医学界新聞

 

あなたの患者になりたい

医療面接ビジュアル系

佐伯晴子(東京SP研究会・模擬患者コーディネーター)


話しやすい医療者

 共用試験の本格導入を控え,各大学ともOSCE,講義,実習がさかんです。話しやすい医療者がひとりでも多くいてくださると,やはり安心です。これからどうなるのだろうと先が見えない不安を抱えている時に,たとえ解決にならなくても話を聴いてもらうだけで少し肩の荷が軽くなります。その分,一歩前に踏み出す力がわいてくるように私は思います。
 ところで,医療者が話しやすい人であるとはどういうことでしょう? 逆に言えば,話しにくいのはどんな時でしょう? 同じ人間でありながら,やたらと距離を感じてしまうと話しやすいどころか,話をする気も起こりません。では距離をどんな時に感じるのでしょう?
 医療者の方が患者さんに一定の距離をおくのは仕事として当然の分別です。ただ,一定の距離までも届いてこないように感じることがあります。数多い質問に答えたが,自分のことを話せた気がしない時。まだこちらの話が終わっていないのに「これで結構です,検査をしますのであちらへ」と退出を促された時。○○が痛いんです,と言い始めたら「ほかに何かありますか」と道を閉ざされた時。
 どうやら物理的な距離や目を見て話をしないという技法上の問題ではなく話の持っていき方や面接で得る情報の中身を,医療者が決めている時に,話をした甲斐がないと感じるようです。医学的に必要なことだけを聴取されて不必要なことは切り捨てられるように感じる時に,ああ届かない,と思うのですね。「客観的な」情報だけが重要で,「主観的な」ことはオプションというわけです。

「主観的な」話

 しかし,患者さんは同じ症状や疾患でも,つらさや苦しさは人それぞれです。自分にとってこんな時にこういう具合になるのが困るんです,と日常の暮らしの中で起こったことを医療者にわかってもらいたいのです。それには「主観的な」話をしないと何も伝わりません。患者さんのつらさが具体的に映像のように見えてきて初めて「なるほど,それはご心配ですね」と言えるのではないでしょうか? 患者さんの痛いときの様子や暮らしが医療者の頭の中で鮮やかな映像になっていくような医療面接をお願いしたいと思います。