医学界新聞

 

座談会

「臨床看護の知」に学ぶ

泉 キヨ子氏
(金沢大学・
医学部保健学科)
宮原多枝子
(東京女子医科
大学病院・看護部)
澤田 和美
(東京医科歯科
大学大学院・
保健衛生学
研究科/司会)
花田 妙子
(熊本大学・教育学部
特別教科〈看護〉
教員養成課程)


 臨床看護の現場には,長年のカンと経験に基づいて蓄積された,いわゆる「臨床看護の知」(以下,臨床の知)がある。しかしながら,この「臨床の知」は,日常業務の多忙な中にあって,その場に働く看護職からは,時には「当たり前のこと」として,意識をされないままに流されていく傾向にある。
 そこで本紙では,この「臨床の知」をどのように言語化して伝えていくかが重要と考え,看護の各領域現場における「臨床の知」を著わした書籍『困ったときの……看護』シリーズ(表参照)の編集に携わった方々にお集まりいただき,「臨床の知をどう言語化し,どう伝えていくか」をテーマに語っていただいた。


■先達からの積み重ねによるケア

実践を言語化する難しさ

澤田 医学書院から,『困ったときの……』シリーズ書が発刊されていますが,ここに一貫していますのは,「臨床の知」の集積です。臨床看護の中で培われてきた実践的な知識は,言語化されにくいままに伝承されてきました。今日は,このシリーズの編集に携わった方々にお集まりいただき,改めて「臨床の知をいかに言語化して伝えていくか」につきまして,皆さん方と話をしていきたいと思います。
 私自身は,教育と臨床の場を行ったり来たりしていますが,臨床現場のナースたちとたくさん話をしていますと,ナースというのはなんてたくさんのことを知っていて実践をしているのに,どうして表現するのが下手なのだろうという印象を持ちます。そこには,いわゆる「臨床の知」というものがあるわけですが,言葉にするのがなかなか不得手のような気がします。
花田 私は『困ったときの……』シリーズを編集するにあたって,臨床のベテランナースの方々とかかわってきましたが,執筆者1人ひとりが看護に対する熱い気持ちを持っていることが,その人とその看護実践の工夫から感じられました。
 例えば,消化器内科のナースによる,黄疸で全身のそう*痒感が続き,夜も眠れない肝細胞癌・B型肝硬変の患者さんへの看護が特筆されます。彼女は,就寝時の足浴に加え,発熱や疼痛,腹部膨満感,しびれ感,そう*痒感の訴えに対して,そのつど重曹清拭と軟膏塗布を一晩に3回行なったり,アイスノン貼用,発汗時のバスタオル交換などをし,精神的なかかわりとともに,根気強い援助から信頼関係を築きあげました。清拭すれば眠れると安心し,薬剤の効果に加え,昼間のハーバード浴やストレッチャーでの散歩による気分転換などで睡眠が取れるようになった例です。「この実践を言語化すれば,他の患者さんや次のケアに役立てられる」と彼女に伝えましたが,その詳しい内容は本シリーズに書かれています。私は,それを当たり前の行為として実践されていることがすばらしいと思いました。
注:*は,「やまいだれに蚤」

●『困ったときの……看護』発行一覧
□困ったときの  糖尿病患者の看護(2001年1月発行)
□   同 リハビリテーション看護(2001年7月)
□   同 消化器疾患患者の看護(2002年1月)
□   同 呼吸器疾患患者の看護(2002年3月)
□   同 心疾患患者の看護(2002年3月)
□   同 精神看護(2002年9月発行予定)
□   同 周産期看護(2002年9月発行予定)
□   同 小児看護(2002年12月発行予定)
□   同 透析患者の看護(2002年12月発行予定)

臨床のコツを表現する難しさ

澤田 ナースが当たり前と思っている1つひとつが経験の積み重ねであって,本当にすばらしいことなのですが,それを実践しているナースたちが自覚していないために言語化できないでいるのだと思います。
 私は,専門がリハビリテーション(以下,リハ)看護ですので,このシリーズでもリハ看護を担当しました。急性期・回復期を含めて,ベテランナースに「困ったとき」の内容について出してもらったところ,摂食・嚥下,排泄,コミュニケーションなどのセルフケア自立に関した問題や意欲の問題,転倒・転落の援助,障害受容,家族の問題などがあげられました。これらはすべてリハ看護の中でも重要な分野です。これらについて,それぞれ多様な側面から「臨床の知」のコツを書いていただきました。その違いが読み手に伝わるかが少し気になりますが,ベテランナースが臨床看護のコツを表現することの難しさも感じました。
宮原 東女医大は,消化器や糖尿病などセンターに分かれていて,かなり専門的にやっているせいなのでしょうか,執筆の依頼がありました時に,ナースたちはわりとすんなり「書いてみます」と言ってくれました。ただ,いざ書こうとすると,「困ったことと言っても,何に困っていたんだろう」と,筋立ての段階で戸惑ったり,行き詰まったりした点があったようです。
 ですから,澤田さんや花田さんに病院へ来ていただいた折りに,「臨床のナースは本当にいろいろなことをやっているのにそれを表現できていない」と言ってくださった時は,私も目からうろこで,ハッとしました。臨床は,さまざまなケアの宝庫と言われるくらいにケアの種類があるはずなのに,私たち自身から発信することをあまりしていないと気づかされたんです。
 ナースたちは,執筆をするという機会があまりありません。しかし,書くことで自分の看護を振り返る機会となり,成長するだろうと考えました。このシリーズは,今までの「こうするべき」という教本のようなものではなく,まさに自分たちが苦労して,中には失敗もして,後悔もした経験に裏打ちされたものが著わされています。後輩たちが,「先輩はこういう失敗を繰り返しながら,自分たちに看護の見本を示してくれているんだ」と読んでくれるとよいと思いますね。
澤田 患者さんはこのような状態で,こんなことに困っていて,その時にはこのような声かけをして,ケアの工夫をして用具や技術を使えばいいんだという,臨床に応用する力を現場の先輩方は持っているんですね。ですから,執筆していたナースたちの経験談に「それでどうしたの?」と訊いていくと,どんどんと経験を語ってくれます。
 確かに彼女たちにはすばらしい経験がたくさんありますが,それをどう引き出すか,そこにも難しさはありますね。例えば,「自分たちで話してください」と言っても,なかなか日常的になっていて,うまく出ないこともあります。よい方向に変化した患者さんの,その状況を再現したり,そのすばらしさの意味を聞き手が伝えると,さまざまな経験が豊富に語られますね。
花田 このシリーズの中には,臨床の現場でよく遭遇する,限られた事例しか著わされていませんが,どのように援助したらよいだろうかと困った事例は他にもまだ多くあると思われます。それらに対して看護の工夫をして患者さんの問題解決に効果を上げたケアの言語化によって,つまりベテランナースが積み重ねてきたケア,さらに現場のナースが工夫などを積み重ねていくことで,臨床の看護技術は磨かれ,法則性が見えてくるのではないかと思います。

■患者に学ぶ看護実践

自分の看護を振り返る時

澤田 「臨床は看護研究の宝の山」と言われ,実際に多くの看護研究が報告されています。しかし,それが継続されるべき研究なのに1回で終わってしまう。片や臨床の知をうまく言葉で表現できないがために,すばらしい臨床の実践を私たちが軽んじてきてしまった面があると思います。特に教育現場では,エビデンスがない,証明されていないからと,軽視されてきた傾向があるのではないでしょうか。
 臨床現場のナースからは,「臨床は,困りながら流れている」とも言われました。つまり,困っていても,時にはていねいにかかわることができなくて,流されている自分がいる。そこには,時間的な余裕がないといった問題もあるのでしょうが,そこを何か意図的に取り組んだり,見たりする機会があると,「困ったこと」を客観的に見ることができるのではないでしょうか。
宮原 私も同じようなことを考えていました。患者さんと向き合って,瞬間的に「困った!」と思うことはたくさんあります。自信もないし,もっとケアをしてあげたい思いもあるのですが,やはり流されてしまうということが多くあります。
 そういう意味では,病棟でのケースカンファレンスで,これまでの事例を参考にして,「この時は何だったんだろう?」とか,「この意味は何なんだろう」という検討をすれば,問題と行動が見えてくると思うし,ケアが磨かれるのではないかと思います。
 そうすることで,入職1年目の人たちは「看護ってそう考えて,そういう実践を積み重ねていくものなんだ。それでも,自分たちが満足し切れなかったり,患者さんの満足できない部分もあるんだ」ということを学んでいくのではないかと思います。
澤田 新人ナースは,いろいろな場面で「困った」と思うことがあると思いますが,そういう時にこのシリーズのようなストーリーが示されれば,役立つかもしれませんね。仕事の休みの時にでも,自分を振り返ってみるような際に,ちょっと開いてもらうとよいのかもしれません。
宮原 ナースは,「振り返り」という言葉をよく使って,「あそこができなかった。ここが足りなかった」と振り返ります。そういうやり方も必要だとは思いますが,むしろ自分の行為をストーリーとして,1枚の紙にでもいいから書いてみると,そこから何かつかめるのではないでしょうか。つまり,一生懸命にやった自分の足跡が見えてくるのではないかと思います。

ありのままの患者の言葉

宮原 私は,他の病院から移ってきたナースと話をしていて,とてもよいなと感じたことがあります。彼女がそれまでいた病院では,1年の終わりになると婦長さんから,「どんなことでもいいから,あなたのやった看護を書いてごらんなさい」と言われるそうです。そうすると,何かを指摘されるよりも,自分のしてきたことをそのまま書くわけですから,自然と振り返りもできますし,逆に自信もつくと言うのですね。私は,それを聞いた時に,「なるほど」と思いました。その婦長さんは,とてもよい指導方法をされていると思いました。
 私たちは,つい「きちんとまとめなくては」とか,「QOLの視点で」などと言ってしまいがちですよね。でも,1人ひとりのQOLは違うし,1人ひとりの不安も違うわけですから,「その人のQOLとはこういうこと」ということを相手の反応を入れて,ストーリー的にていねいに描くことによって,その人の実像や看護の中味がみえてくるわけですよね。
花田 このシリーズでは,何が不安であるかという患者さんの言葉をありのままに表現するように企画されています。不安の内容や,それを緩和し安心して療養できるようにする,目に見えない患者さんの心とそのかかわりをできるだけ具体的な内容で言語化するところがいちばん難しい。しかし,ここが看護においては大切なところですから,患者さんの言動を中心に,不安の和らいだ様子やどのように具体的にQOLが高かまったのかが伝わっていくように意識しました。このシリーズができたのは,病棟のベテランナースや婦長さんたちの協力があってこそですが,彼女たちには,新しいナースが来た時やキャリアがあっても病棟を替わる場合に,すぐに応用できるものがほしい,という思いも強くあって,執筆にあたっては,「私も参加させてください」と言ってくださる方が多くいました。

「カン」とマニュアル

澤田 「臨床の知」ですとか「実践知」という言葉があります。看護の中でそれをうまく言い表せない。では,その臨床の知をどのように人に伝えて,活用していくか,ここがこれからの看護の大きな課題の1つだと思います。そのあたりで,何かご意見はございますか。
宮原 「臨床の知」という言葉自体が私の年代にとっては新しいものですが,臨床の現場にはそういう「知」が存在しているということを,臨床の人たち自身が認識する必要がありますね。そして,もっと自信を持って,もちろん工夫を加えながらですけれども,それを次の人に確実に引き継いでいかなければいけないと思いました。
 「臨床の知」の内容もさまざまですが,専門分野ということを考えますと,一般にナースは臨床の知をつかんでも,ローテーションがあって職場が異動すると,継承が難しいということがあると日頃から考えています。「臨床の知」を持った人を,どのように大切に臨床が育てていくのかが重要であり,看護管理者の方にもお願いしたい点です。
宮原 患者さんは,苦痛やニードを表現して来る。それに対して,既存の対応では通用しなかった時に,そこで非常に悩んで,苦しんで,とにかく何らかのケアを行なう。それで患者さんが受け入れてくださった時には,すごくうれしいわけですが,その部分をもう少し大事にして,自分の臨床知恵として引き継ぐというところが,今はできていない。でも,1人ひとりのナースはそれを経験していると思うんです。
 私たちは,患者さんからさまざまな機会をいただいて,次のケアの方法を見出したりしています。それは,先輩から引き継がれてきたものをベースにして,もう少し違った形のケアにしていく。それで,患者さんが,「今日も気持ちよかったよ」と言ってくだされば,それは至福となりますよね。でも,そこに行く前に「流されて」しまうんですね。だから日常的には「マニュアル」ということになってしまうのでしょうが,マニュアルにはないたくさんのものを,臨床で覚えているはずなんですね。
澤田 マニュアル以上のことをやっているのに,マニュアルに戻ってしまうという逆現象が起きてしまっているのかもしれないですね。
宮原 1年生や2年生を指導する時も,やはりそのマニュアルに忠実に教えていて,自分の持っているものについては,「これは応用編だから」と,ちょっと横に置いておく。でも,新人ナースもある程度自分のペースができると,患者さんのところへ行ったり,先輩から何か言われたりして,「あっ!」と気づいてアレンジできるようにはなると思います。だけど,最初の頃は,マニュアルから外れると「え?どうしてそんなことをしたの」とこちらも言ってしまうぐらいですから……。
澤田 それこそ「臨床の知」というのは,マニュアルの応用編で,マニュアルに付加価値をつけたものだと思います。ただ,なかなかナース自身がそれに気がついていないという印象があります。
 私がお手伝いしている中にあったことですが,老人患者さんで,「術後せん妄を起こす患者さんはわかる」と言うナースがいるんですね。具体的にどうしてわかるとは言えないけれど,カンが働くという話を聞きました。
 それから,頑固に自分の生活パターンを変えないという患者さんに対し,粘り強く話を聞いて納得させる技を持っているナースがいます。「その粘り強さはどこから出てくるの?」と聞いても,それにも回答がない。実際にそのナースの後について観察をし,現象をとらえていけばわかるのかもしれませんが,そうでもしないと,結局その人や,病棟レベルで終わったり,その場その場で終わりかねないような臨床の知はたくさんあります。病棟の中は,研究テーマの宝の山というだけでなくて,臨床の知にとっても宝の山になっています。宮原さんのおっしゃる通りに,どうしたら,自分たちが気づき,伝えていくかというあたりが,おそらく課題になるのだと思います。

■どう伝承していくのか

視野を広げて

 臨床で,「困ったこと」をとどめ,流させないということは確かに大事ですが,おそらく私たちは「忙しい」という言葉で流してしまうことも多いと思います。その重要性をどのように伝えればよいのでしょうか。私が言うのも変ですが(笑)。
澤田 抽象的にしたり,その法則性を見出すということは,やはり現場の日常ではなかなかできにくいですよね。具体的な事実に,具体的に対処していくことの積み重ねで,それをまとめて抽象化するのは非常に難しいと思います。伝える手段として,「書く」という方法があるかと思いますが,皆さんが編集にかかわった中で,「これはすごい」と思われる事例を出していただき,そこから考えていきたいと思います。
花田 呼吸器疾患患者の看護で,化学療法と放射線療法を併用している肺癌の患者さんですが,食道炎を起こし嚥下時の苦痛を緩和するケアがあります。痛みを取るために,生理食塩水ボトルに水を入れて凍らせて,タオルやガーゼで巻いたものを食道部に当てたりしていました。また患者さんの不安や焦りを和らげるよう説明したり,パンフレットを作って食事など日常生活での留意点など伝えながら,研究的に取り組んでいました。その病棟で,ベテランの方たちが「カン」で捉えているものを先取りしてケアに組み込んでいることなどお話ししていたのが印象に残りました。
 ただ,それを彼女らが書くとなると,仕事外の時間となるわけですから,時間的にはとても苦しいですよね。でも,自分がナースとして育つことでもありますし,患者さんのQOLを考えると,やりがい感みたいなものがやる気につながったようです。
宮原 私たちは,企画もいいし,勉強をさせていただける機会だと考えました。しかし,いざ書くとなるとなかなか難しかったのですが,外来と病棟の連携の事例も描けましたし,とてもよかったと思っています。これからは,1人の患者さんを中心に病棟,外来,さらに在宅に向けて,地域とのかかわりも視野に入れて,その中での「困っていること」も考えていかなければいけないだろうと,強く思わされました。
 それから,コミュニケーション技術の大切さですね。患者さんが口を開いてくれるのにもこの技術が必要になるでしょう。そこをきっかけに看護の展開が見えてきて,最終的には患者さんと一緒に考えていくことができたという場面もありました。例えば,コミュニケーションがとれたことによって,それまで元気のよい患者さんと思ってた人が,実は悩みが深かったのだ,ということに気づかされたり,ナースが患者さんの抱えている問題を引き出すためには,やはりコミュニケーション技術が重要だということを,改めて強く感じました。

成功事例からだけではない学び

 私の場合は,取りあげた事例のどれもがとてもいいなと思いました。中でもリハに関連した患者さんの多くは訓練室で行なう訓練こそ最良であり,病室に帰ったらやらなくてよいと考えている方や,やりたがらない方などがいらっしゃいます。この点につき,ナースは訓練室での訓練が病棟生活の中で活かせるよう,患者さんの意欲を高めるためにさまざまな工夫に取り組んでいる例が多く書かれています。例えば,訓練意欲の持てない失語症の患者さんにリハチームの力を活用したり,整形外科の患者さんで術後の下肢筋力の衰えを理解してもらう工夫などです。ナースは患者さんの自立への意欲が高まることを第一義に多様なアプローチを展開しています。
 また嚥下性肺炎の防止について,これは私も初めて知ったことなのですが,ナースが脳幹部のダメージによる嚥下障害の人に,誤嚥性肺炎を防ぐための「リラックス体位」を実践していました。うつ伏せ側臥位で上肢の腕を後方に抜き,上側の上下肢を過屈曲させて肩甲骨や胸や腹部の運動を阻害しない体位です。この体位ですと,舌の重みが外へかかって気道確保ができ,腹臥位によって気道のドレナージを可能にします。さらに,呼吸運動をスムーズにしますので,血中の酸素量が増える利点もあります。これは学会発表もしたようですが,まだ定番になっている手法ではありません。ただ,そういった実践知を学会に出しながら患者さんに実践している,法則とまではいかなくてもすごいなと思いました。
澤田 ナースには,困っている現象を見つける直感とでもいうのでしょうか,それがあります。在院期間が短くなっているので昔ほど患者さんと接する時間が少なく,人間関係を築きにくくなっているのですけれど,直感が備わっているんですね。
 ある外来のナースは,退院する患者さんを病棟訪問し,名刺を渡しています。それは,外来に来る患者さんを見ていて,「ここから患者さんとの関係を作ってもダメだ」という体験からの学びで,在宅へ移行する前から関係を築こうという試みです。
 それから『消化器編』には,疼痛に苦しみ最期を送られた若い癌患者さんとナースとのかかわりについて,何がいけなかったのかを掘り起こしていった事例があります。管理の立場にある方なのですが,彼女は何度も私のところへ通ってきて,「あの時点でこうすればよかったのではないか」「ああすればよかったのでは」と言っていましたが,医師との関係を含めチームとしてどう支えていけばよかったのかを考えていました。彼女自身,患者さんとのことでの振り返りですごく成長したと思います。
宮原 現実は必ずしも成功事例ばかりではありませんから,現実の姿を伝える事例としてよかったですね。失敗から学ぶものもたくさんありますし,それを糧にしていくことも大切ですし,そういうことを通して臨床の知が生まれてくるのだと思います。

「書く」ということ

澤田 文章という形で残していかなければ,伝承は途絶えてしまう可能性もあります。そのためには,一般的な看護書として普及させる必要があると思いますし,そうすることで全国的な広がりをみせて,伝承を継続させていく手段となることが考えられますね。同じ病院のナースの間で継承されていく1つの手段として,きちんと形にするのは意義が大きいと思います。
 1人ひとりがそのように書いていくなども重要でしょうが,「臨床の知」ですとか,カンといったものが出てきますので,その知恵は伝えにくいのかなぁ,と思います。何人かで,一緒に考える土台にするととてもよいと思います。その際に,このシリーズ本を活用するのも1つの手段ですね。つまり,事例もあって,まとめもあるし,ポイントも示されていますから,いろいろなレベルで討議できると思います。
 ナースの1つひとつの行為は,昨日,今日と簡単にできあがったものではなく,時として何年という時間をかけて創り上げてきたものばかりですよね。試行錯誤しながらの産物なわけですが,このシリーズに出てくるのはそのエキスだけです。でもそこには,これまでの臨床の力がものすごく駆使されているわけです。
宮原 私は,このシリーズを各病棟に1冊ずつ買って,常備しておくべきものだろうと思います。特に私は,リハがよくわかっていませんので,パラパラと見ただけでも,「なるほど」と思ったところが何か所もありました。

■基礎教育の中での伝承

モデルとなるのはナースの知恵

澤田 基礎教育においても,臨床教育の重要性が強調されています。教育の場で,「臨床の知」をどう学生たちに伝えていくかについてはいかがでしょうか。
 私は,リハ看護実習の中で,1人の学生の困った場面をプロセスレコードを起こし,それをもとに6-8人の学生グループと,3-5人の臨床指導者,そして教官2人というメンバーで毎回カンファレンスを行なっています。そうすることによって,学生は,自分の困った場面での患者さんのとらえ方が,臨床ナースの視点から加わりますし,患者さんの状況がより鮮明にイメージできるようになります。また,新たなアプローチの方向性や,自分勝手な判断にも気づかされることになります。臨床ナースの見方というのは,学生にとって本当に生きた実践知となります。特に優れた臨床の知を持つベテランナースは,実習の現場にいる学生と同じ場面を共有しながら,その場面場面での意味を,患者さんの反応から考えてアドバイスしてくれます。これは本当によい学びになります。
 一方,臨地実習などでは,専門分野のいろいろなものを学生に提供することも大事ですが,同じ現象の場面に遭遇した時に,なぜナースはこのような行動をとったのかをていねいに説明して,よい実践場面の中味を明らかにしないと,学生には「臨床の知」が見えないと思います。それは課題として残りますね。
花田 ベテランナースの知恵が,学びの基本として入ることは,彼女らが臨床の現場で成長していく時には,次に一段階上をいくケアの創造が可能になるのではないかと思います。実践的な知識,技術によって新しい看護の技術を生み出していけると期待したいですね。そういう意味でも,看護教員は臨地実習で学生が,臨床ナースとケアについて話し合ったりして,臨床看護の知を学ぶような教育場面を設定することは重要になります。
宮原 学生の持っている目は,純粋なだけに的を得ていることがあります。私たち臨床にいる者は,往々にして「こうだ」という既成概念を持っていますので,逆に学生や研修生から質問を受けて,当たり前と思っていたことを改めて考える。それがとても刺激になります。臨床実習は,学生に「看護の実践ってすばらしいんだ」ということを見せる場でもありますから,そういう存在にならなければいけないと思いますね。
澤田 私は,学生に「ナースのそばについて見ていなさい」と言います。教員は,学生に臨床の知を持っているナースをつけてあげることで,たとえ全部を指導できなくても,学生が何を見てきたかを整理してあげればよいのだと思います。教員側が臨床の知のすばらしさを知っていれば,それは可能だと思います。ベテランナースは本当にモデルですし,「ああいうナースになりたい」と憧れる学生が多くなればいいと思いますが,その場をなかなか作ってあげていないのは,教員なのかもしれません。

教員のセンスも問われる

花田 基礎教育でも,臨地実習で受け持ち患者さんのケア計画を立てる時などに使えると思います。最初に患者の状況と問題点や対策として押さえなければいけないことがまとめられ,次にケースを出していますから,それを目の前の患者にどう応用して,個別的なケアを創造していくことに導いてくれると思います。そうすることで,基礎教育の段階から臨床看護の知恵を共有できるようになります。
澤田 その点では,私はフライングをしたかもしれません。学生の実習の時に,このシリーズの『呼吸器編』の原稿を持っていましたので,「これを読んで考えなさい」と言って見せてしまいました(笑)。そうしましたら,次の日に「どうやったら排痰がうまくできるか」を考えてきましたので,そのような使い方を実はすでにさせていただいています(笑)。その学生は,教科書に書いてあることはわかっていても,個々の患者さんにどうかかわるかがわからなくて困っていたんですね。
花田 基礎教育の中で,「臨床の知」を伝えることができれば,学生にとって生きた学習として,問題解決能力を育て,看護実践につながる看護教育になると思います。「臨床の知」が言語化されて,ナースとしての出発の部分から積み重ねることができていけば,それが看護実践力の土壌となって,将来も,応用・発展して看護を創造していけるのではないかと考えられます。
宮原 私たちが,実際に行なっていることをもっといろいろな形で話をし,まとめたりして,学生は実習を受ける段階で,教員から気づかされたりすることをチャンスにしていけばよいでしょうし,臨床にいるナース自身が気づくべきなのだと思います。
澤田 そこには,「臨床の知」のすばらしさをわかる教員のセンスが,また問われるのかもしれません。
 今日の話し合いで,臨床の知のすばらしさというものが再確認できたと思います。1人でも多くのナースや学生に,また次の世代に,日本の看護のすばらしい部分,もしかして放っておいたら埋れてしまうかもしれないような部分を,ぜひ伝えていただきたいと思います。今日は,どうもありがとうございました。