医学界新聞

 

〔連載〕How to make

クリニカル・エビデンス

-その仮説をいかに証明するか?-

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 臨床研究開発室)


2509号よりつづく

〔第37回〕エイズ・エピデミック(7)

臨床試験の倫理性

 この論文(New England Journal of Medicine1994: 331; 1173)は,2002年6月の時点で115の論文に引用されていました。そして,“めでたし,めでたし”となるはずの論文だったと思います。しかし,倫理的に重要な2点で疑問が残りました。1つは,プラシーボ群でエイズに感染した児が40人もいたことで,この犠牲者をもう少し減らすことはできなかったのかという点です。
 最初の中途解析を1993年に行ない,差がでていたので中止したと記しています。当初3年間患者をリクルートして,生後78週まで経過を追うものでした。しかし,3年弱の時点で行なった最初の中途解析で,あまりにも歴然とした差がついてしまってあわてて中止したのでしょう。最初の予想を上回る好結果だったとも想像できます。もしも,263人全員がAZT治療を受けていれば,計算上21.8人がエイズとなるだけなので,実際の53人より31人少なかったことになります。もちろん,臨床試験開始時,AZTが垂直感染をブロックすることを期待しつつも,誰もどの程度ブロックするか知らなかったわけですから,やむを得ない問題ともいえます。しかし,それにしても,もう少し犠牲者を減らすことはできなかったのでしょうか?
 ある人は,中間解析をもっと早い時期に行なうべきだったと指摘するでしょう。これも正当な意見です。しかし,中間解析の回数が多ければ多いほど,タイプIエラー(本当は2つの治療効果が同じなのに異なると結論してしまうこと)を起こしやすくなるのです。ですから,臨床試験をモニター解析する統計学者はできるだけ中間解析を減らそうと考えます。特に,臨床試験初期はゆらぎが大きく,本当は両治療群間で差がないのに差があると誤った結論を下しやすいのです。この臨床試験の場合,研究計画立案の段階でこれほど差が開くとは思っていなかったのでしょう。
 この論文発表の2年後,ハーバード大学生物統計部のウエイ教授らが,“play the winner rule”によりランダム化した場合のシミュレーション結果を報告しています。Play the winnerとは,例えば袋に赤白1つずつの玉が入っているとします。最初の患者が赤い玉を引いてAZT群に振り分けられ,エイズにはならなかったことがわかると,赤い玉を2個戻します。エイズになったら1個戻すだけです。これにより,結果の良い群を引きやすくなり,結果の悪い群に振り分けられる人の数が減っていきます。彼らは,実際のデータを持っていますから,それでシミュレーションしてみたのです。つまり,赤白の玉を引いた後,赤であれば8個の黄色い玉と92個の緑の玉の入った袋から玉を1つ引きます。そして,緑色であればエイズにはならなかったことを意味するので,赤い玉を2個最初の袋に戻し,黄色であれば,エイズにかかったことを意味するので,赤い玉を1個最初の袋に戻します。一方,白い玉を引いた人はプラシーボなので,25個の黄色い玉と75個の緑色の玉の入った袋から玉を1個とりだして,また元に戻します。この操作を繰り返したところ,実際よりも11人もエイズ患者が少ないことが予想されました。さらに,結果が出るごとに玉の比率を変えるのは非現実的であるので,半年ごとの結果に基づきAZTとプラシーボのランダム化比率を変えたとするシミュレーションを行なっていますが,それでもエイズ犠牲者を9人も少なくすることができると主張しています。この方法ではパワーが落ちるという欠点があることが指摘されていますが,計算してみますとせいぜい数%のパワーロスですんでいました。
 ランダム化臨床試験において,2群間の開きがまったく想像つかないような場合,そして,結果が致死的であるような場合,このplay the winner ruleは効果を発揮することでしょう。

もう1つの倫理的問題点

 エイズの伝播を食い止めるには,水平方向と垂直方向のダブルブロックが有効です。両者の決定的違いは,水平方向では一生多種薬剤を飲み続けなくてはならないのに対して,垂直感染では妊娠中から出産後しばらくまでで済んでしまいます。そして,前者では発症を遅らせる程度の効果しか得られませんが(それでも画期的),後者では病気を完全にブロックし,児を救うことができます。有効性に加えて,内服期間が違いますから,経済的コストも違ってきます。事実,WHOはエイズ薬を必要とする600万人のうち,実際に薬剤を使用している人はわずか5%未満と推定しています。このことから,両親をエイズで亡くす孤児が増えているのです。そして,エイズ治療薬は,このような不幸な子どもたちの数をむしろ増やしてしまっているかもしれません。
 1990年,アフリカ孤児の親の死因でエイズの占める割合は16%でしたが,2010年には68%に上ることが予想され,アフリカ11か国では,2010年までに約4人に1人の子どもが少なくとも片親をエイズで亡くし,最もエイズ被害の大きい南アフリカで,両親ともに失う孤児の数は200万人から340万人になるだろうと試算されています(http://www.synergyaids.com/)。このような国はアフリカだけではなく,南米,アジア,旧ソビエトにも及びます。米国国際開発庁は,「2010年には,34の発展途上国で4400万人の子どもたちが片親ないし両親を失う」と予測しています。

貧富の差

 最も憂うべき問題は先進国と発展途上国の間の貧富の差です。例えば,先の治療(母子感染予防)が功を奏してアメリカでは確実にエイズの子どもの人数が減っています。しかし,世界レベルでみると,エイズの子どもの数は増え続けています。WHOと国連エイズ共同計画(UNAIDS)によれば,「2001年には15歳未満において,80万人が新たに感染を受け,270万人がエイズウイルスに感染し,58万人がエイズで死亡」しています。この差は国の間の貧富の差からくることは明らかです。薬価が下げられたとはいえ,1日1ドルで生活している人たちが多い国がどうやってエイズ薬を買えるのでしょうか。そして,エイズによる打撃は健康面だけに留まらず,国益をも損ね,一国を押し潰してしまうかもしれません。
 国連アナン事務総長は,エイズ基金として先進国に毎年10億ドルずつの拠出を求めています。かつて感染症が多くの人の命を奪いました。アメリカ同時多発テロや阪神大震災における死亡は数千人ですが,感染症による死亡数は2桁も違います。巨額の資金援助が必要なのは理解できます。
 NGO(非政府組織)は5500万ドルを投じて22の発展途上国に対して62のプロジェクトを走らせました。これらは医療機関を援助するものではなく,家族や地域を支えるものでした。孤児の数を考えると,焼け石に水かもしれませんが,長い目で見ると,地域で孤児を救うシステムを構築することは,単に大金を投じるより大切なことなのかもしれません。
 例えば1996年にジンバブエで始まった15人のボランティアによるプログラムは815人の孤児を支援していましたが,今や385人のボランティアで6000人の孤児の衣食住や教育などを含む世話をしています。このような地域を主体としたプログラムに効率的に資金援助して,エイズ基金を効率的に活かし,その輪を広げることが重要でしょう。臨床試験は生物統計学的に確立された手法であり,観察研究よりは単純かつ信頼できます。しかし,この手法により証明された治療法が人々に適応されなければ意味がありません。