医学界新聞

 

あなたの患者になりたい

禁じられた恋

佐伯晴子(東京SP研究会・模擬患者コーディネーター)


 先日,これからの病院経営を考えるという趣旨の会にシンポジストとして参加しました。患者は今,医療の何を問題だと思っているのか,というお題を頂戴していましたが,患者さんが感じることは1人ひとり異なりますし,誰がどこで,どんな状況で問題だと感じるかは一概には言えません。そこで私は,今の医学教育で語られる理想と医療の現実との乖離の前で戸惑う学生さんとSPのことをお話しました。
 また別の日は,ある大学のワークショップで医療面接とOSCEのSPとしてお手伝いしました。セッションの後に参加者の方とお話する中で,患者さんの話を聴きたいという気持ちがあっても,時間がないので仕方なく2分診療になっていること,そして,それを変える手立てが見当たらないことをうかがいました。

相思相愛が実らないわけ

 患者さんは話を聴いてほしい,医療者はその話を聴きたい,この相思相愛関係を阻むものは「時間のなさ」です。お金にならない時間は削られるしかないのです。なぜお金にならない仕組みなのでしょうか?
 これだけ多くの患者さんと医療者が同じ思いになっていながら,医療面接という行為がきちんと医療の中で評価されないのは,どこかおかしいと思いませんか?
 その部分を変えることなく,個人の忍耐と努力あるいは奉仕に負っているのが,今の医療面接なのかもしれません。
 しかし,それでよいのでしょうか? 医療制度改革と言われるものの中に,この点に関する改善はどのくらい含まれているかというと,甚だ心もとない限りです。人として尊重されたい患者さんと,患者さんを大事にする医療の専門家として尊重されたい医療者とが,人間同士の出会いを許されないのは双方にとって不幸です。人としてあたりまえの態度やコミュニケーションができない環境を,私たちは次の世代に伝えていくしかないのでしょうか?
 インフォームド・コンセントやセカンドオピニオンが言葉だけの1人歩きをして,「患者本位」「患者中心」と言葉はあっても,自分の情報であるカルテやデータも自分のものとして入手することが困難な現状です。このあたりで1度,患者本位とはどういうことなのか,なぜ患者本位の姿勢をとるのか,どうしてそうしたいのか,ということを医療者の立場にとどまらず,広く国民全体の問題として考える必要があるのではないでしょうか?
 少なくとも次の世代には,信頼にもとづく医療の足がかりを手渡していくのでなければ,模擬患者の活動も「恋のあだ花」になりかねないと私は感じています。