医学界新聞

 

〔連載〕How to make <看護版>

クリニカル・エビデンス

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 臨床研究開発室)


(前回,2504号よりつづく

〔第18回〕医療現場における紛争解決(3)

足並みの乱れは患者のリスクに

 最良の医療を実践するには,相互理解の上に立脚した共同作業が必要になってきます。医療の現場では,異なる教育を受け,異なる価値観,異なる技能を持ったプロフェッショナルが働いています。異業種間での目に見えない障壁は意思疎通を希薄にします。同業種であってもある人は教授をめざして研究に没頭し,ある人は経済的理由から働いているかもしれません。
 そして,特に大きな病院では,診療の背後に嫉妬や競争といった複雑な人間関係が存在しているものです。ビジネスの世界であれば,競争がバネになることもあるでしょう。しかし,医療の現場で足並みが乱れると患者さんにリスクを負わせることになりかねません。さまざまな思惑がうずまく病院という現実の中にあって,最善の医療を提供するという使命を遂行しなくてはならないジレンマが医療機関には存在するのです。

医療現場でのネゴシエーション

 2002年4月,ハーバード大学の生涯教育の一環である「Health care negotiation and conflict resolution leadership」というセミナーに参加してきました。ボストン郊外のバブソン大学に1週間泊り込み,朝8時から夜10時まで,ロール・プレイを中心に行なうものです。参加者は総勢40名,その多くは50歳代を中心とする病院長や医学部長などで,今年は17年目に当たるそうですが,日本人の参加は私が最初だったようです。
 リーダーのマルカス博士(写真)はポーランド人として生まれましたが,幼少時アウシュビッツで父親を亡くしています。そのような経緯があったためか,彼はアメリカに移住し,理学博士取得後,ヘルスケア領域におけるネゴシエーションの重要性を唱導し続け,今日に至っています。ネゴシエーションの方法論に教科書はありません。逆に,実例を反復学習することが何よりの教科書です。
 今回は,セミナー参加時の資料を基に「医療現場における交渉と紛争解決」の一部をお話したいと思います。

ICUにて

 46歳の看護師リサ・ゴッドフリードは,ICUに赴任してからすでに9年以上が経つベテランです。彼女にとって,ICUは常に学びの場であり,最も看護を必要とする人たちに看護を施すので,そこで働けることを誇りに思っていました。一方,ヘザー・ハリフォードは看護学校卒業して3年目,ICUに赴任して7か月目の25歳の女性です。彼女はICUが好きになれませんでした。なぜなら,仕事はきつく,他の看護師はいつもカリカリしていて,「お願いします」とか「ありがとう」といったフレーズを聞いたことがないほどだったからです。
 この2人は勤務交代の間際,救急部から転室になったアシュウッドさんの担当となりました。2人はベッドとその周りの機器を調整しています。
ヘザー ユーイング(研修医)は,こんな時間帯に患者を引き受けちゃうんだもの。前のレジデントのウォーカーだったらこんなことは絶対なかったわ。
リサ この患者さんはICUで観察する適応が十分ある人よ。
 (彼女はそう怒り,口をつぐんだ。そして,2人は一旦カルテ記載室に戻りました。そこには医師と他の看護婦もいました)
リサ ヘザー,2度と患者のいる部屋であのようなことは言わないように! 不平不満があるなら,この部屋で言いなさい。何度も言っているでしょ。アシュウッドさんの入院は適応があったからで重症なのよ。ユーイングが引き受けたとかの問題ではないわ。
 (ヘザーは,他の人のほうを向いて小さく「チェッ」と呟きました)
 リサの主張は正論ですが,2人の態度は問題です。この険悪なムードがICU中に伝播すれば,スタッフだけではなく,患者さんにも影響しかねないのです。もしも,若手看護師と年配看護師の間で亀裂が入ったら,ICU業務がスムーズにいくと思いますか?

ステップ1:紛争を認識する

 交渉と紛争解決の第一歩は,それを理解し受け入れることです。中東和平の問題にしても,どこの国とどこの国の仲が悪いかを理解することは難しいことではないかもしれません。しかし,その発端が何であったのか,どのような経過でこのようになってしまったのか,などを深く理解しないと,真の紛争解決にはならないでしょう。
 病院内で発生する問題も同じことです。それぞれの人がそれぞれの立場を主張するまでには,それなりのヒストリーがあるはずです。問題を全体的な流れとして理解することで,解決の糸口が必ずや見つかるはずです。しかし,往々にしてすべてを理解することは難しいので,どの部分が曖昧であるのかを認知する必要があります。

ステップ2:紛争が招き得る結果を考える

 1980年代,航空各社が紛争を好機ととらえるようになったのは,フロリダ航空のワシントンDCにおける事故からでした。その日のワシントン空港は雪がひどく,出発がかなり遅れていました。結局,飛行機の上に降り積もった氷雪を取り除き出発のOKが出ます。
 ところが,離陸までの30分にまた,雪が降り積もってしまったために,その飛行機はターミナルに再度氷雪除去のため出戻りです。そして,目的地に向け再出発。飛行機がまさに加速状態に入った時,副操縦士が翼にまだ氷が残っていることを発見し,機長にその旨を伝えました。しかし,機長は無視して,そのまま加速し続けたのです。その結果,飛行機はうまく離陸できずにポトマック川に墜落してしまったのでした。
 お互いに「なんとなく嫌っている」2人がいるとします。そして,何か問題が発生した時に,「おまえまたやったな! 起こると思っていた」となってしまいます。しかし,医療機関を含む人命がかかっているような場で,これは許されません。むしろ,紛争を好機として捉え,最悪の結果が発生する前に芽を摘んでおくことが大切なのです。