医学界新聞

 

【シリーズ】

隣の医学生


銘苅美世さん(東海大学医学部2年)

聞き手:太田 優さん(東海大学医学部5年)


 華やかな舞台で活躍していた1人のタカラジェンヌが,ある時,宝塚の舞台を去り,医師をめざした。大検(大学入学資格検定)受験から始めなければならなかったその道は,決して平坦なものではなかったが,彼女には,どんな苦労があっても医師をめざさずにはいられない強い思いがあったという。
 今回の「隣の医学生」では,宝塚出身の医学生,銘苅美世さんにご登場いただき,タカラジェンヌから医学生へと転身したいきさつなどについて話をうかがった。聞き手は,同じ東海大学の太田優さんにお願いした。


宝塚歌劇団入団

太田 なぜ,タカラジェンヌに?
銘苅 中学2年生の時,初めて宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」を観て「はまってしまった」のが,そもそものきっかけです。宝塚のスターたちは,みんな楽しく,幸せそうに見え,観客にも喜びを与えていました。すぐに「あの舞台に立ちたい」と思うようになりました。
太田 1人で決めたの?
銘苅 ええ,1人で勝手に。親は「どうせだめだろうけど,受けるだけ受けてみたら」と許してくれました。もう,そのころは宝塚にぞっこんで,すべてを捨ててその世界に行くんだという気持ちでした。それまで打ち込んでいたバスケットボールの部活も,一貫教育だった高校への進学も捨てて……。
太田 有名な学校(田園調布雙葉中)ですよね。
銘苅 ええ。でも「宝塚をどうしても受けたいから,学校をやめよう」と。宝塚の団員を育成する宝塚音楽学校は,中3から高3の間に受験できますから,早速,中3の時に受験しました。ところが失敗してしまって(笑),堀越高校へ進学しました。結局,宝塚に合格したのは翌年になりました。
太田 宝塚に入学するのは難しいと聞いていますが。
銘苅 確かに簡単ではないかもしれません。当時は毎年40人しか入学定員がなく(現在は50人),倍率は30倍以上でした。ただ,落ちても高3まで4回は受け続けることができるので,いつかは合格できるかな,なんて思っていました。
太田 宝塚に入学してくる人たちは,皆なんらかの個性を持っているのですか?
銘苅 「美人」,「大人っぽさ」,「ちょっとおかしな子」など,それぞれ「売り」があります。私の場合は,ご覧の通り今でも幼いですが,当時まだ「ファミリア」(ベビー服のブランド)の服などを着ていて,小学生に見えました。この「幼さ」が私の「売り」だったと思います。

厳しい伝統を持つ宝塚音楽学校

太田 宝塚音楽学校とはどんなところ?
銘苅 音楽学校は2年間ですが,「予科生」と呼ばれる1年目はおそろしく厳しくて地獄,「本科生」と呼ばれる2年目は天国なのです。
太田 どんなところが厳しいのですか?
銘苅 これは宝塚の伝統なのですが,極端な上下関係があります。入学と同時に「本科生とは神様だ」と頭に叩きこまれるのです。入学式の際に儀式があって,新入生は1つの部屋に集められ,整列させられます。本科生になめらるように見られ,舞台人をめざす者としてふさわしい身なりかどうかチェックされます。そこは先生も立ち入り禁止という特殊な世界です。例えば制服のネクタイの「ゆがみ」を指摘され,直すと「私に何も断わらないで直すわけ?」とくる。そういう時は,本科生に了解を得てから「失礼します」と言って直さなければなりません。
 道端でも,踏み切り待ちの際に阪急電車が通ると,もしかしたら(本科生が)乗っているかもしれないので,(予科生は)みんなお辞儀しているのです。市道なのに予科生の通ってはいけない道路というのもあるんです。宝塚の劇団の関係者や観劇にいらしている方々がいちばん多く通られるので,そんなところを予科生が通ったら邪魔だという理由です。
太田 大変な世界ですね。
銘苅 でも,いまはいい経験だったと思っています。
太田 音楽学校で学ぶこととは?
銘苅 ダンスと歌と,日舞,演劇,ピアノやお琴,お茶もあります。
太田 卒業すると?
銘苅 舞台に立つことになります。「研1,研2(研究科1年,2年)……」と呼ばれ,阪急・東宝グループの社員なのです。役職名は「技芸員」です。私は舞台に立って4年目でやめました。当時は,すごく早いと言われたのですが,最近は研2くらいで芸能界へ転出し退団する人も少なくないです。また,宝塚というところは結婚をしてはいけないので,結婚によって退団される方もいます。これは「寿退団」といって祝福されます。結婚か芸能界というのが退団理由の主流ですね。

老人医療・福祉の現場に出会い
強烈な疑問に襲われる

太田 どうして宝塚をやめようと思ったのですか?
銘苅 一言でいうと,医学部に行きたいという,それだけのことです。音楽学校の2年間はもちろん,初舞台1年目から研2ぐらいまではまったく医学・医療に興味はありませんでした。ところがある時,声楽の先生が,中年女性のコーラス部を指導していて,その活動に飛び入り参加で劇団近くの特別養護老人ホーム(特養)に歌いに行ったのです。
 それが,特養に足を踏み入れた初めての体験でした。実は,祖父が病院の理事長だったということもあり,病院などに入るのに違和感はなかったのですが,特養という場所は,自分の思っていたところとはまったく異なっていました。そして,その施設にいるお年寄の方たちがとてもさみしそうで気の毒にみえたのです。私の祖父母も同じ年齢層でしたが,まったく違う生活を送っている。こんな小生意気な子どもが歌っているのに,みんながうれしそうに車イスに乗って手拍子をしているのを見て,何か申し訳ない気がして。「私は何をしているのだろう」と,強烈な疑問に襲われたのです。その時の光景は今でもはっきりと覚えています。
 エプロンをした若い介護福祉士さんたちが音頭をとり,自分が小さい時にやっていたようなことをやらされているお年寄りを目の前にして,上手な言い方ができないのですが,気分が悪かったのです。私はおじいちゃん子,おばあちゃん子だったこともあり,そんな年上の方たちを相手に,幼稚園児を相手にするようなことをしているようで,強い違和感を持ったのです。その頃は今よりもさらに知識がなかったので,「家族はいないのかしら」とか,「この人たちはお家にいつ帰るのかしら」とか,そういう根本的なところから疑問を感じ,少しずつ医療や福祉のことを知り始めました。次第に「何か変だ」と疑問だらけになっていきました。
 こんなきっかけで,老人の医療や福祉に関心を持つようになったのですが,初めは,介護福祉士になろうと考えました。介護福祉士は,私が行きたい老人たちの最も近いところにいる存在だと思ったからです。しかし,いろいろ考えていくうちに,老人医療に関心を持つようになり,医師をめざそうと変わっていったのです。

老人医療に問題を感じ医学部を受験

太田 老人医療に問題を感じ,それを解決するために働きたいと?
銘苅 ええ。2つ大きな問題を感じました。1つはなぜボケるのだろうということです。私の祖母も介護度5で在宅医療を受けています。医学的な原因もあるのでしょうが家で1人でいることが多く,そのために痴呆が進んでしまったと。周りにいる家族として,絶対に,ボケないように,あるいは進行を遅らせる方法はあったと思っています。老人の生活に近いところで支える専門職が必要ではないかと思ったのです。
 もう1つは,特養の現場にお医者さんが1人もいなかったことです。法律上,非常勤の医師がいればよいことになっていますが,もっと老人のそばにいる医師が必要ではないかという気持ちがありました。医学部受験生の時に,ある若い医師に「本当は介護福祉士になりたかったのですが,老人医療に関心が強まったので,医者をめざしています」と言ったのです。すると,「はぁ?介護福祉士になりたい子が,何で医者になるの」という感じで……。私の考える理想の医師に出会えなかったことも私のがんばりに拍車をかけたのかもしれません(笑)。でも最近は素敵だなと思える医療を繰り広げていらっしゃる先生がたくさんいて,さらに私のがんばりに拍車をかけてもらっています。
太田 医学部受験は大変でしたか?
銘苅 私は高校を出ていないので,12科目もある大検を受ける必要がありました。6月に退団して,8月に試験を受けて合格したのですが,その後,大検から医学部受験のレベルに行くのに2年かかりました。とにかく,中学・高校の頭がまったくないので苦労しました。

老人がずっと「現役」でいられるよう補助するお医者さんをめざす

太田 医学部に入学して,まだ1年しか経っていないのに,いろいろ学内外で活動をしているようですね。
銘苅 学内ではスキー部に入っています。また,大学には福祉,看護学科も一緒のキャンパスなので,学生のうちに一緒になにか医療に関して学べるきっかけをつくろうと計画中です。外では在宅医療に関わる方たちとの勉強会や他大学の方たちと勉強会などしています。また,「キャンナス板橋」という有償ボランティアの会でヘルパーとして活動しています。これは,地域に住んでいる現役を退いたナースが在宅ケアに励むご家族をサポートするというもので,「看護や介護で疲れている人たちに,休める時間を持たせてあげたい」という発想で始まったものです。ここでは,利用者とサービス提供者が双方とも登録料として1000円を支払うユニークな仕組みをとっています。なぜかというと,明日には,もしかしたら,私がサービスを利用する側になるかもしれない。いつ誰がどうなるかわからないから,みんなで助け合おうという,考え方からです。ナースの方々と早くから一緒に活動させていただくことも私にとっては貴重な体験ですし,また,私は「キャンナス」の発想にとても共感しているのです。
太田 卒業したらやはり老人医療に取り組むつもりですか?
銘苅 はい。そのために医学部に入りました。ご老人たちが,尊敬を受けたままで亡くなられる状況を作りたいと思っています。社会には,老人を「下」と見るようなところがまだある。尊敬ではなく,「施し」を受けるべき対象というような感覚です。医療者の態度を見ていてもそう感じることがあります。老人がいつまでも,「現役」でいられ,尊敬を受けるべき存在でいられるように補助できるお医者さんになりたいと思っています。
太田 今日はありがとうございました。




銘苅美世(めかりみよ)さん
高校1年修了後の1992年に宝塚音楽学校入学,1994年に宝塚歌劇団花組で「芽衣かれん」として入団後,1997年に退団。2001年に東海大学医学部医学科に入学。現在,2年生。学業の合間に有償ボランティア「キャンナス板橋」副代表として在宅の現場で勉強中





太田 優さん
1999年お茶の水女子大学生活科学部人間科学講座卒。大学時代は生理学を専攻する。卒論は月経周期に関するもの。同時に家庭科教諭の免許を取得。外部からの講師に医師が多く,研究参加等を通し影響を受ける。(株)東北電力を経て,2000年東海大学医学部に学士編入。第9回日米保健医療シンポジウムのスタッフ等経験