医学界新聞

 

連載(30)  微笑の国タイ……(12)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2491号よりつづく

【第30回】教育や生活に深く影響を及ぼしている「タイ仏教」

 タイ第2の都市であるチェンマイに,観光に訪れた時のことです。ある寺院の木陰に腰を下ろし休憩をしていると,突然おそろいの制服を着た小学生たちが,駆け足で寺院の庭に出て来ました。
 「お寺に,制服を着た小学生がなぜ?」と,とても不思議に思いながら眺めていました。校庭に飛び出してきた男の子は,半袖の白いシャツに茶色や紺の半ズボン。女の子は,白いブラウスと紺のプリーツスカートの制服を着ています。日本でよく見るランドセルはありませんが,たいていは身体に似合わない大きすぎるカバンを抱えています。そう言えば,バンコクでは,子どもたちがバスに乗ってくると,椅子に座っている大人たちが席を譲るか,重いカバンを持ってあげたりしている姿をよく見かけました。タイでは,勉学に励む子どもたちを,周囲の大人たちがやさしく見守っているようでした。

寺院と学校教育の関係

 タイの寺院は,日本の「侘びさび」に慣れた私たちのイメージとはおよそかけ離れていますので,改めて解説させていただきます。
 例えば,地方都市でも,熱帯雨林のジャングルの中に太陽のまばゆい光を受けて,黄金や極彩色に輝く寺院がそびえ立っています。観光地であれば,そのような寺院も似つかわしくも思えるのですが,どのような田舎に行っても,「きんきんきらきら」と輝いている豪華な寺院の風景は,日本の神社仏閣を見てきた人々にとっては,すぐに馴染めるものではありません。
 歴史的にみると,寺院と学校教育の関係については,13-15世紀に栄えたタイ最初の「スコータイ王朝時代」にまで遡ります。この時代,仏教の普及が急速に広がり,同時にタイ文字も創案されました。そのため男の子は6-7歳になると寺へ送られて,僧に仕えながら,仏陀の教えと読み書き,算数を習ったようです。次の「アユタヤ時代」には,子どもたちだけではなく,より高い学問を学ぶために全国から大勢の人々が,アユタヤ王朝の都に集まるようになり,貴族や農民などの身分に関係なく教育を受けることができました。つまり,タイでは伝統的に寺院が学校の役割を果たし,僧侶は教師でもあったわけです。
 しかし,僧侶は女性との接触が禁止されていたため,女子への教育の機会は,寺院で与えられることはありませんでした。19世紀末になりチュラロンコーン王は,このような全国的な寺院教育に着目し,地方の寺院に学校を併設する計画を実施したのです。もちろん,今度は「男女共学」です。仏教集団の力を借りることにより,地方への近代教育の普及を図りましたが,僧侶は宗教と教育という2つの仕事を抱えることとなり,その負担は大変なものだったようです。
 1953年には,教員の人材確保のために大学教育が始まり,現在では僧侶が2つの仕事を両立することはなくなったようですが,僧侶への深い尊敬と信頼はこのような背景も影響しているのかもしれません。

「みだりに殺すなかれ」の戒律

 そう言えば,日本で私が暮らしていた地域にも,お寺に併設された保育園や幼稚園がありました。「ああ,別にタイだけがめずらしいわけじゃないんだな」と改めて思った次第です。
 しかし,日本と異なり,タイの僧侶は女性と結婚して家族を持つことは絶対にできません。それに,在家者にも守らなくてはならない厳しい5戒律もあります。そのうちの1つに,「生き物をみだりに殺すなかれ」というのがあります。私は,自分の近くに蚊が羽音を響かせて寄ってくると,手のひらで仕留めようと「パン,パン」と大きな音を立てて叩いていたのですが,これが周りの人々に大ひんしゅくを買いました。なんと,タイの人たちは片手でパタパタと蚊をよけているだけなのです。もちろん蚊取り線香や,蚊帳を吊ることで,蚊から身を守ることはしています。

仏教は女性蔑視の宗教?

 最後に難しい問題を1つ。これは僧侶からお聞きした話ですが,ある白人女性が,「仏教の修行をして,涅槃に往けるのは男性だけだというのは,男女差別であり,したがって仏教は女性蔑視の宗教である」と直訴してきたそうです。この問いに対する私の答えは……,未だ見つかりません。
 それにしても,何百年も脈々と受け継がれてきたタイ仏教は,人々の教育や生活にも深く影響を及ぼしています。外からタイ文化を眺めていると,それらを別々なものとして捉えがちかもしれない,と思うのです。だからこそ,私は叱られたり,ひんしゅくを買ったりしながらでも,人々と一緒に生活することが大切なのだと思うのでした。