医学界新聞

 

連載(33)  微笑の国タイ……(15)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻里(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2504号よりつづく

【第33回】改めて見直したい「生活の文化」

 外国に行った時に,地元のスーパーマーケットで買い物をしたことがありますか?
 私は,タイのスーパーマーケットの石鹸売り場に行くのが大好きです。

人はなぜ,石鹸にこだわるのか

 石鹸売り場では,数ある石鹸の中から何人もの人たちが,1つひとつを手にとっては,鼻先につけて「クンクン」と,自分の好みの香りを探し出すことに没頭しているのです。男女を問わず,みんなが一斉に,いくつもの石鹸の匂いを嗅いでいる姿は,最初はとても奇異に映りました。ところがそこに暮らし始めると,自分もそのような習慣に馴染んでしまい,いつの間にか「クンクン」してしまっているのですから不思議です。
 タイでは,1日何回でも水浴び(都会ではシャワーとも言う)をします。その分,石鹸の使用量が多いのでしょう,香りにも敏感になり石鹸にこだわるようになったのかもしれません。1年中が暑い土地柄ですから,朝起きて,外出から戻って,そして夜眠る前にと水浴びをし……つまりタイでは,1日3回以上の水浴びが平均的な生活なのです。しかも,浴槽につかるわけでもないのにかなり長い時間をかけます。
 タイ語で「ホング・ナーム:水の部屋」と呼ばれる場所には,トイレと水浴びをする大きなカメやシャワーがあります。和式風のトイレの隣に水浴び場がある,と考えてください。でも,そう説明しても,日本人には想像し難いかもしれません。具体的には,トイレは和式と似た形をしていて,隣にある大きなカメの水を,小さな洗面器のようなものに汲んで流すという「手動水洗式」なのです。日本の水洗トイレと同じで,流した便器の穴のところには,水の溜まりができて(ウォーターシールドと呼ぶ)一度流してしまうと臭いは絶対に漏れてこないのです。このため「水の部屋」はとても清潔で,どのような田舎に行っても絶対に臭わないのです。ですから,まだまだ「臭い,汚い」といったイメージの強い日本のトイレと比較すると,そこには長い歴史の違いを感じます。

「雑巾と台拭きが一緒?」の文化

 次は,雑巾と台拭きの違いの話です。日本では,床を拭くための雑巾と,机やテーブル(食卓)を拭くための台拭きは異なる存在であり,間違って使用することはまずあり得ないでしょう。しかし,タイでは床を拭いたそのままの布で,床に置かれた食事のテーブルを拭いている人を何度も目撃しました。タイの都会では,西洋と同じくテーブルと椅子で食事をする家庭が増えています。
 しかし,田舎に行くと,人々は悠然と木の床に座り,その床の上に料理が並べられるといった伝統的な食事のスタイルがあります。床をどのように捉えるかによって,雑巾と台拭きの違いは変わってくるようです。こうして,タイの習慣もまた理解できるようになりました。
 そして,固い床が生活の中心であるタイでは,女性が胡坐をかいて座っても許されます。もちろん,正座をしていれば「礼儀正しい」と褒められることは間違いありません。しかし,この世の中には,片膝立てをして座っても許される地域もありますから,私はとても心強くなります。日本では,片膝を立てて座るという行為は「行儀の悪い座り方」になっていますので,あまり大きな声では言えませんよね。きっと,そこで生活している人たちは,座り方だけで「女のくせに」とは言われないでいるのでしょうね。

人が中心の文化とは

 私たちが外国に行った時に感じる,このようなごく普通の日常生活や習慣の違いは,「単に文化の違い」とくくるのではなく,もう少し丁寧に見ていくことが必要です。外国生活が長くなると,「世の中,何でもあり」と思うようになります。今まで日本で信じていたもの,例えば,「車は左で,人は右」という日本の道路の常識は,世界のどの国でも通用するものではないことを,外国ではじめて体験して知るのです。
 お金や競争が,「生活を守る中心」と考えている人がいます。しかし,「人の幸せな生活」の意味をもう一度考え直してみるところから始めないと,「貧困」や「飢餓」を,「紛争」を,今この一瞬の間にも生き抜いている人と,気持ちを共有することはできません。私たちは,本当はどのような毎日を送りたいと考えているのか,「人が中心にある生活」とは一体どのような生活なのか。経済的発展を目標として,突き進んできた日本で見つけることは難しいのでしょうか。
 些細な生活の1コマは,やがて文化と呼ばれ,そして社会に大きな影響を及ぼす要因になるのだと思うのです。