医学界新聞

 

連載(31)  微笑の国タイ……(13)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻里(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2496号よりつづく

【第31回】「日本人に何がわかる!」

タイを訪れる日本人

 タイには,日本のテレビ番組を作成するために,番組制作会社のプロデューサーとカメラマンが2名程度で来ることがよくありました。取材の内容は,バンコクの紹介やクイズ番組など多様なのですが,一度ボランティア団体を訪問する企画に同行したことがあります。
 そのボランティア団体は,バンコクで有名な歓楽街の道向かいにある,小さなアパートの1階に事務所を構えていました。この団体は,「女性のための女性による自助団体」で,歓楽街で仕事をしている状況から抜け出したいと決心した女性たちが,何か職業技術を身につけるために通っていました。そして,日本語や英語を勉強し,今よりもマシな環境に身を置こうと努力していたのです。
 日本人男性のインタヴュアーとカメラマンは,
 「どのような活動をしているのですか?」
 「活動を始めるきっかけは?」
 「資金はどこから?」 などと,ごく普通の質問をしていき,30分程度の撮影で無事終了となりました。その時,機材を片づけている私たちに,
 「日本人に何がわかる!」と,小さくはき捨てるように1人の女性が言いました。

「パッポン通り」の女性たち

 バンコクには,多くの観光客が訪れることで有名な「パッポン通り」という歓楽街があります。ここは,10年以上昔ですが,タイ語がわからない日本人観光客を相手にぼったくりをする悪質な店が多かったため,警察の取締りがとても厳しくなりました。その取締りのおかげと言っていいのでしょう,今ではおみやげ物屋の数が多くなり,女性観光客が真夜中におみやげを買いに行くこともできるような,安全な環境となりました。
 パッポン通りの店で仕事をする女性たちの多くは,タイの東北部や,北部の貧しい家から出稼ぎに来ているか,ブローカーにだまされて連れて来られた,という状況にある人たちでした。しかし,このような状況はバンコクだけのことではなく,もっと悲惨な状態の中にいる少女たちが,全国的に存在することも隠しがたい事実だったのです。
 歓楽街で仕事をする女性たちには,「エイズの予防」と称して,IDカードの所持とともに定期的な血液検査が強要されるようになりました。しかし,このような「強制的に仕事をさせられている」女性たちの存在に目を向けるということは,非常に難しいことです。歓楽街で働く女性たちは,その仕事の内容を語りません。そこでの現実については,男性が他人に漏らすことでしかわからないことから,何が起きているのかという「事実」が伝わりにくいのです。まして,生半可な気持ちで「助けたい」などと考えている人に,彼女たちが心の内を打ち明けることはまずないのです。

ある日本人大学生の言動

 毎年夏休みとなると,タイは日本人大学生の手ごろな旅行先となり,観光地は日本人の若者たちで賑わいます。ビーチで楽しむ学生,バックパックで気ままな旅をする学生,ボランティアで田舎に行く学生など,その過ごし方はさまざまです。
 1989年の夏休みに,忘れもしないできごとが起きました。それは,北部タイの農業援助を行なっている団体に,1か月間ボランティアとして滞在していたという大学2年生と,タイの中華街で夕食をした時のことです。私は,上述した取材の際に女性から言われた,「日本人に何がわかる!」という言葉を,まざまざと思い出すことになったのです。
 その20歳になったばかりの青年は,その活動のすばらしさを語り尽くした後,お酒の勢いが増してきたのか,あるいは私以外がすべて男性だったためか,つい口を滑らせてしまい,こう言ったのです。
 「たったの500円ですよ。すっごくかわいい子たちでした。ホント,安いですよね」

経済格差と強い日本円の影に

 彼は,覚えたてのタイ語でその少女たちに身の上話を聞いたとも言いました。
 「両親が病気で,お金に困っているから……」と話してくれたとのことです。
 その少女の両親の病気が本当かどうかは別としても,そこには親のすねをかじって大学に通っているのだろう日本人青年が,アジアの経済格差のある地域で,日本円の強さの恩恵とばかりに少女を買うという構図があります。ボランティアとしてこの国にやってきて,そこでどうしようもない貧困に向き合い,援助活動をしていたであろう青年が,それでもなお,経済大国日本人として少女を,「かわいい,安い」と言わしめ買ったという事実……。

 今となっては,あの女性のための自助団体が活動を継続しているのかどうか確かめようもないのですが,きっと歓楽街が縮小していったのは,エイズ流行だけが理由ではなく,女性たちの声が少しずつタイ社会に届いたからだ,と思いたいのです。
 そして,あの日本からやってきた学生たちは,きっと今年の夏にアジアを訪れた学生たちとは違って,非常に特殊なケースだったと思いたがっている私がいるのです。