医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 がん患者を看取って

 馬庭恭子


 がん治療を終え,1年が過ぎた。時間が過ぎていくのが,以前と比べて早いような気がする。季節が移っていくことを肌で感じながら,日々を過ごしていくことが至福のように思える。「四季があって,よかった……」と思うぐらい,まわりは美しい。
 50代の看護職の方を,最近看取った。彼女の住んでいるところは市内なのだが,家の裏は山になっており,前には川が流れ,水の音がする。「温泉宿」の風情で,周囲には桜,はなみずき,木瓜などが咲き,雉が目の前を歩いている……まさに桃源郷である。そのような環境の中で彼女は,旅立った。
 「自分を看取ってくれるところを探してください」と,病院の相談室を訪ねた時,担当のナースは正直驚いたそうだ。
 「いろいろ相談に乗ったり,地域につないだりしているけれど,彼女のように直接,『看取ってくれるところ』と言われると,返す言葉がすぐに見つからなくてね」と言う。
 そんな彼女を訪問している場では,いろいろな語らいがあった。
 「死を間近にして,明るく微笑むことができるなんて,すごいなあ」と思いながら,話しを聞いて帰る。
 「尊敬している人は,マザーテレサとナイチンゲールなのよ。私ね,妻として,母としてではなく,ナースとして死んでいきたいの。それだけナースの仕事が好きだった。本当に好きだった」と,はっきりした口調で語る。ここまで看護を愛し,誇りを持っているということに,私は胸が熱くなる。きっと患者さんにも優しく接し,笑顔を絶やさない人だったのだろう。側で介護休暇をとって,お世話しているご主人が微笑みながら聞いている。
 彼女は,それから1か月後……娘さんの手をとり,そして,見つめながら,の最期であった。
 人と人との出会いは不思議である。私自身ががんを患い,がん患者さんのケアに携わり,同じ看護職の方のがん終末期ケアで死を想い,また,人生を想うことができる。
 「ああ,在宅看護をしていてよかった」
 自分が「がん」とわかった時,夢の中で三途の川から抜け出し,訪問かばんの肩掛けをたよりに岸にあがったことを思い出す。私に用意されていることは,もっと人から学べということなのだろう。