医学界新聞

 

〔投稿〕ザルツブルグセミナー(セッション400)

「医療教育改革」に参加して

杉本なおみ(慶應義塾大学看護医療学部,naomi@sfc.keio.ac.jp


●世界各国の参加者で作るネットワークの確立をめざして

 「ザルツブルグセミナー」は,第2次世界大戦直後,米国とオーストリアの学生が始めた交流プログラムに端を発する国際研修機関である。現在では,権威ある国際研修プログラムとして定着し,年に10回ほど,テーマ別研修が実施されている。
 今年度は,医療に関する2つのセッション,「受診機会の均等化」と「医療教育改革」が開催されたが,私のその後者である「Salzburg Seminar Session 400:Trends and Innovation in Health Professions Education: Building Comprehensive and Sustainable Reforms」に参加する機会を得たので,そこでの内容を報告したい。

反響を呼んだ「アフガンレポート」

 本セミナーの最大の目的は,世界中から集めた60名の参加者に活発な議論をさせ,生涯続くネットワークを作らせることである。会期中に何らかの結論を得ることは第二義的な目標に過ぎない。したがって,参加者同士の交流を最優先に考えたプログラムが特色となっている。
 セミナーでの1日は「基調講演」から始まるが,今回は,「UNI Program」(中南米11か国の医学・看護学部が共同で取り組んだカリキュラム改革)を中心に,地域密着型医療に向けた問題解決型教育の成功事例が紹介された。この中で特に印象に残ったのは,英国に「Nurse Practitioner(NP)」制度を広めたBarbara Stilwell氏の体験談である。同僚の看護師らに「医者が夫,看護師が妻。NPなどという『第2の女』は必要ない」と言われたなど,当時のエピソードが紹介された。
 続くグループ討議では,各参加者が抱える問題について話し合った。私の所属したグループでは,コロンビアやナイジェリアにおける医師の頭脳流出が話題となった。質の高い医学教育を提供するほど卒業生が海外に移住してしまい,国内の医療者不足が解消できないジレンマ。この問題に関して,医学と関係諸領域の教育者,医療行政に携わる官僚,国際機関の職員などが多角的な視点から議論を行なった。
 そして,1日の終わりには,一般参加者に個人発表の機会が与えられた。最も反響が大きかったのは,医療奉仕団の一員として5月にアフガニスタンを訪れたインド人医師のビデオレポートであった。ガーナ,ドイツ,ロシア,マケドニア,ブルガリア,トルコ,インドネシア,中国,チリ,カナダ,エルサルバドル,タイ,アルゼンチン,パナマなど,参加者の出身国は多岐にわたるが,みな一様にこの問題に寄せる関心は高かった。中にはインドとパキスタンのように対立の渦中にある国も含まれていたが,社会的・政治的立場を超えて,率直な意見交換が行なわれた。

●「新しい世界観」が植えつけられたセミナー参加

非日常的空間で育まれる連帯感

 このようなプログラムの合間を縫ってコンサート,パーティなどが開かれる。舞台となるのは,映画「サウンド・オブ・ミュージック」の撮影が行なわれた美しい古城。人脈作り優先のため外界との接触は制限され,城という非日常的空間で起居をともにする高揚感と相まって,参加者間に強い連帯感が生まれるにはさほど時間がかからない。実際,最も深い感銘を受けたのは,参加者がこのような場面でふと口にしたエピソードであった。そのどれもが,既存の認識を根底から揺るがすようなものだった。それらを,以下に紹介する。

「地域密着型医療」アンゴラの現実
 アンゴラでは,長年の内戦とそれに続く飢饉のため,密着すべき「地域」が崩壊してしまった。人が病気ではなく,水や食糧不足で死んでいく中,医学教育の意味を根底から問い直しているという。

「問題解決型」エチオピアの医学倫理教育
 エチオピアでは,「抗生剤が底をつき1人分しか手元にない場合,それを95%死亡が確実な重症患者に与えるか,まださほど症状の重くない(が確実に悪化している)患者に与えるか」といった現実的な事例が倫理教育に用いられる。しかも,授業で扱うこのような「架空」の事例が,その日のうちに「現実」となることがめずらしくないという。倫理教育が,非常に逼迫したものにならざるを得ない背景が窺い知れた。このような状況においては,「問題解決型学習」という言葉は一層の重みを増すのである。

「へき地医療」がフィリピンで意味するもの
 片道5時間歩いて巡回診療に出向いた村は,民間信仰が根強く,危篤の子どもを祈祷師が「治療」している。投薬・注射を申し出るが拒否され,あげくの果て子どもが亡くなると,「西洋医学を学んだ者が触れたせいでまじないの効力が消えた」と村人が鍬を手に追って来る。走って逃げ,ことなきを得たものの,しばらくすると今度はゲリラに拉致され,辺境の地で銃口を突きつけられつつ傷病兵の治療にあたらなければならなかった。中には抵抗したため二度と村に戻らなかった医師もいる。

職業選択の「不自由」と聖域としての看護
 これは,パレスチナ人でありながらキリスト教徒というイスラエルの参加者から聞いた話である。彼のような二重(人種・宗教)のマイノリティが,軍事・情報産業との関連が強い一般的「理系職」に就くことは難しい。看護職はその中でも数少ない例外であり,結果として理系志向のパレスチナ人男性に人気の高い職業となっている。その結果,イスラエルには少なくとも3名の男性助産師が存在するという。

エイズと「医療者不足」
 南アフリカでは,医療系学生にも高い割合でHIV感染者が存在する可能性がある。これはすなわち将来確実に医療者不足を招くことを意味する。そこで,エイズによる医療者減を視野に入れ,現行の入学定員を在学生のHIV感染率と同じ割合(例えば25%)で増やす必要性が現実問題として語られている。教員は,「この中の4分の1は医療者として独り立ちする前に消えていく」ことを前提に日々教壇に立っているのである。

険しい道のりの各国の現状

 何と厳しい現実だろう。「予算がない,人がいない,制度がない,組織が動かない」と,ないものづくしである。一方,何もないところにこそ創造の余地があるのもまた真実である。制約を逆手にとってカリキュラム改革を成功させた事例もある。
 例えば,トリニダード・トバゴでは,人的,経済的制約から医学・薬学・獣医学といった多領域にまたがる専攻の基礎科目が合同で開講されている。いわば苦肉の策である。しかし,職業意識形成の初期段階で他職種をめざす仲間と机を並べて学ぶことが,卒後の協力体制に予期せぬ効果をもたらしているという。まさに発想の転換である。何もないところから何かを生み出そうとする参加者たちの熱意,とりわけ「職業」としてではなくNoblesse Obligeの一環として医療教育改革に携わる彼らの姿勢に深い感銘を受けた。
 このように,貴重な経験を得た今回のセミナーであったが,惜しむらくは日本人参加者が私のみで,日本の医療の全貌を伝えきれなかったことである。今後日本からの参加者が増えることを期待したい。

【参考】 ◆ザルツブルグセミナー・ウェブサイト
http://www.salzburgseminar.org/index.cfm
 なお,今回の基調講演者の1人であるRicardo Komatsu氏(ブラジル・Marilia Medical School副学部長,同校日系ブラジル人研究センター所長)が,日本の研究者との交流を希望している。Komatsu氏は老年医学を専門とし,群馬県などでの在日ブラジル人高齢者の健康調査にも携わっている。関心のある方は杉本までご連絡をいただければ幸いである。
◆連絡先:〒252-8530 藤沢市遠藤4411 慶應義塾大学看護医療学部 杉本なおみ
 TEL&FAX(0466)49-6214(E-mailは上記)