医学界新聞

 

〔印象記〕

第8回「IQHRC 2002」

野地有子(札幌医科大学保健医療学部・教授)


本拠地カナダ・アルバータでの開催

 第8回QHR国際学会(International Qua-litative Health Research Conference 2002)が,さる4月4-6日の3日間にわたり,カナダのバンフ・センターにおいて開催されました。前回のソウル大会はアジアで初の開催でしたが,今回は,久しぶりにQHR本部のある本拠地,カナダのアルバータ州で行なわれました。
 今回の国際学会は,アルバータ大学にある質的方法国際研究所(International Institute for Qualitative Methodology, IIQM, URL=http://www.ualberta.ca/)の主催で,アルバータ大から多くの教員や学生が,学会運営にあたっていました。札幌医大はアルバータ大と姉妹校であり,「北方医学交流」というプログラムのもとに教員や学生の相互交流を図ってきていますので,看護学部長のGray博士や,国際交流センター長のValentine博士との再会も嬉しいことでした。
 会場のバンフ・センターは,アルバータ大学からは車で約5時間。日本からですと,飛行機でカルガリー空港に降りたってから車で2時間ほど行った,カナディアン・ロッキー山脈の麓の街バンフにあります。このセンターは,山小屋風のぬくもりのある建物で,会場の窓からは,雪で覆われた美しい山々が見渡せます。
 今年の冬は,「記録的な寒さだった」とのことで,街ではまだ雪が降っていました。学会案内には「服装はカジュアルに」とあったために,セーター姿の参加者が多く,さながら山にこもって合宿をしているような学会でした。

本学会の特徴

 今大会の参加者は,世界30か国から600名余。口演発表289題,ポスター発表84題,5つのシンポジウム,キーノート(基調講演)18題,ワークショップは18セッションを数えました。その他に2つのプレナリーセッションと,質的研究を基にした演劇が上演されました。
 本学会の特徴は,口演発表1題に30分の時間を割り当て,関心領域のテーマごとに小さな会場に分かれて,参加者と比較的じっくり討論し手ごたえを得られる点にあります。また,豊富なキーノート・スピーカーや,大会前後の1日ワークショップで,質的研究方法についてじっくりと考えたり学んだりできることにあると言えます。盛りだくさんのプログラムなので,同じ時間に関心のあるテーマが重なる場合もありましたが,テープ録音サービスによってそれぞれバックアップされていて,興味のある参加者にはうれしい機能サービスでした。
 また,参加者は相互にサポーティブであり,例えば本学から参加した大学院生らは,英語の波に呑まれつつも,出会った1人ひとりの方々から励ましをいただき,国際的なネットワークづくりやコラボレーションについて多くのことを経験できました。Morse博士,Corbin博士,Manen博士といった世界的な質的研究者と同じテーブルで,現在取り組んでいる各自の研究課題について知恵を出し合って「face to face」で意見交換できることは,QHR国際学会の醍醐味と言えましょう。

プレナリーセッションと演劇

 開会式と閉会式では,それぞれプレナリーセッションが行なわれました。開会式では,Margaret Lock博士(マギール大)が「Transforming Body Boundaries: An Ethnographic Approach to the Procurement and Exchange of Body Parts for Medical Purposes」を講演。臓器提供者および患者本人や家族へのインタビューなどの質的研究は,今後の生命科学技術の発展において重要な役割を果たすことが示唆されました。また,ご自身のエスノグラフィによるデータの他に,例えば白人の患者に黒人の足がつながれようとしているイラストのスライドなどを紹介しながら,倫理的な問題提起がなされました。
 一方,閉会式では,Jeanie Kayser-ones博士(UCSF:カリフォルニア大サンフランシスコ校)による「Malnutrition, Dehydra-tion, Starvation in the Midst of Plenty:The Policy Impact of Qualitative Inquiry」という衝撃的な講演が行なわれました。グルメ社会の中のナーシングホームで,食事時間に何が起こっているのか,どうして栄養失調や脱水や飢餓で高齢者が死んでいくのかについて,NIH(The National Institute of Health:米・国立衛生研究所)から受けた5年間の研究の成果を紹介し,さらに質的研究が政策をどのように変えていったかの実例が示されました。この研究によって,国の長期療養施設における職員の配置基準が改善され,政策決定者から「もっと質的研究を!」と要請があったとの報告には会場から拍手がわき起こりました。それは,学会の締めくくりに相応しいインパクトのある講演でした。
 閉会式には,もう1つユニークなプログラムがありました。それは,質的研究を基にしたドラマ「No Big Deal?」の上演です。カナダの国立がんセンターの助成を受けたトロントがんセンターによる,前立腺がんの患者と妻に関する質的研究成果を活用した演劇です。内容は,3組のカップルに,医学部の教授が登場し,手術を受ける前とその後の体験をフォローしたもので,質的研究成果の活用方法の1つの可能性を示したと言えます。

「Writing for Qualitative Health Research」

 Morse博士による基調講演「Writing for Qualitative Health Research」は,わずか30分の講演でしたが,QHR誌の編集長としての立場からの指摘は,貴重なアドバイスを得ることができました。投稿に際しては,まず3種類の雑誌を検討し,たとえ英語を母国語とする研究者でもプロのエディターは必須とのこと。質的研究で過ちを犯しやすいのは,カテゴリーに新しい名前をつけて,新しい発見をしたと思いこんでしまう点であると指摘しました。新しい発見をしたと思っても,それを忘れて,丁寧な考察をすることが必要であり,少なくとも3人にレビューしてもらうように薦めました。QHR誌では,電子メール投稿を受け付けていないことや,データを提供してくださる研究対象者の個別の一覧表は,名前が載っていなくても個人を特定できる可能性があるので掲載しないなど,具体的なアドバイスが示されました。

筆者らの発表

 今回,私たちは,更年期に関する演題1題,ポスター1題,およびがんの在宅看護に関するポスター1題を報告しました。口演発表は,「Experience of Menopause as a Transition Period among Japanese Women」(野地ら)で,更年期外来のクライアントへのインタビューをグラウンデッドセオリーで検討し,更年期という移行期の女性たちの体験プロセスモデルを提示しました。夜の8時半-9時という時間帯でしたが,台湾やサンフランシスコで更年期保健医療に取り組んでいる看護職や医師,また日本からの参加者などを得て,多くの質問を受けました。台湾では,HRT(ホルモン補充療法)が欧米並みに普及しており,そのことが問題になっているとのことで,日本との違いが浮き彫りにされ,今後の国際比較研究の必要性が話されました。
 ポスターは,「Self-Image of Aging Among Japanese Menopausal Women」(長谷川ら)で,先の口演発表中のクライアントらが,老年期をどのようにイメージしているかについて検討しました。イメージにはポジティブな面とネガティブな面が見られましたが,今後はそれぞれの要因について検討することなどについて,テキサス大の老年看護学の教授からコメントいただきました。大学院生のポスター発表は,「The Therapeu‐tic Role of the Nurse in the Support of a Terminal Ill Women who is Seeking the Meaning of Her Life」(川村ら)について報告し,Clinton Lambert博士(山口大教授)より,「日本のケーススタディは,比較検討が十分なされていない」との指摘を受けました。それぞれの発表において,多くの参加者から学際的な示唆を得ることができました。

おわりに

 バンフからカルガリー空港へ向かうバスの中で,たまたま隣に座ったトロントのコミュニティ心理学者Mitchell博士は,日本にとても関心を持っておられ,そのまま数時間にわたってすっかり話し込んでしまいました。
 Mitchell博士は現在,医学生に質的研究を教授するかたわら,5年前にカナダ東部で起きた,大規模な飛行機事故による地域のPTSDに取り組んでおられるとのことでした。そして,「戦争のことを聞いてもいいですか」と前置きして,「日本は世界唯一の核被爆国なのに,なぜもっとその体験について世界に発信しないのですか」と問われました。バンフ近郊のKananaskisは次回G8サミット(本年6月22-26日)の開催地となるそうで,その警備体制が課題とのことですが,この美しい自然の中で,人々がじっくり対話できることが期待できるそうです。学会期間中も,世界中で紛争や戦争が起こっており,学会に参加できること自体がいかに貴重なことかと考えさせられ,帰国の途に着きました。
 最後に,本学会参加の機会をいただきました,札幌医大の諸先生および関係者の皆さまに感謝申し上げます。