医学界新聞

 

「EBMに基づいたガイドラインの滑稽」
についての厚生労働省の反論に答えて

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


厚労省のEBM施策

 4月8日付「週刊医学界新聞」(2481号)に,遠藤弘良氏(厚生労働省医政局研究開発振興課医療技術情報推進室長)から,筆者が執筆した「理念なき医療『改革』を憂える:EBMに基づいたガイドラインの滑稽」(2476号)に対するご反論をお寄せいただいた。遠藤氏は,厚労省のEBM政策について「EBMとはガイドラインに基づく医療をすること」というキャンペーンはしていないと,これまでの厚生省が発表してきた文書の中からEBMについて「正しく」書かれた部分を引用して,厚労省は一貫してEBMに対する正しい理解を広める努力をしてきたことを強調し,筆者の「誤解」を正そうとされた。
 しかし,厚労省が,旧厚生省時代からガイドラインを「EBM推進の一方策」と位置づけ,ガイドラインとEBMを無理矢理タイアップさせてきた事実に変わりはなく,昨(2001)年11月に政府・与党が作成した「医療制度改革大綱」に登場する「EBMに基づくガイドライン」という滑稽な言葉にも,厚労省がガイドラインとEBMをタイアップさせてきた歴史が見事に象徴されているのである。

EBMとガイドラインの作成を結びつける

 「EBMに基づいたガイドライン」という言葉の滑稽さを指摘した筆者の批判に対して,遠藤氏は「当省の言わんとするところは『EBMの考え方に基づいた』あるいは『EBMの手順に則って作成された』診療ガイドラインです」と釈明されたが,この「釈明」もまた,EBMに対する誤解を広めるものでしかないことに遠藤氏は気づいておられないようである。EBMの目的はガイドライン作りにあるわけではないし,その手順にガイドライン作りなど含まれるはずもなく,「EBMの考え方に基づいたガイドライン」も「EBMの手順に則ったガイドライン」も,相変わらず滑稽な言辞であることに変わりはないのだ(そもそも,単に「エビデンスに基づいたガイドライン」と言えば言葉上は何の問題もないのに,EBMという言葉を無理矢理ガイドライン作成の推進と結びつけたことが「EBMに対する誤解を広めるな」という批判を招いているのだが……)。
 遠藤氏の反論からも明らかなように,筆者の指摘にもかかわらず,厚労省には,ガイドラインとEBMを無理矢理タイアップさせようとする努力をやめようとする意志はないようである。しかし,繰り返しを恐れずに言えば,ガイドライン作成がEBM推進に役立つという厚労省の主張はEBMに対する誤解を強めるだけの結果にしかならない。
 EBMの創始者の1人であるデイビッド・サケットは,政府や医療保険の管理者が医師たちにガイドラインを押しつけようとすることの危険について,「トップダウンのガイドラインを押しつけられることを危惧する医師たちは,EBMの支持者がバリケードの中で味方となることを知るであろう」(Br Med J,312巻71頁,1996年)と断言しているが,正しいEBMを広めようとする立場に立つ人々は,厚労省が「御上のお墨付き」を与える形でガイドライン作成を進めようとしていることに対しては,バリケードを築いてでも抵抗しなければならないはずなのである。

EBMデータベースセンター

 さらに,遠藤氏は「診療ガイドラインのみならず評価文献の収集,提供等を行なうEBMデータベースセンター」を設置する厚労省の政策も説明されていたが,これについても特に言及したい。
 厚生省医療技術評価推進検討会の報告書(1999年3月)を読む限り,このセンター構想は米国の医療研究・クオリティ局(Agency for Health Care Research and Quality,AHRQ)の「ガイドライン情報センター」の日本版を設立したいというもののように見える。しかし,この「日本版EBMデータベースセンター設置構想」には2つの大きな問題がある。まず,米政府がすでに作成したデータベースは世界中どこからでもアクセスできるものであり,日本の政府が類似のデータベースの日本版を新たに設置する必要性などまったくない。
 第2に,米国の「ガイドライン情報センター」は,日常のEBM実践には実際上何の役にも立っていない現実がある。日常の臨床でEBMを実践するに際して,医師たちに最も重宝されているのは「UpToDate」など民間が作成したソフトウェアであり,米政府の「ガイドライン情報センター」にアクセスするような医師などいないのである(「UpToDate」がEBMの実践にどれだけ役に立っているかについては,本紙2451,2452号にすでに書いているので参照されたい)。
 米国の例を見てもわかるように,医師たちがEBMを日常の医療で実践するためには政府がデータベースセンターなど作る必要などさらさらなく,厚労省が無用の長物となりかねないデータベースセンター設置に躍起となる理由は,EBM推進にかこつけて,新たな天下り先を作ることにあるのではないのかという疑念を招いたとしても仕方あるまい。

米国で失敗した政策を移入

 さらに,例えば医療技術評価推進検討会の同報告書で,厚生省は,米国のAHCRP(Agency for Health Care Research and Policy,AHRQの前身)がガイドラインを作成し,広く公開している状況を紹介した上で,日本でもガイドライン作成を推進する必要性を訴えているが,米政府によるガイドライン作りが大きな批判にさらされ,すでに97年の段階でAHCRPがガイドライン作成を中止してしまっていた事情については一切触れていない(AHCRPがガイドライン作りを中止した経緯については,すでに「EBMジャーナル」(第1巻4号,中山書店,2000年)に書いているので参照されたい)。
 米国で実施された政策を日本の政策作りの参考にするのは大いに結構なのだが,ガイドライン作成やデータベースセンター構想など,米国でとうに失敗したり大問題を起こしたりした政策を模倣して日本に移入しようする厚労省の姿勢には首を傾けざるを得ない(このことは,DRG/PPS導入や保険者機能強化などの政策にも共通する)。

解消されなかった疑念

 2000年3月,厚生省の「EBM」キャンペーンの真意に疑念を抱いていた筆者は,厚生省健康政策局研究開発振興課医療技術情報推進室(当時)のM氏に厚生省の真意を直接質す機会を得た。その際,M氏は,「ガイドライン作りを進めるのは,いつでもどこでも誰でもEBMができるようにするためであり,日本のボトム3分の1の医師たちにまともな医療をしてもらうことがガイドラインを作る目的である」と言明された。
 ガイドラインに従う医療をすることがEBMであるとの認識を示された上に,トップダウンのガイドラインを日本の医師たちに押しつけることが厚生省の目的であるとするM氏の言葉に,厚生省の「EBM」キャンペーンに対する筆者の疑念は解消されるどころか,ますます増強されたのであった。今回遠藤氏に丁寧なご反論をお寄せいただいたことにはお礼を申し上げるが,その内容がM氏の言葉で増大した筆者の疑念を解消するものではなかったことは残念としか言いようがない。