮殿下」の名前をタイに住む日本人から何度も聞く機会がありました。私はその時まで,日本の皇室がタイの王室と親しいことをまったく知らなかったのですが,秋篠宮殿下は「なまずの研究」のためにタイへ頻繁に来られていたようなのです。
 タイの現国王には,1男3女があり,中でも次女のシリントーン王女は,国民に大変な人気があります。優雅な物腰,落ち着いた話し方,そして優しいけれど凛々しい女性なのです。そのシリントーン王女は,秋篠宮殿下の結婚式に列席していました。どの時代のどこの国でも,次の国王は誰がなるのかという王位継承の話しは,まことしやかに囁かれるものです。
 タイでは,国王が70歳を越えたここ数年,誰がその座を継ぐのかという話が現実味を帯びてきています。しかし,具体的に想像できるシナリオについては,日本人同士だけの話にとどめておくように,私たちは非常に気を使っていました。タイには「不敬罪」という,聞きなれない法のこともありましたから。
 日本も,継承権では同じような話題で盛り上がっていた時期があったそうですが,タイでは日本よりも早く,従来は王子のみが継承してきた国王の座を,「王女に王位継承権を認める」という法律を作ってしまうことで,さっさと変更してしまったのです。この行動力,決断力の速さ,本当にアジアにはいつも驚かされてばかりいます。