医学界新聞

 

連載(28)  微笑の国タイ……(10)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


(前回,2484号

【第28回】再び「タイ」へ

 私は,今年の8月,1年ぶりに第2の故郷とも言えるタイを訪れる予定です。今からとてもワクワクしています。なお,タイの首都バンコクへは直行便で約6時間で到着することができます。
 「タイ」と言えば,世界3大スープで有名な「トム・ヤム・クン(辛くてすっぱい海老スープ)」の特有の香りと辛さを思い出す人も多いと思います。最近では,日本の大手スーパーなどにもタイ料理の食材が販売されており,レシピさえ見れば自宅で簡単にタイ料理を楽しむことができるようになりました。
 私が,このおいしいタイ料理につられ,若気の至りで勝手気ままに暮らしていたことは,ずいぶん前の連載(第8-18回)でもお話しましたが,今回から,再びタイを中心としたアジアが抱える諸問題に話を戻そうと思います。

タイの「礼」と「節」

 タイの大学で日本語を教えていた1990年当時,学内の廊下や階段ですれ違う学生は,どんなに重い教科書を抱えていても私に向けて合掌し,「サワッディーカ(こんにちは)」と微笑みかけてきました。
 拝むように両手を合わせるあいさつというのは,日本のお辞儀と同じような普通のあいさつですが,胸の前での合掌が普通の時のあいさつ,顔の前あたりでの合掌が先生や尊敬する人へ,そして額のあたりの合掌がとっても偉い人たちへの礼となります。国王や王族に対しては,もっと正式な儀礼と特別な言葉があるようです。
 タイでは,このような教師への尊敬とともに,目上の人への礼儀については非常に厳しいルールがあります。それは学校教育の中で,家庭で,そして広くは社会生活のあちらこちらでも「道徳」と「礼儀」が教えられています。もちろん,外国人にも容赦はありません。
 タイに暮らして1年が過ぎ,タイ語も話せるようになってきた頃に,知り合いの初老の女性が座っている横を,私が立ったままに通った時のこと。
 「マリ,あなたはそろそろタイ人としての礼儀をちゃんと知っておいたほうがいい」と,彼女から苦言が飛んできました。
 自分より目上の人の前では,腰をかがめて通り過ぎるか,あるいはその方の頭の位置より,自分の頭の位置を低くして通るのが礼儀とされているのですが,そうしなかった私へのお小言。これは,私にとってよい経験となりました。このように,言語の上達に比例するように,文化や習慣に深く触れることができるようになったのですが,一方ではその分,厳しく叱られることも増えていったわけです。

新国家教育計画が出された背景

 学校の中で宗教や道徳を重視した教育を実施しているのは,タイの伝統と国民が敬虔な仏教徒であるという理由からだけではなさそうです。1992年に出された新国家教育計画では,教育理念を「物質文化の発展に対応する知性・精神・徳性の発展,自然と共存をめざす教育,伝統的な自国文化の認識と新しい技術や外国文化の導入」などと明記され,新たな時代への適応が考慮されています。この内容は,1978年に施行された国家教育計画の理念とは異なり,政治・経済・国際情勢という時代の変化とともに,教育理念がその姿を大きく変えたことを顕著に表わしています。
 1975年に,ベトナム戦争が終結を迎えた時,タイを取り囲む近隣のベトナム,カンボジア(クメール),ラオスの各国は,すべて社会主義国になっていました。インドシナ半島には平和が戻ってきたかのように見えましたが,タイでは自由主義体制を守るために,国民の団結を強調する教育に力を入れていったのです。そして,伝統的に国家の三大原則である「国家」「国王」「宗教」をより強化しました。
 それは,1978年の国家教育計画で,「国王を君主とする民主的体制に対する理解の増進,宗教的・精神的価値の付与,国家的団結の維持,タイの国家的・文化遺産として重要なものの保存,および君主国家に対する愛国,忠誠心の養成を目的とする」と記されていることからも明らかです。
 その後,国家教育計画には道徳,倫理,ボーイスカウト活動なども選択必須科目として加えられ,その方針を実行するために生徒が寺院へ行ったり,あるいは僧が学校へ来て説教をするという機会も多くなっていきました。
 道徳や倫理が,時代の流れでたやすく変化してよいものかどうかは疑問ですが,資本主義の国際経済の波にのまれて,タイの教育理念も国際社会の一員として変化していることが,これらのことからもわかります。しかしそれは,本当に歴史的で伝統的な文化から発生したものなのか,それとも政治に巻き込まれた結果なのか,それを見きわめることは非常に困難なことです。
 そういう中にあって,時代が変化した今でも,タイの若者たちが目上の人や教師に対して,礼儀正しくあいさつしている姿は,昔と同じ変わらない事実でもあるのです。